短歌はわたしの
もうすぐで短歌を始めて1年が経ちます。
早かったなあ。
先日、寄稿のお声がけをいただき、
短歌のフリーペーパー「うたらば」さんに
8首連作「東京にて」を寄稿しました。
短歌1年目の集大成みたいで、とてもうれしかったです。
この記事のタイトル「短歌はわたしの」。
短歌はわたしの何なんだろうと考えました。
ひとことで言うのはとても難しいですが、短歌はわたしの人生で起こった出来事を保存していく本のようなものだと思ってます。背表紙にタイトルすら書いていないような。
不思議なことに、短歌をやっていると忘れかけていた記憶を思い出します。小学生の頃転校して行った同級生の名前、旅行中に火傷をしたこと、友人に渡せなかったお土産、ばあちゃんとふたりで乗ったまるいブランコ。そのなかに愛おしい記憶がぽつぽつと混じっていて、泣き出しそうになりながら、歌にする。歌にすると、もう忘れない思い出になる。短歌にした途端思い出がひかりだす感覚がとても好きです。
話は少し変わりますが、わたしは今まで生きてきた経験から「ひとはいつ死ぬかわからない」というマインドで生きています。死にたい気持ちは全くないのですが、ほんとうにいつ死ぬかわからないという気持ちだけが強くあります。
暮らしのなかのいろいろを短歌にすることは、
いつ来るかわからない自分の死に向かってゆっくりと日々を編んでいくこと。そんな感覚です。
今日と明日の自分がちがうように、今の自分と来年の自分もちがうはず。
ありふれていて、ときにつまらなくて、ときにたのしい暮らしというものを、これからも歌にできたらなと思います。
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