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"私とコミュニティの話"連載Vol.7<斎藤 健介さん>

「私とコミュニティの話」連載第7弾!

暮らしのサービスcircleでは、‘‘人と関わり合いながら暮らす‘‘ことについてお話を伺う連載、「私とコミュニティの話」をお届けしています。

今回は、神奈川県南足柄市で森林と人との関係を考える会社「株式会社あしがら森の会議」を経営されている、斎藤健介さんからお話を伺いました。


今回お話を伺った方

斎藤健介さん
大学院在学中のJICAインド事務所勤務を経て、JICA青年海外協力隊にて約5年国際支援活動に従事。アフリカ・セネガルでの学校給食の普及、教育省での活動を行う。
日本に帰国後、ベンチャー企業での組織コンサルなどの仕事を経て、神奈川県南足柄市に移住。行政や地元の大手企業などの共同出資で設立された「株式会社あしがら森の会議」の代表取締役を務め、森林が面積の約7割を占める南足柄市の林業の6次産業化を通じたまちづくりを進めている。

キャリアを異国の地で始めた。国際支援の道へ

ー斎藤さんは、南足柄に移住して現在の森林の事業を始められる前は、海外で活動されていたとお聞きしました。

そうなんです。神奈川の地域メディアにも以前取材頂いたのですが、中学生くらいの時から国際協力に漠然と興味を持っていました。

当時の記憶では、たしか緒方貞子さんが国連難民高等弁務官に着任し活動をされていたころで、その時のことを今でもうっすらと覚えています。

時を経ても、”国際協力の仕事をしていきたい”という関心は変わらず、大学・大学院時代にJICAのインド事務所にインターンをしていた時もありました。

その際に、一緒にインターンをしていた友人に「JICAの青年海外協力隊の募集が出ていて、もうすぐ締め切りみたいだよ。自分は応募するけど、応募しない?」と声をかけられ、何となく応募してみたことが最初のきっかけです。今思えば、声をかけられなければ協力隊への応募はしていなかったので、全く違う人生でしたね(笑)

青年海外協力隊の募集はテーマごとに色々と募集が分かれていて、私は教育方面の活動に興味があったので、主にそういった活動に応募しました。当時は第三希望くらいまで出せるようになっていました。

募集をした後のフローとしては、面接や健康診断があります。面接では募集の背景や自分の志向について聞かれましたね。短期の協力隊の募集もありますが、基本的には数年間異国の地で活動することになり、ご想像の通り非常にタフな環境なので(笑)、健康診断はチェックがかなり厳しかった記憶があります。(笑)

募集の合格通知が来た後は、いよいよ出国前の研修が始まり…。行先は色んな選択肢がありましたがアフリカ・セネガルに決まりました。セネガルは現地語もありますが公用語がフランス語なので、フランス語の語学研修をしながら出国準備が進んでいきました。

セネガルでの、子どもたちからの学び

私の配属された現地での活動は、主に『学校給食の普及活動』です。どうやって地域の中で給食の仕組みを回していくか、という事がテーマでした。
小学校で、子どもたちに給食を届けられるよう、何もないところから動き始めました。地域のお母さんがたに給食づくりを協力してもらえないかと話したり、先生たちとの連携を図ったり。異国の地での生活に何とか自分を慣らしながら、あらゆることを進めていました。

給食の仕組みをつくるため、地域住民を組織化するというようなことを2年間やっていて…任期が終わったので一時帰国しました。
その後、次はJICA研究所で仕事をすることになり、その研究・調査活動で定期的にセネガルに赴くこともありました。
帰国後も何回かセネガルに赴いていた中で、また現地に行ってくれないかという依頼の話が出て、今度はセネガルの教育省にいくことになりました。2回目の赴任は、何か開発していくというよりコンサル・支援色が強い関わり方です。具体的には教育省の中でセネガルの先生方の研修や教材開発などを行っていました。

当時のセネガルの教育の課題としては、課題は沢山あったのですが…やはり子供の就学率は低かったですし、そもそも先生方の待遇が良くなかったです。教室に来ない先生がいたりと、教育の質が良くないという課題もありました。

そんな現地の課題に立ち向かっていく中で、思い通りに行かず辛いことも沢山ありました。最初に聞いていたことと話が違っていたり、使えると思っていた予算が使えなくなったり、、、大変なことばかりでしたが、何とか前に進めようと奮闘していました。

印象深く、考えさせられたエピソードがあります。
1回目の赴任で出会った現地の小学生の女の子が、2回目の赴任の際に中学校に進学していたのですが、結婚で中学校をすぐ辞めていました。その時の女の子の何とも言えない横顔が、忘れられなくて。セネガルには早婚の慣習が残っているので、それが全て間違っているというわけではないけれども、”なんだろうな”と思いました。

公教育で教えることが全てではないのだと、その時思ったりもしました。算数ができなくても生きていけますし、子どもたちは皆その土地で生き抜くための術を知っている。と感じることもありました。

2回目の赴任の際に、自分に1人目の子供が生まれたので、国内の病院で生まれた後セネガルに来て共に暮らしていたんです。数年間セネガルで暮らしていたので、たまに”セネガルに戻りたい”と言うんですよね。とても興味深いです。

私は子供が3人いて、1人目の子はそうなのですが、2人目と3人目は日本生まれ・日本育ちなので違いを感じます。
1人目にはやはりとてもユニークなものを感じますね。例えが難しいですが、、Aという解が分かっているのにあえてそこにたどり着くまでにエンターテインメント感を出したりとか。(笑)家に誰か人が来ると知ったら、急に1人で服のお色直しを始めたりとか。(笑)

セネガルの方が日本に訪ねてくださることが時々あるのですが、次男だけは怖がっていたりしましたが(笑)長男は全く怖がらないんですよね。そんなところで、最初に生まれ育った時のバックグラウンドの意味というものを、少し考えたりもします。

運転席に座ってハンドルを握るのは、現地の人

2回目の赴任で5年ほどセネガルで活動し、その後帰国することになりました。難しい問題なのですが、日本政府側がやっていきたい方向と、セネガルの現地で取り組んでいきたい方向に徐々にずれを感じるようになりまして…。色々と議論や提案をしていたのですが、どうにもならないと感じるようになり…赴任期間の途中だったのですが日本に戻る決断をしたんです。

セネガルの教育省での取り組みは幾つかのフェーズに分かれており、最後のフェーズまで来ていました。先生の教育・研修を進めながら、より地域全体の包括的な教育の仕組みを作っていく、という段階に来ていたところでした。徐々に、日本政府側が現地の了解を取らず、セネガルで教材をどんどん一方的に配るというような動きが出てきてしまいまして…。個人としては、足並みをそろえて対話をしながらやらないと、動くものも動かないし、国を支援している側は恒久的な存在ではないので、最終的には地域の人が自律的に動けることが重要なのに、、、と色々葛藤していました。

それも踏まえて、セネガルでの国際支援の活動は学びが多かったです。結局、この国のことはこの国の人が決めていかなければならない。外部の観点や支援も重要だが、運転席に座ってハンドルを握るのは、現地の人だ。そんなことを考えるきっかけになりました。

日本に帰国した後は、小さなベンチャー企業で組織コンサルのような仕事をしていました。その中でコロナになってリモートワーク中心になり、神奈川辺りに引っ越そうかなと考えていたところ、あまりよい部屋が見つからず…南足柄市に部屋が見つかったので、「ここに引っ越そうかな」という気持ちで南足柄には引っ越してきたんです。(笑)

引っ越しに伴い、市役所の方とやり取りするようになり、たまたま仲良くなりました。そこで南足柄での課題感や森林についてのことをお聞きするようになり、「こういう活動をしたいのだが、代表をぜひやってくれないか」と提案を受けて、株式会社あしがら森の会議という官民両方のセクターが関わる会社を設立することになったんです。それが昨年2022年のことです。

国際協力に関心を持ち、セネガルにずっといた自分が、日本に帰国して縁もゆかりもなかった南足柄の地にたどり着き、今は森林や自然と人の関係を考える事業を運営している。全く予想もしていなかった人生です。

ー斎藤さんのお話をお伺いしていると、目の前の機会に飛び込んでしっかりと行動を続けている印象があります。機会が目の前にあっても、大体の人は勇気をもって飛び込めなさそうなものですが、一体何が齋藤さんをそうさせているんでしょうか。

しいてカッコいいことを言うとすれば、、(笑)
昔から、新しい文明、社会をつくってみたいという気持ちが強かったのかもしれないです。
国際協力がしてみたかったのも、世の中の新しい形をつくってみたのかもしれない。と今では思います。

今経営しているあしがら森の会議での取り組みも、次の社会に向かっているような存在であると思いながらやっています。

ーどうやったら一歩踏み出せるのか、始められるかということもありますが、それ以上に、始めたことを続けていくのも非常にエネルギーが必要なことではないでしょうか。

そうなんですよね。自分としては、飽き性なのが逆に効いているのではないか、と思います。(笑)昔から、古いやり方が好きではなく、疑問を持つ傾向にありました。今の社会構造に疑問を持ったり、既存の不均衡なシステムに対する疑問は、中学生くらいから感じていたように思います。

その一方で、周りが先に就職している中大学院に進学したり、そのまま海外に赴任したりと…社会に問題意識を持ち、一般的な周囲と違う道を歩んでいったことに、不安は当然ありました。”自分はレールを外れた”という実感もありました。青年海外協力隊に応募していた時も、応募が通るのかな、通らなかったら仕事は見つかるのかな、という不安は都度都度ありました。不安が無かったというわけでは全くないんです!

人と違う道を歩むことを恐れて、自分の感じていることを自分で抑圧したりしないのは、何だかんだ頑固だから、だと思います(笑)
幼いころから「人のいう事を聞かないね」と母に言われて育ちました。(笑)色々指摘は受けてましたが、恐らく全く聞いてなかったんだと思います(笑)

ーこの記事を読みながら、新しい場に飛び出したい、一歩踏み出したいと考えている方に向けて、最後に是非メッセージをお願いします。

私が赴任したアフリカ大陸は、そもそも新しい大陸です。そこに行くときに他の方にかけてもらった言葉があります。「そこに行くからと言って、別にそこを必ずしも好きにならなくてもいい。逆に嫌いになる必要もない。”普通”になればいい。」と言ってもらったんです。

必ずしも強い正義感を持ち続けてやらなくてもいい。全てのことに当事者性を持つことは難しいし、持とうとしなくてもいい。勿論、本気で取り組む中で「本気でやっています」と伝えなければいけない局面はある。ですが、まずは気軽に新たなきっかけに飛び込んでいってほしい、と思います。
例えば地域の課題に関するプロジェクトなどであれば、結局”中の人”が運転席に座ってやらないといけないんです。

私自身も、セネガルでの国際支援の活動は支援者・コンサルとしての活動で、あくまで外の人間でした。でもこうやって、南足柄の事業を通して、やっと”中の当事者”になれたんです。なので、私にとっても挑戦であり、進歩だったんですよね。

皆が何かの当事者になるべきだ、という”べき論”というより、誰しもいつかは”当事者”になるときが来る、ということなんだと思います。

ー斎藤さん、勇気づけられるような本当に素敵なお話を、ありがとうございました!

斎藤さんと共に、circleは南足柄の森林プロジェクトを開始します!新たな輪に入ってみませんか?

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