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キャリアバラエティ vol.47 何 艶(か えん)さんの場合

キャリアバラエティ、今回ご紹介するのは、何艶(か えん)さん。現在は福岡女子大学の女性リーダーシップセンターで社会人育成プログラムやイベントの企画開発、運営に携わっていらっしゃいます。中国瀋陽ご出身の何さん。すべては巡り合わせで流れに乗ってやってきたとおっしゃる何さんが日本、福岡に来たきっかけや日本での様々な仕事や経験についてお聞きしました。




【何艶さんのキャリアバラエティ1/5】

何さんは中国東北部瀋陽のお生まれです。工業が発展した大きな町ですが、北京や大連と比較すると知名度はあまり高くありません。中国は学歴社会でもあり、親の力がないと仕事選びでも苦労をすることもありました。教育熱心なお母様も後押しもあって、何さんは高校受験にチャレンジします。残念ながら第一志望への入学は叶わなかったのですが、何さんはご自身で成績表を持って私立高校に直談判に行きます。日本語クラスなら学費を免除してもらえる!と日本語クラスを選択し、進学することになりました。

卒業後、留学したいという思いを抱えていた何さんは、日本領事館の近くの旅行会社に就職します。毎日、領事館の前には手続きを待つ人が行列を作っていて、それを見て「こんなにたくさんの人が行くのだから、きっといいところなんだろう」と日本への留学を準備し始めます。





【何艶さんのキャリアバラエティ2/5】

留学、渡航の審査はとても厳しいものでしたが、お母様の支援もあり、就学ビザで日本への留学が決定しました。ちょうどその頃、世界の住みやすい街ランキングに福岡が入っていたこともあって、福岡にしよう!と福岡の日本語学校に進学します。

日本語学校に通いながら、中華料理店でアルバイトをしていた何さん。仕事中に怪我をしてしまった時に助けてくれたことが縁でご主人と出会い、半年後に結婚をします。

すでに妊娠中だった何さん、中国のご両親、とりわけお父様へ結婚の報告をするのは、なかなか大変だったそうです。段階を踏んで紹介し、無事に結婚式を挙げることができましたが、つわりが酷く、妊娠中の学生が学ぶ土壌もなかったこともあって、何さんの意思には反して日本語学校を退学することになりました。

当時、ご主人は非常勤のお仕事をされており、生活や保障に不安のあった何さんは、自分が働こう!と量販店でアルバイトを始めます。





【何艶さんのキャリアバラエティ3/5】

量販店でアルバイトを始めた頃の何さんは、まだ日本語も堪能ではありませんでした。ベビー用品であれば、身近な商材でもあり、自分の力が発揮できると志願してベビー用品売り場を担当。その後、レジや発注業務などにもチャレンジし、仕事の幅を広げて行きました。店内のPOPやチラシなどは手書きではなくパソコンで仕上げたものばかり。パソコンが使えないと仕事ができない!資格を取ろう!と職業訓練校で学ぶことになりました。

ちょうどその頃、2人目を妊娠。時を同じくして中国のお父様の病気が発覚、日本に呼んで治療をすることになりました。職業訓練校を卒業した後、就職を希望していましたが、育児と介護を中心とする生活に。たまたま面接の引率に同行した贈答品の配送センターで、何さんは採用されアルバイトをすることになりました。




【何艶さんのキャリアバラエティ4/5】

ちょうどアルバイト先の仕事が終わる頃、職業訓練校時代のクラスメイトから、九州産業大学から求人が出ていることを知らされます。いつかは大学で学びたいと思っていた何さんは、学校関係の仕事に興味もあったことから応募。1ヶ月程度の入試課の仕事だったが、面接直後に別の業務を打診され、教務課で仕事を始めることになりました。学内業務も電子化が進む頃だったので、パソコンスキルを活かした仕事やシラバスの校正などに従事していましたが、大学で学びたいという思いが強くなり、大学進学とともに退職。合格発表時には他の学生と一緒に胴上げもされたとか。

大学入学後、間も無く第3子を妊娠。休学せずに学業を続け、卒業の時期がやってきます。大学院まで進学しましたが、お父様の病気が再発し、お亡くなりになった後、お母様も体調を崩されてしまいます。金銭面の不安もありましたが、大学院での学習に迷いもあったことから、大学院は継続を断念。育児と介護をしながら働こうと、大学職員に戻ります。





【何艶さんのキャリアバラエティ5/5】

週4日1日5時間の時短勤務は育児や介護との両立はできましたが、どうしても補助的な業務が多くなり、物足りなさを感じ始めます。ご家族ともよく話し合い、通販の会社に転職することになりました。当時、急成長中でもあり、仕事はとにかくハード。企画業務などにも携わり、深夜まで仕事をすることもあったとか。キャリアを積もう!と大変な毎日を過ごしていましたが、仕事だけではなく家族との時間も大切にしたいと思い、転職を考え始めます。

そんな時に、福岡女子大学の求人を知り、応募。具体的な仕事内容は十分に理解はしていなかったものの、一つずつ仕事を覚えて、少しずつ自分のカラーを出していくようになりました。自分が関わったことが誰かの役に立つことが嬉しく、また、形になっていくことが楽しかったとおっしゃいます。

昨年からは正規職員となり、新たな事業にも携わっている何さん。全ては巡り合わせでここまでやってきたとおっしゃいますが、ご家族との時間、ご自身の仕事を通じたスキルアップなど、どちらも大切に全力で取り組んできたからこそ、今の何さんがあるのかもしれません。

「仕事もプライベートもどちらも大切、自分自身が幸せでないといい仕事もできない」とにこやかにお話しくださった何さんのこれからが楽しみです。


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