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僕から見た僕 #シロクマ文芸部

『ただ歩く』

僕から見た僕は

僕自身のためと、家族のために『ただ歩く』
だけど、真っ直ぐには歩けない。

杖を使い、足には補助具をはめて
ひょこひょことまるでヒヨコのよう。
そして長くは歩けない。
家の周りをせいぜい一周するのが関の山。
残りの時間は車いす。

末っ子の息子

『お父さんは、歩けたんだ』
保育園の卒園DVDで、幼い僕を背負って走る父の姿を初めて見た。
僕が物心ついた時には、父はもう普通には歩けない。

本当のことを言うと、母は卒園DVDを隠していた。
僕が見つけて、こっそり観たのはまだ内緒。

歩くとは、いったい何だろう?
『歩く』と言うことは、当たり前のようでいて
当たり前のことではないと想っている。

妻であり 子どもの母である君

全てがわたしに、のしかかって来たようで。
その日、その時を生きるのに精一杯だった。

生きているのが辛かった11月の終わり
翌年3月に、東日本大震災がありました。

わたし達家族が泣いている場合じゃない。
そう思ったあの日。

『這いつくばってでも歩いていく』
目の前のやるべきことに必死になってしがみついていた。

ナイーブな真ん中

僕は、僕の悲しみを描くことで表現していた。

暗闇に光る二つの目を描いたり
ベッドに眠る背後にナイフを手に持った黒い少年を描いたり。

僕は、描くことで、無意識にSOSを出している
僕は、描くことで、感情を整理している。

僕は、
『絵筆を持って歩いている』表現する僕を誰も止めないで。

脳天気かな 一番上の息子

ケセラセラ、なるようになる。

兄弟の中で僕が一番、健康な父と病気で倒れて障害を負った父のことを
知っている。

みんなが泣いている。みんなが困っている。
みんなが怒っている。みんなが諦めている。

だから僕はおどけてみせる。

ケセラセラ、なるようになる。
明日は、明日の風が吹く。
昨日までの思い煩いを今日と言う日に重荷を下ろして。
ケセラセラ、
明日もまた、ともに生きよう。

ただ歩く。
僕は歌いながら歩いている』








最後までお読みいただきありがとうございました。
こちらの作品は、
小牧幸助 様 のサイト
シロクマ文芸部の今週のお題に参加させていただきました。
素敵な企画、素敵な出会いをありがとうございます。













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