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【アイドルファンインタビュー#1】ももいろクローバーZ 「バトル アンド ロマンス」(まっすーさん)

はじめに

※(企画の#1ということで背景から書いています。長いので飛ばしてください)

コロナ禍になってから暇に明かして始めてみたnote。
毎日投稿していた最初こそ書評やお笑い、映画に音楽、果ては研究のことなどいくばくもない知識の残り滓を絞り取るように様々な話題を扱っていたものの、ライブアイドルに(再び)傾倒するようになってからはもっぱら「ライブレポート」が9割以上を占めるようになっていきました。

同じ曲でも日ごとに違った顔を見せるライブは変化に富んで良いものです。
ライブばっかりしているライブアイドルのオタクに「どこが良いの?」と聞いても「ライブに行けば分かるから!」と聞くだけ損だったみたいな返事しか返ってこないなんて”一般人”に言われたこともありますが、文章でもってそれを否定したい一方で、「見たら分かる」と言いたくなる気持ちはよくわかります。
ライブで得た臨場感を出来る限り収められればという思いでこうして文章を書いてはいるのですが、やはり「ライブ」は「ライブ」だから良いのであって、味覚以外の五感をフル稼働させて感じる体験は他の方法では再現不可能です。
書くことが苦痛ではないとはいえど、文字に再現することの限界を感じ、時に放り出して「行けば分かる」の6文字で済ませてしまいたくなることもあります。
百聞が一見に及ばないのであれば、果たして平面に打ち込まれた文字の羅列は一見の何分の一に相当するのでしょうか。

だからといって書くことを諦めたわけでもなく、むしろ意欲は高まり、もっと伝わる書き方はないものかと考える日々なのですが、ここで一つの企画じみたことをやってみようかと思い立ちました。

それが、「アイドルファンへのインタビュー」です。
グループのライブレポートを上げるたびに、(反応は極めて少ないですが)エゴサしたアイドル本人のみならずファンの方まで反応してくださることがあります。
ツイッターにいるフォロワーさんの一定数は、レポに反応してくださったことがきっかけでフォローするようになった方々です。
レポつながりの方々に構共通点がありました。
それが皆さんおしなべて「濃い」ということ。
遠方からまるで都内が隣にあるかのように自由に行き来する方。
いつ仕事をしているのだというほどライブに日参する方。
他に浮気せず一つのグループを一途にどこまでも追いかけている方もいますし、SNSでのメッセージや手紙など、愛情表現にとことんまでこだわる人もいます。
そもそも、見知らぬオタクが書いたライブ感想に目に見える形の反応を示してくれる時点で相当熱い方なのだろうなというのは伺い知れるのですが。
いつしかTLはそんなオタク密度の高い方達ばかりになりました。ありがたいことです。

浅くて狭い了見の自分では達せないような物知りの方たちばかり。
興味は次第に、そちらに向かっていきました。
どこかの機会で、濃いオタクの方々の感性に触れてみたい。
そう思うようになってきたのです。
noteを書いてきて2年半、220記事になりました。ほとんどライブレポです。
アウトプットばかりで何も取り入れてないことへの疑問もありました。

そろそろ、井の中の蛙を卒業するころではないか?
そんな中Twitterで「インタビューに応じてくれませんか?」と投げかけたのは、ツイッターにいるファンの方々の言葉を通して大海を覗いてみたいという思いからでした。

インタビューの内容は「好きなアーティストについて語ってください」。
材料として語りやすいアルバムやEP、一曲なりがあればそれも一緒に挙げてほしい。
自分と共通で好きなグループでも構いませんし、自分に新たなグループを”教えてあげる”というスタンスでも構いません。
「なんでもいいんですか?」とよく聞かれるのですが縛りはまったくありません。
今自分がターゲットとしている現役のライブアイドルグループでなくとも、語りやすければなんでもいいです。
インタビュー(というかおしゃべりですが)までに挙げてもらったアーティストを聞き込み、当日はおしゃべりの中で魅力について語り合っていき、互いの言葉を拾い上げて自分が後に文章にまとめる。
想定していたのはこんな流れでした。

かつてTBSラジオのワンコーナーで伊集院が仕切りの「週末TSUTAYAでこれ借りよう」という企画があったのですが、これが理想的なロールモデルかもしれません。
あらかじめおススメを挙げてもらってホストも予習し、会話で魅力を深堀していく。
「週末~」は映画でしたが、今回は特定のアーティストについて語ってもらいます。

「自分が語るなんてとてもとても...」と恐縮される方も何人かいらっしゃいました。
「インタビュー」なんて大げさに銘打ってしまったせいで身構えてしまったのかもしれません。
でもそんな大仰なものでも形式ばったものでもありません。
ごくごく軽い雑談から文字に起こすという、そんな程度のものです。
そもそも聞き手が素人ですから、鋭い質問なんてできません。
ありがちな「質問集」みたいなものを揃えて機械的にお聞きするわけでもなく、肩肘張らずに語り合いましょう。
そういう趣旨です。

自分がこのインタビューに期待していた目的はいくつかあります。
同じグループを応援するのでも、魅力の感じ方や伝える言葉のチョイスは人によって違うと思います。
この人!と推しメンを決めてその人としかチェキを撮らないような方と、(自分のように)特定のメンバーに肩入れすることなく出来るだけ広く見ようとしている人とでは同じライブでもまるで違う感想になるでしょうし、逆に全く同じシーンを印象的な場面として挙げることもあるはずです。
かと思ったらその理由がまるで違うことも。
音楽に正解はないはずです。
でも、色々な見方を吸収することで視界は間違いなく開けてくるはずです。
違いも共通点も含め、一度サンプルを集めてみたくなったというのが一つ。
そのため、推しが被っているグループの話題は大歓迎というか、正直求めています。
あえて避ける方もいたり「このグループのことはご存知だろうからもういいですよね」と仰る方もいますが、むしろ共通で好きなグループについてこそ語ってほしいのです

一度フラットにアイドルを見通したくなったという理由もあります。
いくつもアイドルを見るようになると経験の蓄積から変なバイアスがかかっていくもので、パッと見てちょっと曲をかじるだけでなんとなくパターンが分かってきます。
そんな狭い了見では語れない、奥深い家内制手工業のようなグループも確かに存在しますが、ワンパターンで量産的なグループがそれなりに存在するのも確かだと思います。
規模に関わらずです。
自分なりのものさしに従って選んだのが今見ているグループであり、目に触れる機会が少なくないにも関わらず通っていないのは(全てではありませんが)ザッピングしてしまったグループということになります。

そのものさしに大きな狂いはないと思っていますが、あまりに自分の感覚に頼りすぎるのもどうなのでしょうか。
先入観のせいで網にかからず見落としてしまっているグループだってたくさんあるでしょうし、第一印象はあまりよくなくても好きになろうとすることで音楽観も広がるはずです。
相対的な見方ができて推しているグループの見え方もより深まるかもしれない。
今年から足を運ぶ対バンライブの界隈を変えてみたり、一回くらいしか見たことがないグループのワンマンに積極的に行くようにしているのですが、それも外を知って知識を増やすための一環です。

他にも「あまりフォロワーさんと話すことがなく、インタビューにかこつけておしゃべりしてみたかった」などいくつも理由はあるのですが、ひとまずこのくらいにしておきます。

ツイッターでかけたのはあくまで独り言という予防線を張ったゆるい募集でしたが、アイドルファン以外も含め10人以上の方が真っ先に手を上げてくださりました。
ほとんど計画なしに走った企画ではありましたが、ご協力いただく意思を示してくださりありがとうございます。
中には「昔オタクとしてインタビュー受けたことあるよ」という方もいらっしゃいました。
皆さま個性的な方々ばかりなので、かなり面白いものになる予感がします。

相変わらず無駄な長文で前置きが長くなってしまいました。
ここから、インタビューの実際に移っていきます。
フォロワーさんを想定して始めた企画でしたが、その一発目はリツイートから興味を持っていただいた、いわゆるFF外の方でした。


インタビュー:ももいろクローバーZ「バトル アンド ロマンス」

一回目のインタビュイーはこの方。
ままままっすー(@massu_idlb)さん(以降まっすーさん)。
「プロアイドルオタク」とツイッターのプロフィールで謳っているのは、ただオタクとしての経験が素人のそれを遥かに超えているという”自称”ではなく、実際にアイドルに携わる仕事を”本業”としてなさっているからです。
現在25歳。
大学卒業後はライブハウスの社員としてイベントのブッキングなど裏方の仕事に携わったり、アイドルライターのアシスタントとして取材に同行したり文字起こしをしたりと、スタッフ経験は豊富です。
社員時代に自社で持っているウェブメディア向けに書いた一本の記事が好評で、アイドルメディア「セカイべ」にその一本だけでアプローチをかけてみると無事通過。
ライターや関係各所との折衝もしつつ、毎週火曜にはツイッターのスペース機能を使って「#ドル談」という面白そうなことをされています。

今は「アイドルシティ」という新たなアイドルメディアにも参画されたそう。
ライターなど募集されているようです。

「アイドルに携わる仕事がしたい」とは高校の時から漠然と思っていて、大学入学とともに大志をもって北海道の田舎から関東にやってきました。

漠然と夢を描いていた当時は、関係者に直筆の手紙をひたすら送りつけていたといいます。

「全部無視されましたけど」

紆余曲折はあったようですが、ひとまず今はその夢を実現できているのでしょう。
好きなことを仕事にする方は周りで見ても少ないです。
こちらが1聞けば10どころか20くらいまで語ってくれる口調にはよどみがなく、きっぱりとした意思のようなものを感じました。

まっすーさんの推しスタイルは、「気になったグループにとりあえず行ってみる
特定の推しはつくりません。
プロデューサー志望でないのはそのためです。
自身の立ち上げたグループにつきっきりになるプロデューサー業ではなく、広くアイドルを見られるライターや企画などの道に進んでいきました。

興味の広さは「#まっすーの年間100現場チャレンジ」というタグにも現れています。
最近では「#いいねくれたアイドルのライブ全部行きます」という消費者金融覚悟のツイートがバズっていました。
2月23日現在、いいね数を見てみたら1200超え。
アイドルだけを取り出してみると512がいいねを押したようです。
なかには海外拠点のグループもありました。
ただ幸い、インタビューの日はまだツイートを出す前。
本格的な忙しさがやってくる前にお話を聞くことができました。

仕事としてもオタクとしても数々のアイドルを目にしてきたであろうまっすーさんが挙げたのは、ももクロの一枚。
2011年7月27日にリリースの、1stアルバム「バトル アンド ロマンス」です。


天真爛漫さが好き

アイドルに目覚めたのは(ご本人曰くいくつか原点はあるそうですがそのうちの一つは)2010年。
中一のときでした。

「中高で札幌に出て、男子校の寮生活だったんですよ。隔離された。札幌とはいえ結構山の中だったので。」

「深夜、寮の友達の部屋に行ってAKBの番組観たり、CDを取り込んでウォークマンで聴いたり」

在宅のオタクから始まりました。
当時のお話を伺うと、北海道から出ていないはずなのに都内でバリバリオタクをやっていたかのような幅広い知識に驚かされます。
おそらくこの頃から、今に通じるアイドルへの視野の広さを持ち合わせていたのでしょう。
ライブに行っていない期間でも、ネットから相当アイドルシーンの情報を仕入れたのだろうなということが伝わってきます。

ライブデビューは、アイドルに興味を持ち出してからさして間が空きませんでした。
2011~2012年頃」のももクロです。

「芋っぽさが好きだったんですよ。当時はピアスしている子とか髪の毛染めている子とかが少し苦手だったんですね。でも当時のももクロはみんな黒髪で、なんか天真爛漫な田舎の高校生みたいな感じがして。それが一番最初に引っかかった。」

当時のももクロは元気いっぱいで弾けるような曲ばかり。
まっすーさんはそれも魅力と感じていました。
とりわけヒャダインさん作曲の曲はおバカで奇天烈なほうに思いっきり触れていて、そうした曲を飾らない同学年の女の子たちがはつらつと謳って踊る姿に惹かれていったといいます。
いまでもそのアイドル観は根っこに残っているそうで、「FES☆TIVE」や「Appare!」など近しい系統のグループが挙がりました。

自分から見たももクロ

今ではももクロのことをあまり知らない人が増えてきているといいます。
デビューから干支がひと回りしているから当然のことなのですが、自分としては時代ど真ん中。
ハマることはなくとも特に初めての紅白(2012年)くらいまでは表題曲くらいは知っていましたし、2010年代前半を駆け抜けていった様はアイドル好きとして遠巻きから眺めていました。
初めてももクロに触れた頃を思い出すと、2010年11月リリースの「ピンキージョーンズ」。
ラジオから聴こえてくる底抜けの明るさや、耳に伝わってくるカラフルな音はインパクト抜群でした。
当時YouTubeで検索したら、画質が悪すぎて誰が誰だか判別のつかないMVが出てきたのも思い出します。

「ももクロ」という存在が自分の履歴に入ってきたところで、年明け2011年3月に出たのが「ミライボウル」。早見あかりさんが最後に参加したシングルでした。
正直戸惑いました。
たくさんアイドルを知るようになった今でこそ冷静に受け止められますが、当時は転調やテンポの変化が凄まじいこの曲を受け入れられませんでした。
パロディーからタイトルが付いている「ピンキージョーンズ」もなかなかぶっ飛んでいたのですが、「ミライボウル」はその比ではありません。
当時AKBにのみハマっていたこともあり、性質を全く異にするももクロはイロモノだと片付け、(失礼ながら)ハマることは無いなとここで思ってしまったわけです。

そして4月に早見さんが卒業。
5人となってからまもなく、水木一郎アニキから「Z」をもらって「ももいろクローバーZ」に改名したのはテレビのニュースで目にしました。
アニキを交え「ゼーット」とポーズを取っている姿の記憶が何故か鮮明です。

改名後一発目は2枚同時リリース。
マジンガーZよろしく戦隊ものの格好で出てきた「Z伝説 〜終わりなき革命〜」もエポックメイキングな曲として非常に魅力なのですが、自分としては「D’の純情」が最高でした。
今度のコスプレは忍者。
「赤影」をパロっています。
世を忍んで暗躍する忍者にも関わらず、ももクロがなりきると目立って仕方ありません。
天真爛漫さが隠しきれず出ています。

ただ、ビジュアル以上に曲が良かった。
これまで聴いた中にはない、少しディープなサウンドに、とことん真っ直ぐな歌声が乗るとこれが純情というものかと気付かされます。
ストリングスのある曲に惹かれ始めた最初はこの曲だったかもしれません。

「好きなことはくるしくたって努力と感じないよ」

D'の純情

極めつけは百田夏菜子さんがソロのこの歌詞でした。
考えさせられる歌詞です。
この言葉の真意は、高一だった当時にはまだ考えきれなかったかもしれません。
しかし、何も考えずとも直感的に惹かれてしまいました。
相変わらずイロモノグループだという先入観は抜けなかったのですが、「やっぱり曲がいいよな」ともなりつつあったのがこのころです。

そうして7月に1stアルバム「バトルアンドロマンス」を出し、11月の勤労感謝の日には「労働讃歌」をリリース、年明け3月に「猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」」となっていくわけなのですが、どちらも曲の豊かさと歌詞に衝撃を受けました。
2曲とも、労働経験なんて無く、ろくな人生経験もない(こちらは今もですが)当時の自分にしてみればやや先走ったテーマだったはずです。
しかしながら不思議なことに、頭にネクタイを巻いてオレンジジュースを飲み(未成年なので)ホワイトカラーの酔っ払いを演じたり、「愛」なんていう重いテーマを背伸びして考え出す5人を見ると、ある種の共感にも似た感情が生まれてきたのでした。
歌うメンバーも、テーマの割にまだまだおこちゃまだった5人だったからこそ同年代の自分にもわかりやすく浸透したのかも知れません。

ここまでの記憶ははすべてルーティンで聴いていたラジオのヒットチャート番組とワイドショーの情報のみです。
大好きだったAKBのことは自らネット情報を漁り、ときに2chも覗くくらいオタクに染まっていくわけですが、同じアイドルでもももクロに関しては一般人と同じくらいの距離感でした。
その距離感の中で、改めてももクロの歴史を調べてみると意外なことに気づきました。
自分が知りだした2010年の頃からすでに、ライブアイドル界隈ではももクロは十分に売れた存在だったということです。
自分の中では2011年後半くらいからバラエティーに出だし、そのキャラクターからじわじわと名前を根付かせて紅白にたどり着いたという印象があったのですが。

「2010年、アイドル楽曲大賞の初代チャンピオンがももクロでした。『行くぜっ!怪盗少女』で一位。
まだ世の中には見つかってない時期だったけど、地下アイドルの界隈では評価されてって感じでしたね。
2011年はもう売れだしたんじゃないですかね。」

今でもライブアイドル界隈で知らない人は居ないくらい著名なものの、ライブアイドルなんて知らない方には全く浸透していないグループは数多くあります。
O-EASATやZepp、渋谷公会堂やスタジオコーストなど”一般”の人でも分かるような会場がフルキャパで埋まっているのにも関わらずです。
思っているよりも深い断絶が、ライブアイドルオタクとそれ以外の間には入っているということなのでしょう。
ももクロの過程を聞き、そのギャップを改めて認識させられました。

思い入れより原点

大事なことを聞き忘れていました。
まっすーさんはいつからももクロが好きになったんですか?

2012年の夏、「Z女戦争」の頃ですね(猛烈の次のシングル)。
だから、僕がファンになったときに「バトルアンドロマンス」はもうすでにあったんですよ。」

先程つらつらと自分のももクロ歴を語ってしまったように、オタクには思い入れを重視する人が極めて多いという印象があります。
そのため、選ぶ一枚も自分がハマって以降の、ともに走ってきたという思いで込みのチョイスなのかと思っていました。
まっすーさんの場合で言えば「Z女戦争」や2ndアルバム「5TH DIMENSION」などがリアルタイムでモノノフとしてしっかり観てきた一枚になるでしょうか。
とりわけファンになりたての頃に出たシングルには格別の思いがあるはずです。
それでもなお「バトルアンドロマンス」を選んだ。

「『5TH DIMENSION』はこれまでのコスプレして元気いっぱいやっているような感じから、格好いい曲を歌ってパフォーマンスでちゃんと魅せていくぞっていう決意をしたようなアルバムで、そこでまた次のステップに行った感じがあるんですよね。でも。」

「『バトルアンドロマンス』がなかったらそうした次へのステップもないし、何よりみんながイメージするももクロの原点を作ったのがこのアルバムだと思いますね。」

DVDで観たであろう2011年のライブも述懐します。

「今でも続く、毎年夏にやるでかい野外ライブがあって、『極楽門からこんにちは』っていう。2011年はその初回でした。
玉井詩織が初めてショートカットをお披露目したのもその時ですね。
登場して、Z伝説のヘルメットを取ったらショートだったっていう演出で。
ライブは水をぶっかけたり、「ココ☆ナツ」を初めて野外フェスでやったのはそれが初めてだったんじゃないかな。
Z伝説にちなんで悪者が出てきて戦隊ヒーロー的な演出があってやっつけてみたいな展開もあって。
だんだん日が暮れてきて、アンコールの後。
ダブルアンコールが起きたんですよあのとき。けれど時間の都合上でどうしてもそれには応えられないと。
メンバーは袖で嬉し泣きをしながら『ありがとうございます!私達はどうしても出れないけど、これからもっともっと大きくなって行くので、着いてきてください!』みたいなことを言ってすごく盛り上がった。」

「バトルアンドロマンス」のリリースは7月で「極楽門」は8月。
1stアルバムの曲はセットリストの中核でした。
まっすーさんは追体験したこのライブを「伝説」だとして、初期のももクロのハイライトだと言い切ります。
その象徴が「バトルアンドロマンス」でした。

ももクロの第一章があそこで完結したかなって感じになりますね。」

国立への成長曲線

そこからももクロは更に飛躍していきます。

「2012年に紅白に行っています。2011年は宣言したけど行けなくて、そのリベンジで。
バラエティだけじゃなくて音楽番組にもちょこちょこ出だしたかな。
そして、2014年に国立競技場でライブをします。」

2014年3月15,16日。改修前の国立競技場で開催された「ももクロ春の一大事2014 国立競技場大会~NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ~」のことです。
紅白の夢を叶えた5人の次のステップは、国立競技場でのライブでした。

「会場にジェットコースターを作ったんです。2日間のためだけに。それでメンバーがジェットコースターに乗って登場する、みたいな。
めちゃくちゃお金をかけてるライブで、「ももいろパンチ」っていうインディーズの一曲目の衣装で出てきて。それこそ和風の曲ですよ。
そこからシングル表題曲を順番に歌っていくみたいな演出があって、めちゃくちゃ良かったらしいです」

らしい?

「僕はその日、修学旅行だったんですよ。アメリカで。その時は向こうのショッピングモールで自由行動だったんですけど、向こうの時間の早朝に「あーそろそろ始まってるかな」なんて時計を見ながら。(修学旅行じゃなかったら?)確実に行ってました!正直休むことも結構真剣に考えたんですけど、アメリカだし流石に休めないなって。」

国立では、次なる目標をリーダーが語りました。
紅白に国立を達成したももクロ。その間も様々な目標を有言実行してきたはずです。
キャパ的にこれ以上はなかなかありません。
最高峰の山のてっぺんに立ち、見渡す限りそれより高い山はもはやありませんでした。
これからグループはどうなっていくのか。
その行く末を、計11万人超のモノノフが見守っていました。
聖火台のてっぺんで発されたスピーチは、未だ伝説になっているそうです。

「私達は天下を取りに来ました。アイドル業界や芸能界の天下ではありません。みんなに笑顔を届けるという部分で天下を取りたい。

「僕は最初は正直ピンと来てなかったんですよ。他のみんなも。笑顔を届ける天下ってなんだろう?みたいな。今までみたくどこかの会場でライブをしたいっていうのでもないし、どこに向かって応援したらいいいんだろうって言う風に多分みんな思っていたと思う。」

定量性のない目標は謎でした。
区切りがいいからとこれを境に離れる人もいたと言います。
果たして、ファンにクエスチョンマークを浮かび上がらせた「笑顔を届ける」とは何だったのでしょうか。

綺麗なまま紡いでいくのは難しい

「それからももクロは47都道府県ツアーを始めました。
箱は小さいんだけど今まであまり行かなかった地方に行って各地のファンに感謝の気持ちを届けたりとか。
あと季節ごとにやる大きなライブも東京ではなく地方でやるようになって。
自治体と協力して市長さんの全面協力のもとご当地の屋台を出したりしていました。」

ともすれば首都圏に偏りがちなライブを全国隅々にまで広げることで、日本を残さず笑顔にして元気にしてしまおうというのが次なる展開でした。

「そうすれば落ちていったとも思われないじゃないですか。
そこも戦略的に上手いし。それで2018年に東京ドームで10周年ライブをします。
2022年にはドキュメンタリー映画が公開されました。
これまでも国立の時にドキュメンタリーが出たんですが、それは過去を振り返る内容で、あくまで国立がゴールとした見せ方だったんですね。
でも今度は未来を見据えたドキュメンタリー。」

2022年11月には高城れにさんが結婚しました。
映画の中ではその話題も出たといいます。

「『私たちは結婚してもアイドルを続けるんだ』っていう話をめちゃくちゃしていて。
『誰が一番最初に結婚するんだろう』っていう話も。
そうしてファンの中に『メンバーの考えることなら尊重するし応援するよ』っていう土壌を作っていったんですよね。」

YouTubeに、映画公開に合わせて行われた4人へのインタビューが上がっています。
個人的には喋っているももクロメンバーを見るのは数年ぶりだったのですが、元気いっぱいで変顔をしてみたりするイメージが未だ残っていた自分は、そのギャップに驚きました。
自分と同じか年上の方に言うべき表現ではないかもしれませんが、ぐっと大人っぽくなっていたのでした。
喋り方も選ぶ言葉も、姿勢も、すごく上品です。
魑魅魍魎の芸能界でもまれながらも、すり減らずに育ったような印象を受けました。
インタビューは数えきれないほど受けてきたと思いますが、できるだけ喋る内容やエピソードが被らないように気を付けているのだと、コメント欄を見て知りました。

「ももクロの成長のドラマはすごくきれいですよね。地下アイドルでも、サクセスストーリーを追いかける魅力っていうのはあります。売れてないところから始まって大きい会場でのライブが決まってどんどんテレビにも出てって...でも、その流れを綺麗なまま紡いでいくのってめちゃくちゃ難しいじゃないですか。結局達成できず中途半端なまま辞めてしまうグループが多い中で、誰も欠けずにゴールまで走り抜けたっていうのが今でもあまりいないし、そこがすごいなと思う。不祥事を起こすことも、スキャンダルを撮られることもなかったし、サクセスストーリーが一番完璧なグループなんじゃないかな。」

何か新しいグループを見つけたとき、「坂道っぽい」「ハロプロっぽい」という表現はあっても「ももクロっぽい」という言い回しをあまり聞いたことがありません。
それだけももクロは、アイドル界で他に真似の出来ない独自の道を進んでいるように感じます。
そこは始めは、誰も行きたがらないような獣道だったと思います。
あえて険しい道を選んで切り拓き、走り続けているうちに一つの王道に変わっていきました。
しかしももクロの走る後ろから道はまたふさがっていき、次なるグループが通ろうと思ってももはや通れなくなっている。
ももクロの歩んできたストーリーにはそういうイメージがあります。

自分含めキャラクター先行で見ていた人は多いかと思うのですが、その当時から変顔や派手なことをしながらも内面にはプライドや誇り高さも感じていました。
キャラは立っているけど「何でもやります!」というその場限りで消費されてしまうような目立ち方はせず、5年後10年後も残れるようにどこかで線を引いている。
イロモノというだけで終わらなかったのは、下積みからの根拠があるのかなと思ってみていました。

アイドルの枠にとらわれず、まさしく唯一無二の存在となったももクロ。
30代に向かっていくこれからはどうなっていくのでしょうか。

「伝統芸能を目指していくとか言っていましたよ(笑)あーりんはプロデューサー業やってるし(浪江女子発組合)、リーダーは俳優としてもドラマに出たりもしているし、れにちゃんはお笑いライブやったりしてますね。
それぞれ個人としても全く別のベクトルで頑張りつつ、ももクロとして集合した時にはちゃんとライブパフォーマンスで魅せる、みたいな感じになってくんじゃないですかね。」

れにちゃんのお笑いは、永野と組んで濃いライブをしているようです。自分もYouTubeで見たことがあります。

「改修された国立競技場でもう一回ライブをしようっていうのも目指してますし。どこまででも行くんじゃないですかね。」

傷ひとつ付かない完璧なサクセスストーリー。
その原点は、震災の年にリリースされた底抜けに明るい「バトルアンドロマンス」でした。

「たまに年一回とかで聴くと、懐かしい気持ちと『ここから始まったんだなぁ』っていう思いはありますね。音も単純なので、田舎に帰ってきたような、落ち着く感じもあって良いなって思いますね。」


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