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私の中の西洋コンプレックスー2009年4月ヨーロッパひとり旅 no7 アムステルダム編 「You can help me」

*この記録は、2009年4月から1か月弱のヨーロッパ1人旅から帰った後、作成した小冊誌の内容を、旧ブログで公開し、その記事を再構成してnoteに移動したものである。

現在とは、ユーロ円の相場も、物価もかなり違う。日本でのアイフォン発売が、2008年にはじまったばかりで、スマホもなかった。ガラケーも電源を切ったまま旅行中は使わなかった。現在の海外旅行事情とは、状況が異なることを、お知らせしておきたい。



アムステルダム中央駅の前で、いきなり白人バックパッカーの男性に声をかけられた。こちらを見つめる視線が必死で疲れ果てている。
今夜の宿を探していて「どこか安いホテルを知らないか」と言っているようだった。

「わたしはさっきホテルの予約をしたところ、ダム広場の近く」
「いくら?」
「49ユーロ」
「高い…僕は15ユーロ以下で探している」
「ごめんなさい、わたしには助けられない」
「You can help me,10ユーロであなたはわたしを救うことができる」

わたしはその日の昼過ぎに、アントワープから国際列車タリスで、
2時間ほどかけて、アムステルダム中央駅に到着したばかりだった。

オランダ語表記、まったく意味がわからない人々の会話、おまけに、アムステルダム中央駅の前はイースターマンデー(復活祭後最初の月曜日、祝日)の催しでごった返していた。
 
駅前から、ホテルを予約したダム広場までの1㎞に満たない大通りは、観光客や家族連れが落としていった食べ物の包みや、残りかすが、散乱し、異臭がたちこめていた。

街の中心に位置する広場には、移動式の巨大な回転式絶叫マシンが
据え付けられていて、人々の叫び声が響き渡る。

裏通りに落ちている使用済みコンドームを見つけたときは、空腹と行き場のない怒りとで、もうどうなってもいいとさえ思っていた。

バックパッカーに声を掛けられたのはそんな矢先だった。
「You can help me? わたしのほうこそ助けてよ!」
と心の中で叫びながら、
「ノー、ソーリー」
とそのバックパッカーに応じた。

アムステルダム食べたものメモと、続きはこちら!


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