私の中の西洋コンプレックスー2009年4月ヨーロッパひとり旅 no5 ブリュッセル編「明日またね」
*この記録は、2009年4月から1か月弱のヨーロッパ1人旅から帰った後、作成した小冊誌の内容を、旧ブログで公開し、その記事を再構成してnoteに移動した、ものである。
現在とは、ユーロ円の相場も、物価もかなり違う。日本でのアイフォン発売が、2008年にはじまったばかりで、スマホもなかった。ガラケーも電源を切ったまま旅行中は使わなかった。現在の海外旅行事情とは、状況が異なることを、お知らせしておきたい。
ヴィクトル・ユゴーが「世界で最も美しい広場」と称したグラン・プラス。
市庁舎を中心として、15~17世紀のゴシックやバロック様式の建物で、四方が埋め尽くされている。
そして、300年の年月をかけて造られたゴシック様式のサン・ミッシェル大聖堂。これらの異質の文化の壮麗さには心を奪われる。
だが、旅の要素は観光だけではない。むしろ多くの人は、人々との交流も期待しているのではないだろうか、わたしもそうである。どの程度自分がその国の人に受け入れてもらえるだろうか、と考える。
グラン・プラスから、3分程度歩いたところにある「Hotel Opera」、シングル、シャワートイレ朝食ビュッフェ付60ユーロ、に2泊した。
入口の値段表には、シングル(シャワー、トイレ、朝食付)72ユーロとあるが、オフシーズンのため60ユーロ。部屋は、サーモンピンクのベッドカバー、白い壁、花柄のブルーのカーペットの組み合わせが可愛らしく清潔だった。
1日目の朝、すでに10時近くだったせいか、赤い絨毯、シャンデリアの瀟洒な食堂には誰もいなかった。朝食はビュッフェ形式。銀のトレイに整然と盛り付けられている、ハム、チーズ、クロワッサン、カフェオレをトレイで運び、隅のテーブルに座る。
しばらくすると、4人の中年イタリア人女性グループが入ってくる。白い皿に、あれやこれやすべてを載せると、陽気にお喋りしながら食事を始める。イタリア語なのでBGMのようで全く気にならない。むしろ、静寂から開放されて居心地がよくなる。
そこへよれたワイシャツに薄いブルーのGパン、白髪交じりの金髪白人男性がふらりと入ってきた。迷うことなくコーヒーをカップに注ぎ、すぐ近くの窓際のテーブルに座る。
わたしは、締めくくりにさらに何か食べようと、ヨーグルトを取り、2杯目のコーヒーを注ぐ。 その瞬間、彼がオランダ語でわたしに向かって声をかける。
「日本から?」と聞いているらしい。
「ええ、あなたはベルギーの人?」と英語で聞いて見る。
「英語話せないんだ。」と彼。
「ベルギーに住んでいる?」とフランス語で話してみる。
「フランス人だよ」
そこで、4月のはじめから約1ヶ月の予定でヨーロッパを旅行中であること、パリから出発したことを簡単に説明する。
「僕はパリじゃない、・・・出身だよ」(聞き取れなかった)
「ブリュッセルの人はやさしい?」
「まだよくわからないけど、たぶん。」
「パリは、はじめてだった?」
「10回くらい、行ったことある。」
「すごい、パリの人は優しくないよね、とても感じ悪い。」
「そんなことない、みんな感じいいよ」と皮肉っぽく言ってしまう。
「そう!?」と彼は目を丸くする。
やがて立ち上がり、わたしのテーブルまで来て「明日、またね」と立ち去った。
朝食後、旧市街をぶらぶら歩いていると、
オリーブ石鹸がぎっしり並んだ小さなお店が目に付いたので、ボディ用の石鹸を補充しておこうと店内に入った。無難なレモンの香りの石鹸を一つ選び、レジに持っていく。
オーナーらしい女性と高校生くらいの少年がいる。
「もっと小さなお金ない?」
と言われ、あわてて点検して、
「ごめんなさい、これしか持ってない」
と答えると
「はあ~っ」
と深いため息とともに、二階へ彼女はお金を取りに行った。
残された少年は、決まり悪そうにわたしを見ている。なかなか彼女は、帰ってこない。
「よかったらキャンディいかが?」と小さな籠を差し出す。
「ありがとう」
「僕のおすすめは、黄色だよ」
「そう、では」
と口に入れる。
「美味しいね」と心にもないことを言って彼を安心させる。
「でしょ?」
と嬉しそうに笑う。
例えばこの程度の会話だとしても、東京にいるときの数倍、心に浸透する。スポンジが水を吸うように、相手の言葉が、微笑みが、優しい眼差しが、触れ合いに飢えたわたしの心に染み込むのだ。
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