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恋と農業 光と水と風と循環

note初心者です。
2022.12.30初投稿なのに結構連投してる。
大好きなコトを人にも伝えたい。その欲求のままに書いています。土を触って10数年、土に教えてもらった事を伝えたい。ひょっとしたら誰かの役に立つかも知れない。でも一時に、すべてを書くことができない、細切れです。一応、主題の『恋と農業』で系譜を考えて、順序立てて書いてはいるつもりです。

『好き』から始まった農業だから『恋』とつけました。恋には、エゴがつきものです。そいから現実は、真逆の小汚いおっさんが書いています。まぁ、でも、変態っぽくって、マニアには、おもしろいかもよ。

ド素人農家

初夏の野菜たち

大抵の農家は、作物をどうしたらたくさん収穫できるか、とか、甘くて美味しくできるか?とか、病虫害を防げるか なんて事を考えながら農業をしています。その為に、圃場(田畑)の土壌診断をして、作物毎の窒素やカリやリン酸がどれくらい必要か?足りないモノをどれだけ補充するか、と考えています。もっとぶっちゃけると田畑の状態は、ほぼ気にもせず、農協や普及所が作った施肥基準を元に、均一的に田畑へ投入する肥料量を決めている農家さんも結構います。考える前に使う事が当たり前と疑問にも思わない感じです。

僕の場合は、各種の肥料成分量を気にした事が殆どありません。コレは就農前に農家で修業した経験もなければ農業学校で学んだ経験もない素人出身だった影響が大きいかも知れません。(面倒臭がりな性格もかなり影響をしています...)

そもそもが肥料自体を殆ど使用していません。現在は、米糠とぼかし肥(原料は、米糠と油粕と畑土)を最小限で使っているぐらいです。過去には、菌床堆肥(菌床キノコを育てた残りカスを発酵させたもの、北信州は、菌床キノコの栽培が盛んで手軽に手に入ります。産業廃棄物に近い扱い。原料は、木屑、コーングリッド、米糠、ふすま など)も使いました。油粕(年間で30〜40㎏くらい/畑は、休耕含めて1町歩くらいあります。)以外は、自農園産出か近場から入手をしています。肥料のカテゴリーに入るのか知らないけれど、緑肥(肥料≒有機物、にする為に育てる作物。イネ科とかマメ科の植物)は、輪作ローテに組み込んでいます。

※学習不足で肥料と呼ばれるものの範囲がいま一つ判っていません。化学合成肥料は肥料、コレは判る。家畜糞尿由来も肥料ですね。じゃあ、使ってないけれど堆肥は?米糠は?籾殻は?刈草は?緑肥は?野菜クズは?カキ殻は?肥料と言うのか?御免、よく知らない。

やり手ばばあ

それで作物は育つのか?と、よく言われますが、7年間 米と野菜を売って生活できるくらいには、育ってくれています。(低空飛行だよ♪)

夏の野菜たち

もっとも、どんな場所でも、どんな作物でも育つ訳ではなくて、作物の特性と畑の状態が無理なく同調できるように、周囲に生えている雑草やその葉色、容姿、土の匂い、前作の状態なんかから判断して、マッチングをしています。(お見合いやり手ババアみたいだな)

適材適所を選びながら作付けをし(よくミスするよ!)、循環の弱い畑は、少しずつ強くしてゆくことも同時に行っています。無理のない自然の変化は、年単位で時間がかかります。自然の森は数百年、数千年をかけて土を育んでいます。(4年間作付けもせず土を育てる事だけに費やした畑もあります。)その作業を言葉にして説明する事は難しくて、なんと言うか経験と感覚を頼りに、舵を取りながら進めている感じです。(何度も言うけれど、よくミスもするよ!そして、落ち込むよ!皆さんと一緒だよ。)

※家庭菜園をする上で、とても大事な助言をするね。
『上手くいった時は自分の手柄、ダメな時は天候のせい』にすると気が楽になるよ~。

give & take?

秋野菜たち(初秋だな、奥に茄子がある)

与えなければ貰えない、と考えている事が、そもそもの間違いなんじゃないだろうか?と思っています。森のドングリは、誰にも何もしてもらえないけれど、毎年たくさんの実をつけて、動物達を養っている。作物達も本当は、僕らにおいしく食べてもらいたい、と思っているのじゃないかな?アボリジニの民話にもそんな話が出てくるし、たぶん、きっと、そう。

エゴ(作物育てて、ご飯食べて行かなきゃいけないしね)で与えている肥料にしても『野菜に与えているのではなくて、土に生きる命に与えている』と考えています。肥料を圃場に入れる行為はおなじなんだけれども、どう捉え、考えているかで、細部は変わります。細部が変われば、きっと答えも変わってくると思っています。

土に生きる命に栄養を与えることで、命の循環を活性化させる。命と命は惹かれあうものだから、最初だけ、ちょっと背中を押してあげれば、あとは勝手にグルグル回る。グルグルまわっていれば、どこも不足する事はないハズなんです。たぶん。だって途切れないんだもん。

好きとか恋の前

光と水と風 それから循環

肥料のコトはあんまり気にしていない、代わりに、他のコトは、かなり気にしています。『光と水と風』のコトとか。

究極的には、作物は太陽光を変換して具現化(固定)したものです。どんなに良い土でも日照がなければ、作物は育ちません。注:人口電照で育つ植物工場の作物があるじゃないか!と言われそうだけれど、僕は、工業製品の話はしていない。尊厳ある生命としての作物の話をしています。(別に植物工場を否定していないよ。嫌いなだけ)

太陽光を変換するには、他の材料(栄養)も必要になる。それを体内に汲み上げるために水も必要、そして、作物が心地よく過ごす為には、風も必要。段々と風水易学みたいな内容になってきたけれど 光と水と風 が、如何に心地よく当たり流れるかを、いつも考えています。どれだけ無理のない状態で軽やかに循環し易くするかを考えています。その為に、作物の配置を考え、畝の方角を決め、高さを調整する。雑草を生やし、バンカープラントを植え、エネルギー(オカルトっぽい)が流れやすい圃場、留まり易い圃場、生まれやすい圃場を作る。

こんな風に小難しいインチキ臭い内容を気合を入れて書いているけれど、簡単に言えば『気持ちがいい空間』を育てる事を、日々がんばっています。誰が?僕じゃないよ。雑草や虫や菌や微生物や作物達がです。彼らの手伝いをするのが僕の役目で百姓の仕事。僕は、圃場の王様でもあるけれど、ただの庭師でもあります。主従で言えば、ただの『従』。付き従う者です。

机の前はもうおしまい。

農業をする上で、ある程度の知識は必要だと思う。でも感覚を信じて、田畑をやってみることもおなじくらい大切だと思う。人間は、脳味噌主導の生き物だから、意識しないと頭ばかりが大きくなりがち。頭と感覚どっちも必要。その擦り合わせがうまくいけば、野菜は育ってくれるんじゃないだろうか?トライ&エラーは農業の醍醐味。大丈夫、失敗したって死なないよ。イザとなったらウチからお米を買えばいい。僕も助かるし一石二鳥(使い方間違えてないか?)

畑が手助けを待ってるよ!

肩を壊す勢いで連投してるな俺。
現在、午前4時。馬鹿なのか?暇なのか?
農家は気楽で良いな~と思いなさるな、冬は雪で、する事があんまりないんです。その代わり春から秋までブラック企業もビックリするくらいに働いてるから!いつも冬はやることなくて鬱っぽくなるのだけれどnoteのお陰で今年は大丈夫かな?肩は凝るけれども、毒は吐ける。

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