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自分のことを知らないと、共感ってできないのね

今日は、学びをともにする仲間家族が岐阜から遊びに来た日。
同じまちで暮らす住人(仲間)が集まり、食卓を囲んだ。子どもたちを含み総勢15名で、盛り上がった夜。

互いのことを語り合う時間はあっという間。
どんな想いでどんなことをしているのか、その話を聴き、どんな気持ちが湧いてくるのか。
人それぞれに違っていて、それを語り合うのもまた愉しい。

わたしは、自分が伝えたいことを丁寧に伝えることが不得手だ。今日もそんな自分がいることを知り、湧いてきた気持ちは、「悲しい。」だった。
あぁ、こんなに自分のことを知ろうとして話を聴く人たちがいるのに、わたしはまだどこか心の奥底で伝えることを諦めている。
誰よりもわたし自身がわたしを大切にしていないことが悲しいと感じた。

それと同時に、わたしには自分がどんな体験をして、どんなことを感じ考えたのか、人にシェアしたい想いがあるんだ。
そんな実感が湧いて、わたしがわたしの力になりたいという意欲が湧き、ワクワクしている。

わかりづらいわたしの表現から、わたしの想いや考えをくみ取ろうとする人たちがわたしの傍にはいる。
いつか欲しかった環境が、今は当たり前のようにあるこの日常が愛おしい。

なかなか上手く表現できなかったり、本来叶えたいことに行動が伴わないことが多々ある。
そんな自分を知ると、今の職場(精神科病棟)にいる患者さんとなんら変わりのない人間だという実感が増す。
そして、同じ人間だけど、とても違っていることも知るようになる。

そうすると、同調ではなく、共感することができるようになる。
相手と自分が違うことを知っているから、相手の思考や状況、気持ちに対して共感が生まれるのだ。 
違いを知ることで、どうして相手がそんな気持ちになるのか想像を働かせることができる。

このまちにわたしを知ろうとする人がいるように、わたしもまた職場で、患者さんやスタッフのことを知り、共感する。
循環させていこう。


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