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「できるからやるんじゃないやるからできるんだ」って魅せられた日

昨日、とあるグループホームにて。
午後のゆったりとした時間に、入居者さんの爪切りをしていたときのこと。
Nさんの足の親指の爪が足の甲に向かって長くはえてきており、先端は若干皮膚にくい込んでいた。
さすがに家庭用の爪切りでは切れそうにもないし、触ると痛いと言う。なるべく早く皮膚科で処置してもらった方がいいと判断し、ホーム長に報告をしたその後。

Nさんの手の爪を切っていたら、「爪切りしてるの?Mさんの爪も切る?時間あるからやるよ。」と声をかけてきたのは、訪問看護のナース。
他のスタッフが、「それだったらNさんの足の爪を一度見てほしい。」と伝え、一緒に見る。
「これは、皮膚科レベルだね。」と言いながらも、「切ろうか?」と。

訪看用のバッグから爪切りを出して準備をし、「これ、難しいからね。慎重になるし俺も緊張するよ。」と話しながら、着々と爪を切っていく。

親指の皮膚を圧迫していた爪がきれいにとれたときのNさんの喜びようはそれはそれは嬉しそうだった。
ナースもほっとしたり緊張したりを繰り返しながら、爪を切っている様子。

慎重に切っていき、最後は随分とスッキリ。
「これで夜も安心して眠れる。」とNさん。

ナースの姿をみながら、美しいと感じた。
スキルがあるからやるんじゃなくて、「どうにかしたい!楽にしたい!」という想いがスキルを磨かせてるんだなぁ、というのが伝わってきた。

昨日は、「俯瞰する」というテーマを掲げていた。
その人の背景には、看護という仕事を通して、いやおそらく通さずとも、爪切りの場面のように緊張しながらも「どうにかしよう。やってみよう。」という想いを叶え続けてきた経験が豊富にあるのだろうな、と想像した。

怖さを持ち続けながらも、「どうにかする。やってみる。」姿は、美しい。

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