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母の介護のために移り住んだこの町で

そもそもこの海岸のある町に住もうと思ったのは、私の関係の業界のどの会社にも一時間でかよっることだ。ここは東北震災の時に液状化が多く電信柱が斜めになぅっていたニュース映像を今でも覚えている。ただ埋め立て地なので海抜は1~3メートルほどしかないがともかく平だ。この地に来る前は山間部に住んでいて母が下り坂で止まれずよく転び何回も骨折をしたので平ということを第一に住む場所を選んだ結果この町になったのだ。ここは30年と少し前に埋め立てたちが海岸側に続くのでどんなに長く住んでいる人も30年以上住んでいる人はいない。なので地域のコミュニティは薄く少し異様な感じがするぐらいだ。移り住んで一番の問題は、私の仕事だった。いろんなバイトをした。バイトでは、苦労はつきものだった。結局現在は自分の部屋から10分以内のバイト先を二つ掛け持ちでやっている。二つのバイトをうまくこなして一か月の収入を得るためのスケジュール調整は、困難を極める。母の介護は苦しみながら6年同居してしたが、私の精神に限界がきて今は歩いて20分ほどの施設で面倒を見てもらっている。
今一番の苦労と悩みは、バイトをいかに続けるかだ。いつまで続けられるか仕事が順調にこなせるか…悩みは尽きない。でも決して後悔はしていない。この町の中で何とかうまく生きて以降考えている。
移り住む理由、仕事、土地の成り立ちやコミュニティが一番なまなければならないところだ。仕事がこのままうまく続けられるといいのだが、頑張らずに生活しながら自然体で手探りしていくしかないだろう。

どこに住んでも手探りで生きる道を探すしかないのだ。
ただ東京湾といえど海があるのが、私の救いになっている。

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