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季語「雪催い」を詠んだ句より一句

湯帰りや燈ともしころの雪もよひ  永井荷風


 作者の永井荷風については、かって浅草にあったストリップ劇場「フランス座」の楽屋で踊り子に囲まれている写真が思い浮かぶ。フランス座は今では東洋館と改名し演芸ホールとなっていて、そのロビーに飾られていた記憶がある。戦後の一時期、荷風作の劇が上映され、本人も舞台に上がるなど話題になったのでした。

 荷風の人となりは風変りな人物として知られていますが、大実業家であった父の力でアメリカに事業修行に行かされて、フランス滞在の経験もあり、それが小説家、翻訳家、随筆家として活躍に生かされました。
 荷風は洋行によって得た欧米の文学や文化の知識を生かして著作活動をすると同時に、生涯にわたって江戸時代の文化や風俗に関心が深く関連した著作も多い。
 また荷風は遊里が好きで芸妓と良い仲になり、家庭を壊すような面もあった。玉ノ井と呼ばれた向島の私娼街にも久しく出入りしていた。そんな中から生まれた小説が「濹東綺譚」で墨田川東岸の物語という意味。
 老年になろうとする男と若い私娼との出会いと別れを描いた小説である。

 この「濹東綺譚」を主に他の著作も下地にした新藤兼人監督の映画「濹東綺譚」がいい映画でした。津川雅彦の永井荷風。奔放な若い娼婦、お雪役の墨田ユキはちょっとあか抜けない雰囲気が役にぴったり、大胆な演技でよかった。お雪の抱え主のお久役の宮崎淑子の黒メガネがまたいい。黒目メガネは昔の客とのもつれで顔切られているため。 
 映画では津川演じる作家が若い娼婦に惹かれながらも、結婚したいと無邪気にせがむお雪を裏切ってしまう筋建て。津川が鬱屈した老作家を見事に演じて印象に残る映画だった。
  
 さて、そんな「濹東綺譚」を書いた永井荷風の俳句である。
 銭湯でひと風呂浴びて、外に出て歩き始めると、辺りの家に灯りがともされ出しています。寒さが応えるのは湯上りのせいばかりじゃない。雪になる様子に寒さが増しているのだ。
 「雪催い」は季語で、雪になりそうな気配をいう。「今夜は雪になりそうだな」。ちょっと侘しく、でもそれが嫌ではないといった心持ちの伝わってくる句である。永井荷風はそんな生き様の人だった気がする。

 永井荷風は1879年〈明治12年〉12月3日 に東京都小石川に生まれ、1959年〈昭和34年〉4月30日)に亡くなった。文化功労者、文化勲章受章者。父久一郎は大実業家だったが、父の意に反し文学の道を歩んだ。

文:黒川俊郎丸亀丸


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