高校と大学の違い


1 はじめに

 2020年から続いた大学生活がついに終わってしまった。そこで本記事を通して、大学の人間関係について考察するほか、4年間を振り返りたい。

 本題に入る前に、執筆の前提となる私の経験を共有するため、自己紹介がてら中高・大学の特徴をまとめる。

<中高>
・中高一貫校
・1学年4クラス100人余り
・ディスカッションや実験の授業が多い
・男女仲が良い
<大学-基本的な生活スタイル>
・学科1学年100人弱
・1年生、2年生は授業選択肢が少ない
・3年生は授業選択肢が多い
・4年生は研究室生活
・男女仲が良くない
<大学-コロナの影響>
・1年生はすべての授業がオンライン
・2年生はハイブリッドが多数。オンラインのみの授業もあり。
・私は基本的にハイブリッド授業を登校して受けた。よって登校頻度は完全対面の半分程度か。
・みんな学校に来ない
・3年生、4年生は完全に対面

2 大学での人間関係に関する考察

(1) 問題提起

 中高では親しい友達以外でも多くの同級生と面識があり、交流を持っている。これは学年内で付き合っているカップルが多くいることからも分かる。また陽キャが学年全体をとりまとめ、一体感がある。

 これに対し大学では、イツメンで固まり、他集団との交流が少ない。これは学科内で付き合っているカップルがいないことからも分かる。また学科を代表する陽キャ勢力がおらず、学年の一体感がない。例えるなら西暦1000年頃の世界(国同士のつながりが少ない)、縄文時代や戦国時代の日本(集団が乱立し統一政権が存在しない)のようである。これでは出会いがない。

 具体的な違いを多く書き出すのは難しいが、中高と大学の人間関係構成の違いを実感している人は多いだろう。第2章では、この人間関係の違いについて考察する。

(2) 要因が改善されたらどうなるか

  大学で人間関係が形成されない理由として考えられる原因を7個書き出し、それぞれの原因が解消された場合にどれほど人間関係がよくなるか(=その原因がどの程度悪影響をもたらしているか)をシミュレーションした。

表-1 大学で人間関係形成を阻む要因

<1 イベントがあったら>
・一時的なそれでどこまで親しくなれるか不透明
・だが準備作業や練習を通じて仲良くなれる気がする

<2 学校滞在時間が長かったら>
 詳細は(3)で述べるが、大学は中高と比較して、キャンパスで過ごす時間が非常に短い。皆一緒の対面授業が増えれば仲良くなれる可能性があるが、バラバラであったり、講義形式であったりするなど交流のない授業が増えても人間関係は深まらない。

<3 クラス替えがあったら>
 中高で人間関係の攪拌に貢献したクラス替えは大学にない。私の大学にはクラスがあるが、それは便宜上の区分に用いられる程度である。同じクラスのメンバーは相対的に親近感がやや高いとはいえ、仲良くなったり一体感ができたりするわけではないので、影響の大きさを検証できない。

<4 授業がバラバラでなかったら>
以下の特徴を持つ授業があった。
・(ハイブリッドではなく)完全に対面になった3年生
・学科のほとんどの学生が受ける
・演習形式
 しかしその授業を通じて人間関係が深まらなかった。高校のクラスのような一体感を生むためには、後に述べる仮説6「教室の座席指定がない」が改善される必要があると思われる。

<5 一度に授業を受ける学生数が少なかったら>
 100人くらいの学生が同じ教室で授業を受けると、多すぎて学生間の交流は深まらない。この条件5が改善されても(受講学生数が減っても)、条件4(授業がバラバラ)が改善されなければ現実の3年生と同じく交流がない。また条件5が現状(受講学生数が多い)のままでも条件6(教室の座席指定がない)と条件7(講義形式ばかり)が改善されればコミュニケーションが生まれる。

<6 教室の座席指定があったら>
 教室の座席指定がないためにイツメンで固まってしまう。それに対し、中高のように座席指定があれば講義形式であったとしても知らない人としゃべりやすくなり、人間関係を形成しやすくなる。
 
<7 授業が講義形式ばかりでなかったら>
 大学ではただ先生の話を聞くだけの授業が多く(少しながらグループワークを中心とする授業があるが)、これでは同級生と関わる機会がない。中高のように授業中にコミュニケーションをする機会が多くあれば、確実に人間関係を形成しやすくなる。ネット情報だと高校が講義で大学が多様らしいのだが、私の経験上逆である。

 6と7が好条件だった(決められたグループで協力して演習問題を解く)授業があった。この授業では多くの人と交流を持つことができ、この形式の授業数がさらに増えれば人間関係が拡大されるように思えたため、この2つがもたらす影響が大きいと考えられる。ただしこの2つがすべてではない。例えば条件6と条件7が満たされても条件2の学校滞在時間が短いままであれば中高のような満足感は得られない。

 まとめとして、大学の7つの特徴はいずれも人間関係形成に悪影響をもたらしているが、特に「教室の座席指定がない」「授業が講義形式ばかりである」ことの影響が大きい。

(3) 学校滞在時間の算出

 (2)で述べたように大学はキャンパスで過ごす時間が短い。そこで(3)ではそれぞれの学校滞在時間を算出した。算出方法は以下の通り。

中高:1日の滞在時間×年間登校日数×在籍年数
大学1-3年生:授業1回の時間×授業週数×(卒業必要単位数÷2)
大学4年生:研究室に週20時間滞在するとして計算

 算出結果を図-1に示す。参考までに、扶養範囲内ギリギリまでアルバイトを1年間にわたってした場合の勤務時間を灰色で示す。

図-1 学校滞在時間

 大学で友達と一緒に授業を受けて過ごす時間(1-3年生)は、わずか中高1年分である。中学や高校の1年生が終わったら卒業することを思い浮かべてみてほしい。物足りない。授業中心の高校、自分で生活をデザインする大学という傾向が鮮明になった。

(4) 名前を覚える速度に関する考察

 上記に述べた環境の差が、顔と名前を記憶する速度(以下、記憶速度)に影響しているのではないかと考えた。そこで同級生の人数(大学は、覚えられた人数)を、記憶に要した期間(大学は、対面授業中心だった2年生・3年生の2年間)で除すことによって記憶速度を算出した。結果を以下に示す。

中高:約73人/在籍1年
大学:約34人/在籍1年

 中高のほうが約2倍速いという結果になった。しかし、同じ在籍期間でも学校滞在時間が大幅に異なることから、この計算方法には疑問が残る。そこで、人数を学校滞在時間(大学は2年生が平時の50%、3年生が平時の100%)で除すことによって記憶速度を算出した。

中高:約45人/滞在1000時間
大学:約87人/滞在1000時間

 学校滞在時間あたりで比較すると、大学のほうが約2倍速いという結果になった。中学生の頃と比べて現在のほうが社交的であることから、当然の結果である。大学は学校にい さえすれば名前を覚えられるが、学校滞在時間が短いせいで覚えられないといえる。

(5) 「高校は深くて狭い」「大学は浅くて広い」は本当か

 インターネット上では、「高校は同じクラスで過ごしイベントで結束するから、人間関係が深くて狭い」といわれる。しかし30-40人いる上にクラス替えを通じてより多くの人との交流が生じるので、広いと捉えることもできる。また30-40人全員と親しくなれるわけではなく、クラスが離れて疎遠になることもあるので、浅い(しゃべるけれど仲が良いというわけではない程度)と捉えることもできる。

 また大学は授業が皆違うから浅くて広いといわれる。しかしここまで述べたようの多くの人と親しくなれる環境ではない。浅いどころか深さ0である。大学はバイト・サークル・各授業で一緒になる人等、広い中で局所的にイツメンとして深くなるといえる。

 「浅い」等の定義によって変わってくるが、大学の方が深くて狭いと見ることもできるだろう。

 また卒業後は、当然ながら学校では会えない。すると、オフラインでの関係を深めるためには私的に約束して会う必要がある。そのためには、遊びに出かけられるほど仲が良くなければならない。盲点であった。

(6) 第2章のまとめ

・大学で友達と一緒に授業を受けて過ごす時間は、わずか中高1年分
・「教室の座席指定がない」「講義形式ばかり」を主とする特徴 → 大学の授業は(イツメン以外の人との)交流を生む性質のものではない
・大学は学校滞在時間が短いため同級生の顔と名前を覚えられないが、学校にい さえすれば覚えられる。
・見方によっては「高校は浅くて広い」「大学は深くて狭い」
・遊びに出かけられる程度まで仲良くなろう

3 大学生活の振り返り

第3章では、大学生の間に行なったいくつかの項目について振り返る。

(1) バイト

 バイトで人間関係を作るという事例もあるが、そうはならなかった。職場の雰囲気は良くなく、また仕事に集中しなければならない。ワイワイしてる場合ではなかった。

(2) サークル

 私はサークルに入っていなかった。第一に、高校が充実していて、少し休みたかったからである。第二に、学年のほうだけで大学生活は十分満ち足りるだろうと考えたからである。コロナが終わり学校が始まったら友達と一緒に入ろうとでも考えていたが、友達もサークルに入っていなかった。
  
 悩んだ末2年生の夏に加入したが、自由参加スタイルだったのと、まだコロナの制限があったため、十分に活動できなかった。4年生になり就活が終わってから参加したものの、同期がおらずやりにくかった。

 早い時期から運営チームで活動していれば、間違いなく人間関係を作ることはできた。ただその先に進めたかどうかはわからない。このようにグループでの活動が十分にできず、大学生活総じて自己完結だった気がする。

(3) 時間の使い方と学業

 授業の課題が残っていると私は気楽でない。だから、一刻も早く課題を全滅に追い込みたい。そこで私が行なった課題の進め方を図-2上部に示す。授業①の課題①が公開されたらまずそれに取り組み、なるべくはやく終わらせる。しかし課題①が終わるころには課題②が公開されており、これをなるべくはやく終わらせる。しかし課題②が終わるころには・・・

 これが学期の間ずっと繰り返されている。これにより、バイトもサークルも十分にしていないのに忙しいという不思議な日常ができあがった。

 これに対してみんなの課題の進め方(推測)を図-2下部に示す。課題が終わっていなくても、ほかのことをしていると思われる。課題の量は同じ(以下の図は課題にかける日数も同じ)なのに私よりも充実した日常が出来上がっている。

図-2 課題の進め方

 課題のない長期休暇は不毛な就活(他記事参照)や語学勉強(英語、中国語、韓国語)をしていた。

(4) 旅行

 高校生の頃、自宅から100km以上離れた土地への旅行(注)は一度もなかったが、大学生では10回あった。自由な時間がたくさんあり、また行動範囲が広がることは大学の大きなメリットであり、概ね満喫できたと考えている。
(注)修学旅行や親同伴の旅行を除く

(5) コロナの影響

 私たちは、大学入学から(いや、大学受験末期頃から)コロナ禍に突入した。最も大学生活がコロナの影響を受けた世代であり、感想を述べたい。
結論としては、影響は「少しある」。
マイナスに作用した点としては、

・大学の仲間と過ごす時間が短くなった
・長期休暇と感染者数の山が重なり(いずれも夏&冬)外出できなかった

ことが挙げられる。その一方でマイナスの作用がなかった点としては、

・コロナでなかったとして学生団体のような活発な活動ができたとは思えない
・当初からサークルに入る気がなかった

ことが挙げられる。課外活動に力を注いでいる同期もいることから、コロナが全原因ではない。また長期休暇と感染者数の山が重なったことによるメリットは、期末試験が対面と予告されていたものの直前でオンラインに変更になったことである。

(6) 成長段階と学校環境

 高校は人間関係が形成されやすく、また男女仲が良かったが、私は社交的ではなく内向きだった。それに対し大学は人間関係が形成されず、男女仲が良くないが、私は性別を問わず仲良くしたい。このように、私の成長段階と学校環境が合致していない。

 高校生段階で先のことを考え「大学は人間関係ができない」という情報にたどり着くことは難しく、また高校生でも晩熟な人はそういうものに興味がない。これでは、高校と大学が逆であるべきだと思ってしまう。

4 結論

 このように大学に対する不満をたくさん述べてきたものの、総合的には中高と大学は一長一短で引き分けである。

 中高の満足だった点は、性別を問わず親しくなれることと、生活が濃密であり思い出が多くインパクトが大きいことである。出会いのチャンスを逃し、大学に濃密な思い出がないことは痛恨の極みである。

 これに対し大学の満足だった点は、自由な時間が豊富にあることによって旅行や資格勉強などいくつかのことに取り組めたことなどである。

 これから大学生活を迎える皆さんには、希望を持ってもらいたい。


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