起立性調節障害で卒業できない~って泣いてたJKが23年春、大学卒業するよ🌸第2話


頭が痛くて学校を休みがちになった6年前

私が起立性調節障害を発症したのは、2016年の冬のことでした。今思い返すと私は小学校、中学と頭痛で学校を欠席するようなことがよくありました。小学生の時、何かのタイミングでお医者さんに「脳貧血の可能性がある」と言われたことがありました。それが何を意味するのか、当時の私にはわからなかったわけですが、今調べてみると「起立性低血圧」「脳循環不全」と出てきます。つまり私は起立性調節障害の症状が顕著に表れる2016年の冬より前からそのような症状を訴えていたのです。このことから私は突然発症したのではなく、なるべくしてこの病気になった、と捉えています。

さて、私が本格的に体調不良を訴えるようになったのは、高校生活にも慣れてきた1年生の2学期。ダンス部に入部した私はダンス部にとっての繁忙期である秋の文化祭を終えました。そこからしばらく軽い体調不良(頭痛、倦怠感、微熱)が出始め、学校や部活をちょくちょく欠席するようになりました。12月に入っても状況は変わらず、ある日の朝、母はしびれを切らして「学校に行くか、大きな病院で検査(血液検査、脳のレントゲン)してもらうかどっちかにしなさい」とぶち切れました。私は、ひとりで大きな市民病院を探しその日外来受診が可能な病院に診察をしてもらいに行きました。外来で、今の自分の状態と母親に検査をしてもらってくるように言われたと伝えると、そのお医者さんは「あなたは未成年だから保護者の方なしで検査することはできない」と丁寧に伝えてくださり、別日に母と受診することを決めました。
しかし、その日なんの収穫もなく帰ったのかというとそうではなく、実はその日こそが私と起立性調節障害の始まりの日だったのです。お医者さんは私に「あなた自身の中でこの病気かなと何か予想してきた?」と尋ね、私は「自律神経失調かなと・・・」と答えました。なぜ当時の私がそう思ったかというと、私のパンチの効いた母が自律神経失調症を患ったことがあったからでした。それに対するお医者さんの答えは、「私はこれだと思うよ。」。
パソコンの画面を指さし、そこには「起立性調節障害」の文字と説明が書かれていました。それを伝えられた時の私の感想は、「うん?これはなんか私にはあてはまらないな」でした。なぜか、私にはその当時は朝起きられないという症状はなかったからです。

母登場

そして、母とともに精密検査を行う日がやってきて脳のレントゲンとCTを撮りましたが、結果は驚くべきものでした。
「脳になんかできものがありそうですね」と言われたのです。
起立性調節障害か、そうでないにしても自律神経の何かだとばっかり思っていましたし、そもそも母は本当に私の怠けだとかんがえていたようなのでこの結果に驚いていました。
私たちはより大きな大学病院の脳外科に再検査で紹介されることになりました。また、同じ大学病院の小児科にも紹介され、脳腫瘍、起立性調節障害の二つの路線で疾患を探していくことになったのです。
ここまで行ったときはもう年の瀬。大学病院へは1月に行くことになり、病名が分からないまま年を越すことになったのです。
その当時の部活の仲間やアルバイト先には「脳にできものができたことが原因で体調不良を起こしています。」と伝え休んでいました。まぁ、皆さんの予想通り私の体調不良の原因は脳腫瘍ではなかったのですが、その時の私は知る由もなく・・・。
次回、「病名発覚」編をお楽しみに。

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