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<ACと家族・社会の問題>性教協ミーティング、スピーチ原稿 '21.03.21

<アダルトチルドレンと家族・社会の問題>     
               ACグループ「いやし・は~と」主宰 ひびき 

 人類として一番大切な事は(伝統でも、社会規範でも、古い道徳でも、宗教でもなく)「誰かが、誰かの心と身体を傷付けない」ということ。私の活動も人生も、この信念のうえに成り立っている。
(何百万年の人類の歴史の中で、この事が問題視されるようになったのは、つい最近)

 ACとは? 機能不全家族、つまり子どもが自分の存在や感情を認められず、安心して心身の成長をとげることができない環境で育ち、極度の生きづらさを抱えた『大人』の事。
 言い換えると、子どもらしい時期を過ごせなかった人→戦中・戦後を生きてきた人達は、子どもが子どもらしくいる事を、激しく憎む人も多い。

 機能不全家族とは....例えば下記のような状況がある家庭
・暴力、虐待(身体的、精神的、性的...)。両親間の暴力や暴言=面前DVは子どもへの虐待
・ネグレクト=育児放棄(親が子どもの世話をしない)
・過剰な干渉、支配、監視、親の勝手な思いからの子供への大きな期待の押し付け(教育虐待)
・子供には荷の重すぎる責任を負わされる…例えば家族の介護など(ヤングケアラー)
・親のカウンセラー(愚痴の聞き役=悪感情のゴミ箱役)をさせられる
 (親子の役割逆転=本来は、親が子どものカウンセラーであるべき)。
 
 ↑これらは全て、「子どもを、感情と意思のある、ひとりの人間としてみていない」ということ。
 機能不全家族は、そもそも親が異常なのだが、家父長制・儒教的価値観の中で、当たり前のものとされてきた(年配の方で、この文を見て「どこがおかしい!」と怒りだす人も多いでしょう)。

 ACは様々な問題と直結している深刻な問題。例えば虐待、DV、各種依存症、PTSDその他心身の大きな不具合、自傷行為や希死念慮、愛着障害、各種ハラスメント、貧困(生活困窮)、性被害や性の問題、いろいろな犯罪の被害者や加害者になってしまうなど。ひとりの人や、ひとつの家庭に、それら、あらゆる問題が山盛りになっている事も珍しくない。
 脳の損傷や、中枢性過敏症候群(線維筋痛症、筋痛性脳脊髄炎、慢性疲労症候群、化学物質過敏症、脳脊髄液減少症..etc=脳の機能障害との説あり)と呼ばれる、神経難病との強い関連がある。
 ACとは、人権、ジェンダー問題、社会、教育、福祉、歴史、法律、経済、などとも関わる、広く深い概念。
 
 日本は、昔からACを生みやすい国民性。
・ムラ文化、産まれた瞬間から周りの空気を読み、自分の心と身体を殺してまでも、周りや世間様に合わせる事を強制される。強い相互監視と相互干渉。つまり同調圧力。
・儒教の価値観
・明治から昭和22年まであった、家制度=家父長制。家族の中に完璧なヒエラルキー、上下関係を築く、いわば機能不全家族を作る法律。その家父長制が人権違反だという事で廃止され70年以上経った現在も、その影響は日本社会に色濃く残り、また若い人たちに再生産され続けている(法律、社会制度など、その頃のものが基盤になっている)。
 躾という名を借りた暴力や干渉、先程のヤングケアラー、親子の役割逆転などの事案を、この上ない美談として持ち上げ、問題として認識してこなかった、この国の空気が大問題(下の者が、全てを投げ捨て、上の者に尽くす事を最高の美とする、人権意識ゼロの価値観)。それを私は「上下の役割逆転」と呼ぶ。本来は上の者が、下の者を、優しく丁寧に、穏やかにケアし、育むべき。「私たちを超えて、若者が育っていけば」って、どうして思えないのか?=下の者のに対し、上に立つ自分のプライド
 実は ”自他のこころの痛み”に異常に鈍い国。根性論・精神論・日本軍精神が幅を利かす。人権・心の傷、という概念ができたのはここ十数年。
 「犬に咬まれたと思って...」「一晩寝れば忘れる」などは狂った迷信、一生続く心の傷は簡単にできる。ひとの心を全く理解していない。
 日本に徒弟制度はあるが、教育制度は無い。
ダークペダゴジー=殴る、怒鳴る、脅迫する、見せしめにする、皆の前で叱責、連帯責任、「飴と鞭」を使い分ける。

 明治以降の日本人が持つ「こうあるべき家族像」は非常に支配的、共依存的(家父長的・儒教的)=家族とは暴力隠蔽装置であり、強制収容所。
 私達の親・祖父母世代は、戦争(家族どころか、国自体が機能不全となる)で安心した子ども時代を送れなかったうえに(それを美談とする)、まともな人権教育や性教育も受けていない=AC。だからこそ、これから、それを認めて改善していけばいいのに...古い人たちは、家父長制の影響もあり、過去の苦しみや、心の傷や、間違いを認めようとしない。→若い世代は、自分をACだと認め、自己や家族の問題に真正面から向き合っているのに。

 AC、その他の暴力や差別の問題において重要な「2次被害」の問題。
「2次被害」とは、様々な暴力・ハラスメント・犯罪の被害者が、必死の思いで繋がった、医療関係者、カウンセラー、公的私的な相談窓口、警察、弁護士など司法関係者、自助グループ...などで、さらに人格を否定されるような言動で傷付けられる事。人権意識が薄い(被害者の現状を知らない。レイプ神話を信じている、など)日本では、被害者があちこちで、何ヶ所でも2次被害を受けがち。2次被害は、より深く、その人を傷付ける。
 
 日本は「被害者批判(被害者有責論)」が強い。「あなたも落ち度があった」「隙があった」と言って、皆で被害者を責める。本当は「何があっても加害者が100%悪い」。
「公正世界仮説」「自己責任」「因果応報」は被害者をさらに追いつめる。誰も幸せにしない。「努力は必ず報われる」=苦しんでいる人に、あなたの努力が足りないと批判する事

 家父長制は、女性蔑視のみではなく、子ども蔑視、下の者蔑視、弱い者蔑視。
家父長・夫+良妻賢母・母の組み合わせは子どもにとって地獄。絶対的孤独感。
同意の問題
外面だけでは、その人の人間性や家庭内の様子は分からない
(近所・友人だからと言って、その人や家庭が分かると思うのは、高慢な考え)
 

 私が、グループの基盤としている考え
「愚痴、泣き言、弱音、悲しみ、恐怖、怒り、憎しみ、劣等感、等を、安心して思いっきり吐き出せる事。そして、それを批判・否定される事なく、あたたかい雰囲気の中で共感的に受け止められる事」。
 ACの方々は、上にあげたような、日本の絶対的な家族神話のなかで苦しみ、その苦しみを口にすれば逆に「親不孝者」などと社会全体からバッシングされてきました。そういうACの方々は「自分の感じている事や、考えている事がおかしいんじゃないか」と悩み続けながら生きてきた訳ですが、自助グループに繋がり、自分だけではなかったと知り、そこで自分の人生を語り・仲間の人生の話を聞く中で少しずつエンパワー、力づけられていく。そういう場でありたいと思っています。
 
 社会・人間の問題は突然表れる訳ではない=原因があって結果が表れる(それが何年・何十年経って現れる事もあるので見えにくい)。

 上の世代や先祖は、少なくとも様々な問題(AC、虐待、DV、性被害...)をないものとして、問題対応してこなかった責任がある=世代間連鎖させてきた。
 私は、100年後、200年後の人に対して責任を負えるよう、自分の生きている間に問題解決の切っ掛けだけでも作りたい。

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