早川書房『ポストコロナのSF』

仕事の帰りに一駅前で降りて本屋に寄った。
なにか新しいものを読みたくなったからだ。

家の本棚にある「しばらく読んでない本」だとか「買ったきりで読んでない本」を読むのと、その日に本屋で買った新しい本を読むのは違う。
そのような読み方は、10年前の自分は良しとしなかっただろう。
1冊1冊ずつの地続きで「忠実」な読書を是としていだろうから。
それはある意味強迫的で敬虔な気持ちだったが、今はその為に読むと決めた長い本を読んだりで疲弊したくない気持ちのほうが強い。
自分だけのこだわりなんてものはいつ捨ててもいいし再開してもいい。
もちろんずっと守っているのもかっこいい。

新しく手に取った作品のほうが身が入る感覚については、
例えば「後で見る」に追加しておいた動画を見るのとホーム画面のおすすめに出てきて目を引いた動画を見るのとでは興味の入りようも違うのに通ずるところがある。

自分の場合 という大前提はあるが、
何かに対するやる気、もしくは「やってみようかな」という気持ちが起こった時、その瞬間こそが一番やる気があるのではないか?
と最近思い込むようにしている。
別にそんなに熱意があるわけでなくとも、思いついた今が最大値かもしれない。という疑いを持つ。
当然、「あとで見たくなるかも」だとか「やりたくなるかも」だとか考えることもあるが、それで最初より興味・やる気がわいたケースは記憶にない。もしくは少ない。

とりあえずやってる内に多少なりとも透明なやる気がわいてくるもので、30分ないしは長くて2時間程度はそれに打ち込むことができる。
(興が乗ってきたときにそのやる気を意識することはあまりないかもしれない)
一度それをやると「今日自分はやれたじゃないか」という成功体験のようなものになって、後日にも「あの時やれたしまたやるか」という気にもなるんじゃないかと信じたい。
それで嫌になったら、その時はじめて「今の自分には合わなかったのだ」と後回しにでもすればいいと思う。
少なくとも一度経験しているのだから自分に嘘はついていないはずだ。


新装ミニマルな太宰治の『人間失格』を手に取ったあと、SFコーナーで見つけた『ポストコロナのSF』という短編集が気になった。
こういう本は今見つけたこのタイミングを逃したら二度と気にかけることはなく、手に取ることもないような気がした。
棚に戻しては別の本を見たりして、同じ本を手に取ったりを何度か繰り返したあとレジへと持っていった。

第一、その時読みたい「これだ」というジャンルのものがなく、難しすぎなければよいというスタンスだった。

元々明治〜昭和あたりの作品を読むことが多く、あまり現代を舞台にした作品を読んだことがなかったが、以前中島らもの『永遠も半ばを過ぎて』という作品を読んで以来、その描かれるおそらく平成の世界への共感のしやすさというか、舞台となる時代と自分のシンクロ率の高さのようなものに打たれて現代を舞台とした作品への抵抗がなくなった。

結局のところ、自分の生きてる時代とのリアルタイム性が高ければ高いほど共感というものはしやすいのだと感じた。

自分が明治〜昭和の近代文学を好んでいたのはその時代の雰囲気が好きだったし、なんだか自分の「最大MP」が上がるような気がしていたからだ。

作品というのはやはり自分と時間的に近いほうが共感しやすいのではないだろうか。
時間軸的共感、同じ時代を描いていたという意味では作品の同時代人に勝るものはないだろう。
近代ひいてはもっと昔の文学の読者たちも、自分に近いからこそ、リアルだからこその楽しみがあったのではないかと思う。

もちろん、生きている時代が遠いからこその楽しみもあるだろう。
自分にとってアスファルト舗装されていない道や木造建築の立ち並ぶ町並みを和服で歩くという近代文学の世界はある意味ファンタジーだ。
現代においては(少なくとも自分にとっては)ある種コスプレのつもりで挑む感覚が必要だとすら思う。
そんな距離も人によってベストな作品が異なる理由の1つだろう。

家に帰って、部屋で『ポストコロナのSF』を開いてみた。
コロナ禍における作家たちの描き下ろし作品を集めた短編集となっている。
コロナ禍というテーマは2023年を生きる自分にはタイムリーな話だが、いずれ後の時代の人にとっては「当時」のひとつになるのだと思う。
一編一編は30ページほどの短編で、目次には現代日本のSF作家達の名前と短編のタイトルが並んでいた。

自分はあまり知らないので例えに出していいのかわからないが、なんとなく「同人」という雰囲気がした。
コロナ禍初期のあの空気感において「みんなで作品を出そうぜ!」と意気込む作家たちの姿が浮かんだからだ。

音楽、漫画、イラスト集などでも同じ事をする空気がコロナ禍初期には実際あった。
「同人」な空気が高まっていたように思う。

作家たちは夜にビデオ通話を繋いでそんな話で盛り上がったのかもしれないが実態はわからない。


1作目は小川哲氏による『黄金の書物』で、主人公がとある仕事を依頼されて淡々とこなすうちに…というあらすじだが、作中にコロナ禍そのものについての描写が出てくる。
現代を舞台とした作品を見たことはあるが、今もしくは直近で実際に起きたことが作中のテーマとなっている作品というのは自分は初めての体験だった。

過去にもペスト等の感染症を主題とした作品はあったろうが、自分はそこはリアルタイムではないため、いわゆるタイムリーな話題を挙げる作品はこんなにも共感というか、「ああ、あの話が出たぞ」と思わせるものなのかと衝撃だった。
そんな作品へのリアルタイム的共感というのはここまで強いものなのかという体験をして、こんなことを書きたくなった。


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