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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語①

はじめまして

はじめまして、
高校卒業後の半世紀の記録を書いていきたいと思います
脳の老化防止も兼ねていますので
一部にフィクション、妄想、記憶違い、思い込みありますが、
ご勘弁ください(;´∀`)
 
私は、昭和20~30年代に猛威を振るったポリオウイルスに
生後10か月で感染し
その後遺症で首から下はほとんどマヒがある
車椅子ユーザーです。
 
それでも3年前くらいまでは、
車を運転し、
フルタイムで仕事をし、
二人の娘を育ててきました。
障害のない人にとってはごくごく普通のことです。
普通の生活が夢だった私の挑戦物語にお付き合いください
 
キ~ンコ~ン、カ~ンコ~ン、
日当たりの良い南向きの教室に授業開始のチャイムがひびきます。
「きり~つ!」
「礼!」
午後の授業が始まりました。
 
ここは身体の不自由な子供たちのための県立養護学校
高等部3年生の教室です。
生徒は7名
 
今日は国語の授業
黒板に「10年後の自分」
と書かれています。
「10年後か、いったいなにをしているんだろう」
私は、思いあぐねていました。
「こうありたい」ではなく
「こうだったらできるかな」という考えで
「実家で英語塾を開いて、近所の子供たちにアルファベットのクッキーを焼いたりして、楽しい英語を教えている・・・」
というようなことを書きました。
 
でも、本当は
普通に大学に進んで、アナウンサーになりたかった。
そして、普通に就職をして、結婚して、母親になりたかったのです。
「でも、それは無理だよね」
心の中で呟きながら
 
進路相談が始まりました。
「どうしよう・・・」
このままだと職業訓練校か授産施設か在宅障碍者
「なにかちがう・・・」
 
そこで、思い切って挑戦してみることに
両親や先生に
「大学へ行きたい!」と
今思えば、当時としては(50年前のことです)けっこうな挑戦でした。
両親も学校もとても応援してくれましたが
結果は不合格。
「だめか・・・」
 
ところが後日、大学から1通の手紙が届き、
「当校では車椅子を受け入れる設備がありません、東北にある姉妹校は平屋で車椅子でも受け入れられるのでそちらへ推薦入学できます。」
とのことでした。
学力は合格していた!
本当に嬉しかった!
 
でも、行ったこともない東北の大学に入学するなんて想像もできず
「無理でしょ」
とあっさり辞退してしまいました。
 
父は
「○○子一人ぐらい全然養っていけるから、家でのんびりしてればいいよ」
と言っていたのです。
そして、実家での在宅障碍者の生活が始まりました。
家族はみんな仕事に、学校にと出かけてしまいます、
残された私は一人では何もできず、外へも出られず、
「あ~、これが現実だ…」
と誰もいない家で、ぼんやりと毎日を過ごしていたのです。


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