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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語㊴

「負けてたまるか」


夫が仕事から帰宅後、二人で病院に行き、
詳しい手術の内容を聞きました。
 
「がん細胞がどこまで広がっているかは、手術によってしかわからないので、
手術中に、切り取った部分をその都度検査にまわして確認しながら進めます」と医師は説明しました。
「しこりの部分とその周囲を切り取りつつ、なるべく温存できる予定ですが」とも話しました。
「がん細胞が広い範囲に散っていたら、乳房を全て摘出することになる可能性もあります」とも言われました。
 
「はい」
「はい」
そう頷くしかありませんでした。
「お任せします」
「よろしくおねがいします」
 
その夜はいったん家へ戻り、数日後
いざ、入院です。
 
「今度は、いつ帰ってこられるのだろう」
そう思いながら車に乗り込みました。
 
1999年4月ゴールデンウイークの直前に手術
当日は夫だけが付添、娘たちは母と妹が遊びに連れ出してくれていました。
 
「○○さん」
「きこえますか」
「先生、呼吸がもどりません」
「○○さん、息吸って」

その声に夢中で息を吸い、我に返りました
「終わりましたよ」
「気分はどうですか」
「あ、終わったんだぁ」
そう思いながら、また眠りに落ちたようでした。
 
次に気が付いたのは夜です
麻酔の管を通していたせいか喉がヒリヒリと痛み、
傷なのか、頭なのか、わけがわからないような痛みや何やらで
目が覚めました
看護師さんが頻繫に血圧や体温を測ったり、点滴を確認したりしています。
「痛んだら、痛み止めありますからね」
「我慢しないでくださいね」
「氷ならいいので、口に入れますか」
私は、我慢しないで何度もナースコールを押し、
氷を口に入れてもらい、
痛み止めを点滴に入れてもらい
最初の辛い夜を乗り越えました。
 
夫は夜遅くまで一人で付き添って、長男たつのりくんが一人で待つ家に帰り
どんな気持ちだったのでしょう
その時の私は自分のことしか考えられませんでしたが、
今は、何も言わない夫に感謝です。
 
「いかがですか」
「せんせい、やっと来てくれた」
手術のあと数日が経ち、体調もだいぶ回復し始めたころに
担当医師が病室に顔を出しました。
 
手術の経過
今後の治療方針
将来の見通しなど、
時間をかけて、丁寧に説明され、質問には全て答えてくださいました。
 
乳房の温存をしたかったけれど、取っても取ってもがん細胞があり、
全摘出せざるを得なかったこと。
けれども、リンパへは転移が認められなかったこと
ホルモン療法が出来るがんと、そうでないがんがあり、
どちらなのかは、まだ検査結果が出ていないこと。
ホルモン療法ができなければ抗がん剤治療になること。
その副作用など
 
納得して、挑戦です
幸い、ホルモン療法が出来るがんだったので、治療は服薬のみで済みました。
問題は腕の機能です。
無理はしないようにと言われましたが、車椅子に乗れるようになった日から
自主練を始め、なるべく元の生活に戻れるようリハビリも始めました。
廊下で車いすを漕いでいたら
「え、もう車椅子漕いでるの」
「すごいねぇ」
主治医の先生が驚いていました。

「負けてたまるか」です。


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