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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語⑧

女の子を産みなね、お雛様買ってあげるよ

「あのね、結婚したいと思うんだけど」
母にそう打ち明けたのは、よく行くデパートのレストラン
ひな人形の売り出しが始まっている頃でした。
「おめでとう、いいんじゃない、がんばれ」
うすうす分かっていたようで、母はよろこんで応援してくれました。
食事を済ませお店を出ると、華やかなひな人形の段飾りが所狭しと並んでいます。
「きれいだねぇ」
それを見て母は車椅子の娘に言いました。
「結婚したら、女の子を産みなね、お雛様買ってあげるよ」
わが母ながら、「あっぱれ!」と言いたいです。
思ってもみなかった母の言葉はうれしかったけれど
心の中で
「いや~それは無理でしょ」
とつぶやいたような…
どうだったかな?
 
当時は、結婚するときは仲人さんを立てるのが普通だったので、
私達も養護学校の校長先生ご夫妻にお願いし、
これも普通だった、「結納」という儀式も滞りなく執り行われました。

結婚式はまだですが、県営住宅の手続きのためには
入籍しなければいけませんでした。
なので、急いで夫の母に代理で婚姻届けを出してもらい、
昭和55年2月26日
私は、名字が変わったのです。

早速Sパイセンに報告したら、
 
「たいへんだ!2.26事件発生」と叫ばれ
おかげさまで、入籍日を忘れなくなりました。

念願だった車いす用の県営団地に入居が決まりました。
が、やっぱり現実は厳しくて、その新居は
なんと昭和30年代に建てられた
平屋の、今でいう災害時の簡易住宅のような長屋でした。
6畳と4畳半の和室、台所
そして、
汲み取り和式トイレ、コンクリートむき出しの冷え冷えとしたお風呂、
お風呂場に石鹼をおいておいたら、それをかじったであろうネズミが
一晩中屋根裏で運動会
それはそれはびっくり仰天な新居でした。
 
「2~3年後には建て替えが決まっているので、
今から入居していれば新築の団地に優先的に入居できますよ」
と県の担当者に勧められたのですが、
このままではとても生活できません。
とりあえず車椅子で暮らせるように
その時の有り金をはたいてリフォームを決行
住宅設備のバリアフリー化ということで市から補助金が頂ける予定でしたが、なんと
福祉事務所の担当者が申請書類を紛失してしまい、それをひた隠しにされ、1年近く待たされた挙句もみ消されて、
幻の補助金は1円も支払われず、泣き寝入りするしかありませんでした。
今では考えられませんが、昔の地方自治体はなんでもありだったのです。

さあ、次はいよいよ、大イベント「結婚式」です。
ここで、私の父の暴走が始まりました。
あ~、この先いったいどうなって行くのでしょう


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