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-√R(ルートマイナス R)と青春 

東の都会に向かう新幹線で、多摩川の手前に差し掛かると、必ず席を立ち、右側のデッキから流れる風景を小さな窓から見つめる。


40数年前、住んでいた木造2階の赤い屋根のアパートの窓を開けると、新幹線と東海道貨物電車が走る土手だった。
交通至便でトイレ・キッチン付き、日当たり良好。ただアパートがおんぼろであり、隙間だらけの木製窓から、日中は新幹線、夜は貨物電車の運行音が聞こえた。当然家賃は安い。
少し上流の川向は有名な高級住宅地だった。こちら側はその昔は華町があったそうだが、その名残はほとんどなく、庶民的な私鉄沿線商店街がある大変住みやすい街だった。

新幹線の窓から10年ぐらい前まではその赤い屋根が見えたが、今は違う建物が建っている。
あのアパートが見えなくなっても、土手の向こうの窓から、二十歳の青年がカーテンを開けこちらを見ている錯覚に襲われる。

まぎれもなく、彼は僕だ。

そう思った瞬間に電車は川を渡り、東京に入る。

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駅からこのアパートに帰る途中の小さな商店街のはずれにルートマイナスアール(√-R)と言うジャズスナックがあった。

 中上健次の作品の中の炸裂する暴力的なモダンジャズ、あるいは村上春樹のジャズバー で「鼠」 とビールを飲む「風の歌を聴け」の影響で、少しずつ耳になじむジャズのレコードを買い求めていたころだった。一方、アルバイト先の坂道を右に折れたところに 「ブレイキー」 と言うジャズ喫茶があって 、200円の黒すぐりジャム入りロシアン・ティー を飲みながら、かなりの音量で流れるモダンジャズをその道(ジャズ)の入り口のドアを開けたところなのに、訳知り顔で聞いていた。

 「√-R」の前を毎日通るのだが、敷居が高く中々入れず、店を遠目に覘きながら、新幹線で揺れるアパートに帰って行った。時々週末の夜になると、狭い店内でミニコンサートや ジャムセッションが行われているのが、ドアの小さな窓から見えていた。常連でもなく、この街に来て知り合いがいるわけでもない僕が、この小窓の付いたドアを開けるには勇気がいった。
そんな夏の昼過ぎ、お店の人らしき小ざっぱりした女性が、店の前を掃除して水を打っていた姿に親しみを覚えた。

 その夜、僕は意を決意してドアを開けた。

 昼間見た女性がママのようでカウンターの中から「いらっしゃい」と声をかけてくれた。まだ早い時間だったので他に誰もいず、僕はそのころ流行っていたソルティー・ドッグをお願いした。たまたま流れていたジャズは聞き覚えのあるコルトレーンだった。二言三言彼女と会話をしたのだろうが、40年以上前のことなので内容は覚えていない。記憶にあるのは、ジョンコルトレーンのサックスの音と、カウンターの棚に並んだサントリーホワイトのたくさんのボトルだ。ホワイトがメインなら、当時アルバイトで稼いだ小遣いで払えるだろうと思い、値段も聞かず、2杯目はホワイトの水割りを注文した、もちろんボトルキープで。

 コルトレーンから知らない演奏者のレコードに変わったので、店を出た。お会計3千円前後だった。その夜僕は大人になった気がした。そして、この街で暮らしていきたい、と思った。

 40年が過ぎ、車で遠出をする時以外は、音楽を聞くことはあまりなくなっていた。そして、その街には住んでいない。
ブルーノートのジャズのCDが、著作権が切れているからだろうか、通信販売でとても安く売られているのを知って、有名な演者のジャズナンバーを一度に「大人買い」で買った。最初に聞くのはもちろんコルトレーンだ。
「√-R」が蘇る。ホワイトのボトルが目に浮かぶ。
中上健次『破壊せよ、とアイラーは言った』 と、 村上春樹『1973年のピンボール』を本棚の奥からさがした。懐かしむだけじゃなく、今度はジャズのドアを開けて奥に入って行こう、と。

 60歳を回って懐かしの音楽を聞くと、「思い描く姿」になっていないことに悔んだり、若さを懐かしむのではなく、少しだけ豊かになれるものだ。この豊かさは言葉では言い表せないほど小さな何でもないものだけれど、僕は気に入っている。

 仕事や社会生活でくたびれているわけではないが、時々甘いものが食べたくなるように、CD盤をプレイヤーに入れる。
 甘いものと云えば、結構な山間の商店があまりないよう町にも饅頭屋を見かける、廃業している場合も多いが、それでも田舎町に看板を目にする。饅頭なんかなくても生きていくうえで困らないはずだ、なのに人は「甘いもの」を求め続ける。生物学的なものだろうか、それはわからないが、きっと音楽を聞いたり口ずさむのと同じこと事のような気がする。

 「人はパンのみに生きるにあらず・・・」意味するところの宗教的なことはさておき、生物として本能としての「生」なら、命をつなぐ食事だけでいいのだが、人間らしく生きていくにはケーキや饅頭、あるいは酒、音楽・芝居と言った芸術が必要であることは古今東西証明されている。

 若いころ思い描いたとおりに生きていける。そんなことを求める事はなくとも、ジャズやロックを聞きながら、饅頭を食えたら幸せなんだよ。
 







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