【短編小説】願いを白球に込めて
俺にはこの夏に欲しいものがある。甲子園への切符。
それから…。
地区予選準決勝でサヨナラ勝ちを決めた、師走高校野球部はけして強豪校とは言えなかった。
偏差値59程度の、進学校としても一流とは言えず、スポーツでもこれと言った実績は上げていない中途半端な学校だ。
先輩たちにも著名人と言われる人はおらず、Wikipediaの掲載も寂しい限りの学校だ。
まさか甲子園をかけた地区予選で決勝まで行くなんて、誰も思ってもみなかったことだろう。そして期待もされていなかったはず。
SNSでは同じ学校の3年生と思しき書き込みが相次いだ。
「受験の邪魔すんな」
「余計な事すんな」
甲子園の応援をしなきゃいけない数日間で大学に落ちるようなら、お前たちは3年間何を勉強してきたんだ?
俺たちは3年間白球を追いかけて、努力を重ねてきたんだ。
それを誹謗中傷することしかできない二流だから、お前らは高3の夏休みになって慌ててるんだ。
人の青春をとやかく言う前に、自分の青春とちゃんと向き合えよ。
明日の決勝に向けてのミーティングは顧問の檄が飛んで終了となった。
「君たちの積み重ねが今日の勝ちを連れてきた!甲子園は未経験のこの学校に、そのチャンスを連れてきた!
甲子園に行くぞ!受験のことなんか、明日から考えろ!甲子園に行けたら、その決勝の後に考えろ!
今までの努力を勉強に向ければ、必ず受験にもいい風が吹いてくれる」
監督もいない、素人の教師が顧問を務める野球部で予備校のような檄が飛んだ。
先生…俺たち勉強もちゃんとやってるよ?
「決勝進出おめでと」
ミーティングを終えて解散した後、俺は一人で部室にいた。
今日一日頑張ってくれたグローブをしっかり手入れしてから帰りたかったのだ。
一人だと思い込んでたから、その声を聞いたときは本気で驚いた。
俺が今年のピッチャーに選ばれたときと同じくらいに驚いたんだ。
その声の主は暗闇から現れた。
この部のマネージャー。俺と同じ3年生だ。
入部当初この部にはマネージャーが二人いた。一人は卒業してしまって、今は一人で部を支えてくれている。
「涼音、まだ残ってたんだ」
玉城涼音に声をかけて、俺は手を止めた。ちょうどグローブの手入れも終わった所だった。
「誰かさんが残ってるような気がしてね。はい、コレ」
涼音は俺に何かを投げ渡した。ゆっくりと放物線を描いて缶ジュースが飛んでくる。
「いやコレ炭酸じゃねーか」
受け取ったコーラは、見事な噴水ショーを披露して、部室の一角をベタベタにしてしまった。
念の為グローブをしまっておいて、本当に良かった。ホッとした俺の顔を見て、涼音はケラケラと笑っている。
入部当初は白かった肌が、今ではしっかり日焼けして褐色に輝いていた。
俺は今の小麦色の肌のほうが可愛くて、す、す、好きだな。うん。
入部した頃の涼音は野球のことも何も知らず、なぜマネージャーをしようと思ったのかもわからなかった。
1年生の地区予選を1回戦負けで終えたあの日までは。
その日で引退を迎える先輩たちへの送別会を兼ねて、部室でミーティングが行われ、俺たちは、コーラで乾杯した。
その時に先輩を見つめていた寂しそうな涼音の目。それはきっと恋する…いいや、恋に破れた女子の目をしていた。
投手をしていた先輩とマネージャーが手を繋いでいるのを見た涼音は、それから一言も発しないまま静かに部室から居なくなった。
俺もバレないように部室を出ると、表で涼音が座り込んで泣いていた。
「引退と同時に公表するとか、芸能人かよ」
俺はそう言いながら涼音の隣に座った。
この頃はまだ玉城さんと呼んでいたけど。
「私ね、先輩と同じ中学だったの。先輩が好きで追いかけて受験してきたんだ」
だから野球も知らないくせに、運動もしていない真っ白な肌で、野球部のマネージャーなんかしようと思ったんだ。
その健気さに、俺は胸の高鳴りを感じていた。補欠も補欠。部内で一番下手だと言われていた俺は、彼女と毎日のように話していた。
それはお互いに「部のお荷物」のような状態だったからかも知れない。
それでも彼女は部を辞めなかった。先輩がいたから。
それでも俺は野球部を辞めなかった。野球が好きだったから。
この日にもうひとつ俺が野球部を辞めない理由が出来た。
俺は野球部を辞めない。玉城さんが好きだから。
それから勉強と野球、どちらも手を抜けない日々が始まった。仮にも進学校の生徒だから、成績が落ちると部活の制限を受けかねない。
部活に支障を来さないよう、俺は毎日勉強した。大学も甲子園も諦めない。
そして彼女のことも。
2年生の夏が終わる頃、玉城さんは先輩の話をしなくなった。そして俺は彼女を涼音と呼ぶようになっていた。
だけど告白はしていない。それは彼女を甲子園に連れていけたらと決めている。
彼女が憧れた先輩のことを、俺がちゃんと超えてから告白するつもりだった。
2年生の夏も、俺は補欠のまま地区予選は2回戦で終わりを告げた。
3年生になって新入部員が入ってきた事で、俺の野球に追い風が吹くようになった。
俺は速球を投げるが、致命的にコントロールが悪く、ピッチャーをしても誰もボールを受け止める事が出来なかった。
外野ではそのコントロールの悪さがもっと際立った。何せホームにボールを返せないのだ。使い物にならない。
無駄に強い肩と揶揄されたまま、高校野球を終えるかと思われていた俺に転機が訪れた。
「先輩のボールを受けさせてください」
新入部員の一人がキャッチャーミット片手に俺に声をかけてきたのだ。
顧問の許しを得て、俺はマウンドに立った。
そして振りかぶる。俺の手を離れたボールは…。
ズバン!キャッチャーミットに吸い込まれるように叩きつけられていた。
俺のボールを取れたのはアイツが初めてだった。
「やっぱり…キャッチボールだと真っ直ぐ飛ぶから変だと思ってたんですよ」
後輩の南部が言うには、俺は本気で投げるとボールに独特の回転が加わるらしい。しかもコントロールが悪いことを、俺自身がかなり気にしているため、毎度握りが少しずつ変わって、回転が安定しないらしい。
だから狙ったところを大きく外れて飛んでいくらしい。
予測できない速球だから、誰にも捕れない。
「俺、元々プロを目指してリトルリーグから野球してたんです。
膝を壊して、諦めましたけど。補欠でも良いから空気を感じたくて…」
壊した膝は手術で完治したが、プロを目指すには遅れが出たからと、大学受験を目標に師走高校にきたらしい。
かくして俺のボールはメジャーリーガーもびっくりの速球として、名を轟かせた。
地区予選3回戦で勝利を収めた際は、SNS上で「何が起こるかわからない、魔球ぱるぷんて」なんて書き込みもされるようになっていた。
狙えるかも知れない…甲子園を。
「明日勝てば甲子園だね。気合い入りまくってたから、きっと大丈夫だよ。
明日も魔球ぱるぷんてに期待してるよ」
涼音が飛ばす檄ほど俺に有効な言葉なんてあるものか。
勝つぞ。明日。
俺にはこの夏に欲しいものがある。甲子園への切符。
それから…涼音に告白する勇気。
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