【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第5話-春、始業式〜瑞穂②

  朝のホームルームが始まるまでは地獄だった。貴志とのやり取りを見て周囲が瑞穂に同情的だったことなど、本人には知る由もない。知り合いがいない教室で初対面の相手の机を叩いて猛抗議した上に大粒の涙を流して泣いたのだ。気まずいことこの上ない。
 ホームルームで全員が自己紹介を済ませ、今は始業式のため体育館に向かっている。
「福原さん体育館の場所わかる?いっしょに行かない?」
 声をかけられたものの、24人クラスの全員など情報量が多すぎて覚えられたものではない。瑞穂は口の前にあわあわと手を当てた。慌てた様子に少女はすべてを察して名乗ってくれる。
「ごめんなさい、私は高島理美(たかしま さとみ)」
 名前を聞いて思い出す。
「あの森林浴と読書が趣味の?」
 顔と名前が一致していなくても会話の糸口だけは覚えていた。瑞穂から見て理美はかなり美人に入る風貌だった。
 セミロングの髪に淡い笑顔。童顔の瑞穂から見ると相当に落ち着いて見える外見に、口調も穏やかで大人の雰囲気を醸し出している。
「覚えててくれたんだね、ありがとう。
後で学校の中案内するね」
 穏やかな笑顔だった。まるで彼女の周りだけ月の光に照らされているように、穏やかな後光が差しているようだった。
「ありがとう。仲良くしてくれる?」
 屈託のない笑顔で瑞穂は、理美の好意を受け入れた。
 赤みがかったショートヘアーに大きな瞳、鼻は少し低めの瑞穂は、頭半分ほど背の高い理美の顔を軽く見上げている。
 静かな微笑みの理美とは対照的に、瑞穂の笑顔は花が咲いたように明るかった。センター分けの前髪から覗く丸い額がなんとも愛らしい。
「朝から大変だったね」
 小型犬のような愛嬌の瑞穂に理美が心配の声を向ける。
「その話題は気まずすぎるからやめて〜」
 わずか数回の会話ですでに馴染んでいる瑞穂だった。漫画みたいに目から涙が垂れ下がって揺れている。しかし口元は笑っていた。漫画みたいな逆三角形の口元だ。
「あの人、自己紹介でも炎上しまくってたけど…」
 北村貴志の名前を知ったのは彼の自己紹介の時だった。成績順で決まるクラスの4組だからと、クラスメート達全員に落ちこぼれと言い放っていた。落ちこぼれにとって中学3年生という時間は、受験に集中するべきときなので馴れ合うつもりはない。名前とその一言だけで、貴志の自己紹介は終わりだった。
 ホームルームの最後で担任から進路指導室への呼び出しを受けていたが、当たり前の事だろう。
「コミュ障にも程があるけど、あの人どんな人なの?」
 自分も被害者の一人だから瑞穂の言葉にも若干のトゲがあるものの、最初の嫌な感情はなぜか薄れていた。中高一貫コースの2クラスを除いては、4組は成績順で2番目。中高一貫コースの2クラスももちろん成績順で決まるのだが、その中に入る成績でも家庭の事情などで他校を受験する場合は3組に編入される。そのため2組と3組の間にはそれほど成績に差異がない。4組になるとさすがに2組の成績とはかなり差がつくものの、それでも全クラスの中では平均よりも成績は良い部類に入る。それを落ちこぼれ。
 クラスメート達にはもちろん、中高一貫コースを狙って入れなかった生徒もいるため、その一言はかなりの揮発性をもって爆発的にクラスメート達の怒りを燃え上がらせたのだった。
「どんな人…と、言われると…
あんな人かな」
 頬に人差し指を当てて首をひねった理美が、考えに考えて答えた一言。他に言いようがないらしい。ただ目元に戸惑いの色が浮かんでいたのを瑞穂は見逃さなかった。しかしその戸惑いに土足で踏み入るような瑞穂ではない。
 ただあんな人なんだと思うと、いらいらした気持が不思議と和らいだ。

 長すぎる始業式に嫌気がさした瑞穂は、今朝の事を反芻していた。
 ブレーキが効かなくてかなりのスピードでぶつかった貴志は、怪我一つしていなかった。あのときは気が動転していたが、よく考えると違和感があった。
 彼が言った通りに、自分は人を轢くのはだめだとハンドルを切ろうとしたのだ。しかし貴志にぶつかった。あの時貴志と一瞬目があったような気がした。一瞬の出来事なので確かではないが瑞穂が声を上げた時、貴志は立ち止まっていなかったか?車を確認してハンドルを切った瞬間に貴志の背中に自転車が吸い込まれていた。ぶつかった衝撃で自転車が停まり、瑞穂は両足をつくことができて彼女も怪我一つしていない。
 あの時は事故だと思っていたが、確かに瑞穂は回避行動を取っていたのだ。ハンドルを切って曲がり始めた後で、貴志の背中に正面からぶつかった。
 あれ?違和感の正体に気がつく。つまり貴志は、ハンドルを切った瑞穂に合わせてわざとぶつかりに行ったのではないか?なんのために?
 私が…車に轢かれないようにするため?
 まさか…ねえ?
 その後の悪態を思い出して、瑞穂は自分の考えを否定する。
 貴志は瑞穂に怪我をさせないために、わざと気付かないふりをしながら自転車を背中で受け止め、さらに自転車を直してくれた。
 瑞穂の頭の中で組み立てられた想像は、あまりにも瑞穂に都合が良すぎる、少女漫画のヒロインのような考えだった。
 首をブンブンと横に振って、瑞穂はありえない妄想を吹き飛ばす。
 しかしそれが真実だった事を遠い遠い未来に知ることになるとは、瑞穂はこの時想像すらしていなかった。
 ただ胸が少し、ほんの少しだけ熱くなったような気がしていた。

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