【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第10話-春、班決め〜理美

 晩御飯の調理が一段落ついて、貴志がダイニングテーブルに食べ物を持ってくる。
「パスタを揚げて塩を振ってある。甘いものを切らしてるから、とりあえずコレで我慢しろ」
 意外な特技を披露するものの、前髪に隠れた表情は誰にも読み取れない。台所にはラップに包まれたおかずたちが並んでいた。即席のプレッツェルに一番初めに手をつけたのは裕ではなく、瑞穂でもなく、理美だった。
「美味しい!塩加減が絶妙だね」
 その言葉を受けて全員が手を伸ばし、口々に絶賛したが、貴志は無言だった。無言で無表情なので反応は一切わからない。
 もし出会ったのが坂木さんより先立ったら、私はこれを食べたんだろうか?ふとそんな考えに至り、理美は首を振る。告白はしたものの、断られて実はホッとしていたのだ。貴志に対して好きだと気持ちをぶつけることに、理美は後ろめたさを感じていた。貴志が人に冷たく接するようになった理由に、理美だって無関係ではないのだ。貴志に告白すること自体が貴志を苦しめることも薄々感づいていた。少なくとも中学1年生の夏までに貴志を好きだと思っていた者すべて、貴志と付き合う資格を失ってしまっているのだと、理美は思っていたのだった。

 言わないまま想いを断ち切ろう。そう感じていた彼女の背中を押した人がいる。理美が今付き合っているという相手だった。
 まさかその彼氏よりも先に貴志に連れられてこの家に入るとは思わなかった。
 玄関から音がする。貴志の弟が帰宅したのだった。
「兄さんただいま、めっちゃいい匂い!ご飯ありがと」
 ひとつ下の弟が貴志に頭を下げる。そして、
「裕さんご無沙汰!また遊んでね!」
 裕に挨拶。裕が手を上げて応える。
「はじめましての方も、兄がお世話になってます!弟の悟志(さとし)です」
 他のメンバーに頭を下げて、全員の顔を確認する。最後に理美と目があった所で悟志が固まった。固まった…というより、見つめ合っている様子。
「理美さん、来るなら先に連絡入れていてよ…めっちゃ緊張するじゃん」
 悟志の物言いに裕の目が真ん丸に見開かれる。いや、貴志もだった。前髪の奥から隠しきれない驚きが漏れるに漏れている。
 北村くんもこんな表情をするんだ…
 感情のないマシーンのような印象を受けていた北村貴志の意外な表情を、福原瑞穂は見逃さなかった。
 なんだ、ちゃんと人間なんだ…
 なぜか安心する。でも今は貴志の表情以上に気になることが、あった。
 理美は静かに微笑んでる。
「ごめんね悟志くん、急に決まったから」
 その返事に場の空気が固まった。全員すでに事態を察してはいるものの、誰も言及できないでいる。
「いや、今日聞いたところだけど…まさか付き合ってる相手って…」
 貴志の口調が昔に近い口調に戻っている。いつもの皮肉めいた言葉選びも、地の底を這うような声も鳴りを潜めてしまっている。二人を指した指先が震えていた。
「進級前に悟志くんとお付き合いを始めさせてもらいました。
 はじめましてお兄さん」
 理美が戯けながら答える。固まっていた空気は爆発するように動き出した。
 裕と瑞穂がものすごい勢いで二人を質問攻めにしていく。
 よくよく考えると、この部屋で交際歴があるのは意外にも貴志一人だった。免疫がなかったのだ。

 同じ委員会で仕事をしていたのは貴志だけではなかった。学年違いの悟志も一緒に集まっていたのだった。
 理美の貴志に対する好意に、悟志は気づいていた。兄に起こった悲劇を弟も嘆いていたが、詳細までは聞かされていなかった。もしも兄が立ち直る機会を得られるならと、理美の背を押した。
 断られて泣いている理美を励ますうちに、悟志は初めての感情を知ったのだった。
 貴志に飛び火することがないよう注意しながら、二人は馴れ初めを話している。ほとんどが嘘にまみれていた。
 悟志は知っている。理美がまだ心の奥の方で貴志を想っていることを。
 理美は知っている。それでも悟志が自分を想ってくれている事を。
 お互いに苦しい胸の内を抱えながらも、二人は前へ進もうと手を繋いだのだった。

 大丈夫だよ。ちゃんと悟志くんのこと、好きだよ。それは本心。
 ただ少しだけ胸に刺さったままのトゲが痛い。貴志に対して、まだ好きだという罪悪感。悟志に対して、まだ手を握り合うこともできないでいる罪悪感。
 悟志はそれでも待つと決めたのだった。いつか自分の気持ちに応えられるように努力する。そう言ってくれた理美が、自分の手をちゃんと握り返してくれる日を。

 そうとは知らずに裕と瑞穂が二人をもみくちゃにしている。外ではまだ4分咲程度の桜を尻目に、リビングでは恋バナが満開に花を咲かせていた。

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