見出し画像

コミュ症の文豪とゴロツキ娘 第二話


 昼間清子さんに買って貰った百合の花の根元を剪って床の間に活けてみた。
夏目漱石の小説にも出てくるし一遍やってみたかったのだ。
それから百合を眺めながら沈思黙考、座禅を組んで瞑想に耽っていると何時の間にかウトウトと眠ってしまった。
そして夢を見た。

 吾輩と常太郎と大学時代交際していた美咲さんと雪子さんの友人の陽羽里さんと恩師の広田先生と五人で千畳敷の公園で花見をしていた。
たしか広田先生の発案でこの桜で俳句を詠もうということになった。
吾輩は色々捻り回した挙げ句、

 百年後誰見るしだれ桜かな

という凡句を詠んだところ長身の広田先生が「遠野くん、このメンバーの中で君ならきっと百年後もこの桜を見るだろうね」と言ったらみんなどっと笑った。
「いえいえ僕は不養生なもので。きっと百年後にこの桜を見るのは常太郎ですよ。何せ憎まれ小僧世に憚ると言いますから」
こんな冗句を言ったらみんな再び大笑いした。
広田先生の句は

 西行忌偲ぶ桜の下に猫

だった。なるほど一匹の白猫が居てにゃーと鳴いていた。
雪子さんの句はたしか、

 初桜あの裏山で待ってます

だったと思う。
これは一体恋の句なのだろうかと考えているうちに目が覚めた。
昨日まりあに恋バナをしろとせがまれたせいだろうか?
起き上がって床の間の百合をぼんやり眺めたり鼻を近づけて匂いを嗅いだりしていると突然襖が開いた。
背広姿の常太郎だった。
「やあ、君か」
「よう、起きたようだね。実は三十分ばかり前に来たんだが君が気持ち良く眠っていたもんだから茶の間で清子さんと世間話をしていたのさ。まだ寝てるようなら帰るつもりだった」
「何だ。起こしてくれればよかったのに」
常太郎とは中学からの古い付き合いで高校、大学と好むと好まざるとにかかわらず方々へ連れ回されたものだ。
吾輩と違って大変な社交家である。
大会社の営業部に勤めているがかなり自由が利くらしく、仕事中ふらりと我が家へ寄って話込んだりする。
勝手に冷蔵庫を開けて物を食ったりするのは甚だ迷惑なのだが、その代わり時々出張みやげと言って様々な食い物を持って来るので清子さんとは頗る仲がいい。
吾輩と真逆の性質を有しているのに何故か馬が合うらしく学校を出て高等遊民の暮らしに移っても変わりない付き合いをしている。
吾輩と違い快活な好男児である。
さぞかしモテるだろう。
他の友人とは音信不通になってしまった。
「君が居たからかな。大学時代の夢を見た」
「へえどんな夢だい?」
吾輩は先程の夢をかいつまんで説明した。
「そんな夢を見るなんて君、まだ雪子さんに未練があるんじゃないか?」
「いやそんなことはないさ。昨日まりあというゴロツキ娘が来てね。恋バナをしろとせがまれたのさ。それが無意識に作用してそんな夢を見させたんだろう」
「いいなあ君は。あんなきれいな娘さんに慕われて。姪の蓉子さんも中々美人じゃないか。正直君が羨ましいよ」
「何、君はあの娘の本性を知らないから。とんだ鼬娘さ」
「そうなのか?俺は一、二度顔を合わせただけだが礼儀正しいいい娘さんじゃないか」
「そりゃ猫を被っているからさ。それより今日は何か用事でもあったのかい?」
「まあ大した事じゃないんだか」
「じゃ客間へ行って話そうか」
床の間を出て客間へ向かう廊下で割烹着姿ではたきを持っている清子さんと出食わした。
「あら源ちゃん今お目覚め?常太郎さんと客間でお話ね。今お茶のご用意をします」
「いえいえお構い無く。勝手知ったる家ですからね。お茶ぐらい自分で出しますよ。お茶汲みはみっちり仕込まれましたから。何なら清子さんの分まで注いで差し上げます。お茶請けは清子さんの好きなとらやの羊羹ですよ」
「おほほほ。相変わらず面白いのね。でもお邪魔すると悪いから後でこっそり頂きますわ。ではごゆっくり」
清子さんに軽く会釈して客間に入る。


 椅子に座って待っていると本当に常太郎が茶と羊羹をお盆に載せてやってきた。
テーブルに恭しく茶請けを置いて椅子に座る常太郎。
一口茶を啜ってから話始めた。
「何、今日改まって来たのは他でもない。君にいい仕事を紹介しようと思ってね」
「断る」
「まあまあ話は最後まで聞き給え。君は昔から物を書くのが好きだったね。今でも小説を書いているんだろう。それで今日持ってきた話はね。Webライターの仕事さ。営業でWebライターの人と知り合いになってね。書ける人を募集してるって言うから君にぴったりだと思ったんだよ」
正直心が動かない訳ではない。しかし…。
「とても興味深い仕事ではあるがね。僕は人に書いたものを読まれるのが怖いのさ。自分の書いた小説だって清子さんや陽子さん以外には見せないようにしている。君になら少しは見せてもいいが」
「だって君、読者は君のことを全然知らないんだぜ。何なら俺の名前を使ったって構わんよ」
「まあそうなんだがどうも気になってね……君がこうして仕事の話を持って来るのは有難いよ。けどこれこの通り人間嫌いのコミュ症だ。いつまで意地を張れるか分からんが親の遺産があるうちは高等遊民を続けるつもりだ」
「そんなこと言ったっていつまでも無職のままじゃいれんだろ。財産が有るって威張ったって精神衛生上悪いぞ」
「なあに後二十年もすりゃそこら中、高等遊民だらけになる。君も今から孤独の修養を積んでおくといい」
「そうかいそりゃご苦労なこった。ライターはいいと思ったんだけどなあ」
「もしも路頭に迷う事になったらその時は頼むよ」
それから暫く世間話をするうち話はまた大学時代に戻ってきた。
先程吾輩が見た花見の夢はたしかにあった事のようで常太郎が覚えてくれていた。
「あの頃は楽しかったな」
「まあ君もまともだったしな」


 吾輩と言うのはもう飽きたので私と言うことにしよう。
雪子さんは同じ哲学科で広田先生の元で一緒に学んでいた。
元々常太郎と知り合いだったことがきっかけでよく口を利くようになった。
彼女は私より一学年上で歳は二つ離れていた。
一緒に哲学的諸問題について話し合ったものだ。
お互いに文学好き、歴史好きという共通点もあった。
そうこうする内に段々恋愛感情が芽生え出会って半年ぐらい経ってから私から告白した。
当初二人は順調に交際しているように見えた。
少なくとも常太郎はそう思っていたらしく恩師の広田先生も私達を似た者同士でお似合いだなんて目を細めて言っていたのだ。
しかし大学四年の秋雪子さんは堀田という知らない実業家の男と突如婚約してしまった。
私には何が何だか分からなかった。
元よりコミュ症である。
あれは単なる友人関係に過ぎなかったと思うより他ない。
まさに

 疑問だけ残して去った女かな

である。
それが理由で人間不信に陥った訳では決してないが恋愛に消極的になったのはたしかである。
二人の関係には間を取り持つ常太郎の存在が大きかったと思う。
二人はずっと無言のままでいられたし一度興味の焦点が合うと何時間でも話していられた。
雪子さんは私と同じような性質を有していて何となく理由を訊ねるのは憚られたし、向こうも訊ねられないのに話すのは躊躇われたのであろう。
にも関わらず結婚式の招待状は来た。
常太郎と広田先生は出席したようだが私は欠席してしまった。
そしてそれきり縁は切れてしまった。
今頃どうしてるかと思わないこともない。
昨日まりあに話そうと思ったのもこの事である。


 夕方常太郎が帰ってから、二階の書斎にて哲学的諸問題について思索に耽っていると玄関のチャイムが鳴った。
「は~い」と声がして清子さんが引き戸を開ける音がするや否や誰かが靴を脱いでドカドカと階段を登ってくる音がする。
これはまりあしかおるまい。
予期した通りガラッと襖が開いた。
「ばんちゃ~!おっちゃん元気?」
もう秋だというのにTシャツにショートパンツで太腿を露にしている。見るからに寒そうだ。
片手にはコーラのボトルを握り締めている。
「こらっ。今宇宙論と哲学の形而上学的融合について考えていたんだから静かにしなさい」
「ま~た小難しい屁理屈考えていたんでしょ。そんなもん犬も喰わねえよ」
「そんな事はない。この考察は人類の科学の発展にとってとても大切な事なんだ。物理学に四つの力有り。強い力、弱い力、電磁気力、重力。この四つの力を統一した理論を万物の理論という。さらに物理学には相対性理論と量子論という相反する理論がある。この二つが相反するように見えるのはまだ大統一理論を人類が見つけてないからで科学者は血眼になって日夜研究している。私はこれに哲学を融合しすべての事柄を説明しうる究極の理論を……」
「あ~もうストップストップ。おっちゃんの究極理論は後でゆっくり聞くとしてそれよか昨日言っていた恋バナは?あたしの小説のネタ!」
癪に障ったので
「それより言うことがあるだろ。昨日はよくも馬鹿にしてくれたな」と言った。
「ああ。昨日は悪かった。おっちゃんが原稿読まれるのが嫌いなのは分かってたけどさ。あたしも生理中でイライラしてたのさ。んでからかってやったのよ」
何故そうなるのか要領を得んがまりあに会うと三遍に一遍はそう言ってるような気がする。
仕方がないので昼間常太郎と話した事をかいつまんで説明した。
まりあは腕組してうんうんと頷いている。
「な~る。おっちゃんも色々あったんだねえ。で、その雪子って人どうなったの?」
「知らんよ」
「一遍さ。会って話してみたら。あたしも付いてくから」
「いや、それは無理だろう。先方も都合があるだろうし」
「何固いこと言ってんのさ。昔の学友だろ。久々にお茶しませんかって言えばいいじゃん。何なら興信所に頼んで雪子さんの居場所調べてみようか?」
「いや、何処にいるかは常太郎に頼めば調べてくれるだろう。しし既婚者だしそう簡単に会う訳にはいかんだろ」
「だっておっちゃんだって何でその人と駄目になったか知りたいんだろ?」
「まあな。あの頃は若かったしな。意地になって聞かなかったんだよ」
「あたしがうまく作戦考えておっちゃんと雪子さんが話せるような場面をセッティングしてあげる。雪子さんの居場所は常太郎さんに聞けば分かるんだね」
「ま、待て。やってもいいが飽くまで自然にだぞ。それに小説のネタにするのは無しだ。相手のプライバシーもあるのだから」
「イエッサー!」
まりあは敬礼のポーズを取るとくるっと身を翻しそのまま部屋を出て行ってしまった。
全く嵐のような娘だ。
大事にならなければよいが。
ふと机を見るといつの間にかコーラのボトルが置かれている。
話の聞き賃のつもりだろう。
可愛いことをするもんだ。
普段飲まないが飲んでみる気になった。
キャップを開けたらプシュッと音がして盛大に泡が噴射し顔を濡らした。
近くにいた白猫が「にゃ~」と鳴いた。

【続く】



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?