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小林秀雄作品「秋」の考察Ⅰ

一、作品中に流れる時間

小林秀雄の作品「秋」は昭和25年1月『芸術新潮』創刊号に掲載された。ここに描かれているのは小林秀雄の人生の秋である。二十年前、青年だった小林は中原中也から泰子を奪い同棲。三人は奇妙な三角関係でむすばれるものの、彼女が精神の変調をきたす。ある夜、いつものようにワーワーになった彼女のもとを小林は去り、奈良の志賀直哉のもとへとやって来た。それは春が終わろうとする頃だった。

奈良で過ごすうちに雑誌『改造』の懸賞評論を知り応募、昭和4年「様々な意匠」で評論家としてデビューする。批評家として活躍した夏、日本は事変に、世界戦争にとつき進んで行った。戦中は従軍記者となって満州、中国を訪れた。二十年を経て、戦争に敗れた国の古都、奈良の秋に再び立っている。作品「秋」に流れる時間は、二十年、人生の春、夏から秋への過ぎ去っって今も在り続けるいのちへの問いである。

作品には3つの場面、とその時間が描かれている。リアルタイム、回想の過去、作品執筆時、である。

リアルタイム① 昭和24年秋、奈良

「よく晴れた秋の日の午前、二月堂に登って、ぼんやりしていた。欄干に組んだ両腕のなかに、猫のように顎を乗せ、大仏殿の鴟尾の光るのやら、もっと美しく光る銀杏の葉っぱやら、甍の陰影、生駒の山肌、いろんなものを目を細くして眺めていた。二十年ぶりである。人間は、何と程よく過去を忘れるものだ。実にいろいろな事があったと(中略)
御堂の庫裡めいた建物で、茶屋をやっている。(略)ここにはよく昼寝に来たものだ。壁に古ぼけた絵馬がいくつもかかっている。(略)何だかおかしくて堪らなかった事をよく覚えている。(略)花札が燃え上がり、前で色男が仔細らしい顔で、やっぱり合掌していた。ちっともおかしくならない。それは、寧ろ謎めいて見える。」

千年を超える悠久の都、奈良に流れる時間のなか、昭和24年秋のその日、二二月堂に立って、二十年前の自分と向き合う場面である。二月堂はお水取りの一連の行事で大松明の夜、「修二会」で過去帳が読み上げられる場所。あまたの名の知れた人物の中に、名のない「青衣の女人」も読み上げられる。二十年前のあの女人も想起されもするのだが、それは程よく思い出され、とある。 程よく忘れている、と言いたいのだろう。

絵馬の博奕打ちは、終身勝負事を止める、酒と女は七年止めると誓っている。終身と七年と時間を区切っての禁止と色男の訳あり顔、昔はおかしかったが今は少しもおかしくないという。二十年で変わったのは、風景でも茶屋でも絵馬でもなく、見る者の感情だ。この小林には思い出だけが残っている。その思い出が示す時間とは何だ、その不思議に気持ちが止まっている。

回想の過去②昭和4年、夏

「この茶屋は、夏は實に涼しいのである。私は、毎日のようにここに来ては、般若湯を一本、恐ろし雁もどきの煮しめを一皿註文し、ひっくり返ってプルウストを讀んでいた。(略)當時、私は、自分自身に常に不満を抱いている多くの青年の例に洩れず、心の中に、得体の知れぬ苦しみを、半ば故意に燃やし続けていた。(略)
 プルウストに熱中していた伊吹武彦君(略)膨大な著作の初めの二冊を、私に持たした。(略)プルウストからただ般若湯と雁もどきを連想する始末である。(略)あたかも人生のほんのささやかな一かけらも無限に分割し得るという著者の厄介な発見を追うのにふさわしいように思われたが、いつもやがて気持ちのいい眠りが来た。夏は終わり、プルウストも二巻目の中ほどで終わった。」

具体的な飲み物(般若湯)、食べ物(雁もどき)をくっきりと示したうえで、抽象的な青年の「不満」「苦しみ」を自覚する姿、形、動き、時、が描き出されている。心の中に「得体の知れない苦しみ」を燃やし続けて、その後、それは燃え尽きたのか。苦しみの正体は、般若湯や雁もどきのように判然とした形を顕したか。具体と抽象が重なり合って言葉のイメージが絡まり合う。恐ろしく鹽からい味となって舌に残るようだ。

「夏は終わり」とは、中原中也の詩の一節でもある。さらさらと流れる、見えない流れ、体の中を流れる時間。
小林秀雄は昭和24年8月『文藝』に「中原中也の思い出」を発表している。
その文中に中也作品「一つのメルヘン」全文が、「彼のもっとも美しい遺品」として紹介されている。

「中原のことを想う毎に、彼の人間の映像が鮮やかに浮び、彼の詩が薄れる。詩もとうとう救うことが出来なかった彼の悲しみを想うとは。それは確かに在ったのだ。彼を閉じ込めた得体の知れぬ悲しみが。彼は、それをひたすら告白によって汲み尽そうと悩んだが、告白するとは、新しい悲しみを作り出すことに他ならなかったのである。彼は自分の告白の中に閉じ込められ、どうしても出口を見付ける事が出来なかった。」
「一つのメルヘン」
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
(中略)
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄 流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました

(「中原中也の思い出」)

さらさら、は粉のようなもの、砂のようなものの乾いたイメージを表す擬音語・擬態語だが、秋の夜に、太陽の光の降り注ぐ様をさらさら射す、と思い出す。光、音、水は、時の流れを歌っている。光の粒子は時間を測る。
中原の悲しみは、小林も共有していたものだ。鎌倉妙本寺の海棠の花の下で、二人並んで、「時間」は花を散らす順序も速度も決めている、なんという注意と努力だと思い、「厭な気持に」になったとき、黙って見ていた中原が「もういいよ、帰ろうよ」と言う。「お前は、相変わらずの千里眼だよ」と小林。二人は、何を共有したのか。おそらく、万物流転の時間、その法則性が引力とも運命とも名付けられて、人間にはどうしようもないものを突き付けて来る。それを受け止める感情を、一瞬にして分かり合ったのではなかったか。それが青春だったと、かみしめるように表現されている。

執筆の時③作品内部の時間

「「失われし時を求めて」―-気味の悪い言葉だ、とふと思う。・・・時間というものに関する様々な取りとめのない抽象観念が群がり生じた。あゝ、こりゃいけない、順序がまるで逆ではないか、プルウストは、花のにおいを吸い込むことから始めた筈である。私は舌打ちして煙草を吹いた。思いも掛けず、薄紫の見事な煙の輪が出来て、ゆらめき乍ら、光の波の中を、静かに渡って行った。それは、まるで時間の粒子で出来上がっているもののように見え、私は、光を通過するその仄かな音色さえ聞き分けたような思いがした。不思議な感情が湧き、私は、その上を泳いだ。」

昭和4年の夏は終わり、プルーストを二巻目(原著全9巻、1~2スワン家の方へ 3~4花咲く乙女たちのかげに)まで読み、「失われし時を求めて」を「気味の悪い言葉だ」と「ふと思う」そこから記憶が動き始める。

具体から抽象へと入り込んだプルウストとは順序を逆にして、抽象から具体へと出て行く回路に、時間という抽象観念が集まって来る、そこから具体的な現在時の煙草の煙が目に見える世界、昭和24年に戻ってくる。
時間を光の粒子で測る、たばこの煙を時間の粒子に喩えてみる。時間は何で測れるのかとの問いが続く。

抽象的に語られる「不思議な感情」が、小林秀雄の告白である。
たばこの煙が光の輪になって、光の波の中を渡って行く動きとそれを見つめる時間。確かにそこには時間が流れている。「私は、光を通過するその仄かな音色さへ聞き分けたような思ひがした。不思議な感情が湧き、私は、その上を泳いだ。」時間の中に身をゆだねる、泳ぎ、浮くような感覚、記憶からの解放感が書かれている。

執筆の時④時間について考える

「時間というものが、私たちの認識の先天的形式であろうが、第四次元という世界の計量的性質であろうが、どうでもいい事だ。(略)ある種の観念があって、その合理的明瞭化極まるところ、それは私達には、どうでもいいものと 化する。これは、どうでもいい事ではあるまい。(略)アウグスチヌスが「告白」のなかで、時間の理解から時間の信仰に飛び移ったのは其処だ。彼が言ったように、時間は人間の霊魂の中から、いつまで経っても出て行くことは出来まい。」

時間を、人間にとって生まれる前から知っていた認識の形と考えようと、抽象的、科学的な認識の形と考えようと、その認識の方法は「どうでもいいもの」だ。だが感じる時間は、どうでもよいものにしてしまえない。そこには理解不可能だから信じるしかない、というもう一つの感情の理論が成立する。未來とか過去とか、死後の世界とか万物の根源とか、時間は信仰を測る根源となるのではないか、という。

アウグスティヌスは人間の意志あるいは自由意志に関する思想で、後のショーペンハウアーやニーチェにまで影響を与えた。彼は人間の意志を非常に無力なものとみなし、神の恩寵なしには善をなしえないと考えた。また、アウグスティヌスの時間意識によると、神は「永遠の現在」の中にあり、時間というのは被造物世界に固有のものであるという。時間を超えるのが信仰だとすれば、人間の霊魂は感じるという形で永遠になるのではないか。

執筆の時⑤時間の表現は告白、回想

「上手に失った過去とは、上手に得る未来の事らしい。作者にしてみれば、或る奇妙な告白、死だけが止める事の出来る告白で、余命を消費しようという決心をした(略)豊かな内的な機能があって、決して外には現れない喜びや悲しみを、限りなく生産していたに違いない。そしてその事は、汲みつくし得ない意識を不断に汲む事を強制されている意識を伴っていたに相違ない。決して外に出たがらぬ意識とは、覚めていて見る一種の夢、(略)彼自身の全未来の姿の如きものとなって現前(略)自殺して了えばよいのである。小説家的才能(略)が、それを阻んだ。(略)「告白」が。
 無論、みんな私の勝手な空想である。(略)空想の自動的運動は、その抽象性による。(略)認識の先天的形式とは、カントの窮余の一策だったに違いない。彼には、形而上学の不可能というやり切れない予感があった筈である、と。」

告白を止められるのは死だけだ。心中にあり外に現れない喜び、悲しみ、自分の外に出たがらない意識、一種の夢とは、自分だけがわかっていると信じる自分であり、自分相手の告白は、告白である事さえも不確かなものにしてしまう。検証のしようがないもの。その辛さ、「自殺」するしかその自分を止めることが出来ない。

プルウストは失われた時を求めながら、そうした自分を告白することによって未来を創造している。そうしなければ、自分への問いという、意識を強制されている意識から逃れることが出来ない。
 「私の夢」「私の空想」は私だけのものではない。夢、空想は意識であって言語化できるもの、他者との間に伝わる形を取らざるを得ない。それはほとんど小林秀雄自身の、強制された意識でもある。「告白」をしない小林秀雄にとっては、「空想」を自分勝手に広げていく、「空想の自動運動」いわゆる言語ゲーム(ヴィットゲンシュタイン)に身を任せながら、これを形而上学として論理化することの不可能を、カントにならってというしかないとする。これもまた、抽象的になされた告白に違いない。


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