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もしもやり直せるなら



あの時は幸せだった
あの頃に戻れたなら

もう一回やり直せたなら
とか
過ぎたことは振り返らない
やり直せるなんてないし
とずっと思いながら
50数年生きて来た

将来の夢なんて中学生くらいまでかな
高校生あたりから
やさぐれはじめてたから
こんな成績じゃなににもなれない
って諦めて

母がとにかく事務員になりなさい
地元の会社の普通の事務員になりなさいと
呪文のように言うものだから
なんの資格もなかった18歳の時
「事務員になるにもいろいろ資格が必要なんだよ」
などと理屈こねて
専門学校に一年行かせてもらった

でもせっかく専門学校行くなら
ビジネス系じゃなくて
当時としては最先端なソフトウエアの勉強して、システムエンジニアになる為の専門学校へ行ってしまったから
そう、なんていうかシステムエンジニアって響きがカッコよくて
なんの仕事かも知らずわからず
どんな資格が必要かも知らないで
入学したものだから
一年の通学で取れた資格
簿記三級
だけ

偏差値の低い高校出身の私が
システムエンジニアなんかになれないんだわと確信させられた
それが解っただけだった気がする

卒業後、母が望んだ通り
小さな会社の事務員として
2年半働いた

電気屋さんとか洋服屋さんで働いていた
友達がなんとなく羨ましかった

事務所ってあまり明るくないし
おじさんおばさんばっかりで
20代なんて私だけだったし

私もお店で働きたいって思ったけど
自分の性格がそこまで陽気じゃないのは
わかってたから
接客の仕事はあんたに向いてないから
と母から散々言われてたし

あまり人前でニコニコできない子だったから
それだけで向いてないって決めつけられてたし

だけどやっぱり母は見抜いていたのかも

その後はクリーニング屋さんで洗濯物に品分けのステッカー付けと包装のアルバイトしたり
新聞販売店の事務員したり
建設現場の臨時採用の事務員したり

自分から人前に出る仕事は避けて
出来るだけ小さな事務所で経費の計算したり、
掃除やコピー、お茶だし
してる方が気が楽だったのは確か


結婚して子育てして
旦那の会社の事務員やって
巡り巡って

今は介護のお仕事

自慢じゃないけど
一番向いてない
心の底から言える

年齢的に
もう介護施設でしか
採用してくれない

介護のお仕事大好きなひとからしたら
大変失礼かもしれない


私の息子が重度障害者だから
今まで育ててきた経験から
多少はわかります
みたいなテイで
お仕事させてもらってるけど

正直
障害者は息子だけでいい

まさか仕事でも関わることになるとは

が本音


そんなことはつゆほど見せずに
現場では振る舞ってる


もしもやり直せるなら
システムエンジニアとまでいかなくても
小さな会計事務所で
会計ソフトに数字入力して
お茶だし、掃除、コピー
事務用品の買い物などなど
昭和で時が止まってるかもしれないけど
そんなささやかな事務員として
働きたかったなぁ


なんで結婚しちゃったんだろ
って思っても
時すでにお寿司なのである


Photo  
私の大好きな永遠の憧れ
次元大介

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