見出し画像

絶版本レビュー 第2回 フェリシア・ヤップ『ついには誰もがすべてを忘れる』

 今回紹介するのは記憶力の低い人ばかり出てくるSFミステリ。もし人々が完全な記憶能力を持っていたらという話が作中で何度かイフ的に語られるのだが、それが我々の世界とも異なることは回想の殺人ものを読むまでもない。

 Dミスの定例読書会の課題本を選ぶ時その本がある程度手に入りやすいかどうかが問われることがあります。必ずしも絶版本が推薦されないわけではないですし、実際の課題本となったこともあるように思いますが、とはいえやっぱり推薦しにくい絶版本。

 そんな中から面白い本を紹介しようという話です。Dミス会員であればどなたでも構いませんので、書きつぎしていただけると幸いです。あまりにも無味乾燥な企画タイトルなのでカッコいい企画タイトルも募集しています。

https://www.harpercollins.co.jp/hc/books/detail/12059

 作者フェリシア・ヤップはマレーシア出身であり、大学時代から現在まではイギリスを拠点として生活しているようです。本書は『本格ミステリ・ベスト10』での年末のランキングでも8位などそこそこ知られた作品なのではないでしょうか(1)。

 SF、パラレルワールド的な世界でのミステリなのですが、その特殊設定が非常にユニークなので、まずはそちらから紹介しましょう。世界の3割がデュオと呼ばれる人種であり、一昨日より前の記憶を持つことができません。残りの7割はモノと呼ばれ、昨日より前の記憶を持つことができません。デュオは1日分の優位からモノを見下しています。デュオとモノの間に子供が生まれると75%の確率でデュオになることから政府は「異階級(訳文ママ)」間婚姻を推奨しているにも拘らず、現実にそうする人はなかなかいないようです。

 このような現象の原因として作中では23歳になると短期記憶に作用するタンパク質の生産が停止してしまうという説が有力視されています。実際短期記憶を長い時間保持できなくなるのは大人になってからの話であり、子供時代の記憶なども登場人物たちにはあるようです。

 人々は誰もが詳細な日記を付けており(現在ではAppleの開発したiダイアリーを用いるのが一般的なようです)、繰り返しそれを学習します。繰り返し学習したものについては短期記憶ではないという扱いなのか、記憶に定着するようです。

 つまりこの世界の人々にとって大人になって以降の過去とはそのほとんどが当時の自分が文章に綴ったものを学習したもの以上のものではなく(実際にはモノもデュオも日記に綴ったことを学習できるのは70%程度と言われているようです)、その不確かさこそがミステリとしての面白さと言っていいでしょう。

 本作は4人の人物の視点を頻繁に行き来し、それぞれの日記が度々挿入されたり、日記だけの視点も存在する額縁小説のような構造も持っています。最後にこの4人の登場人物の組み合わせが非常に魅力的なので、少し細かく紹介して筆を置きます(変な終わり方でスミマセン)。

 まずはモノの女性。デュオの夫を持ち、常に夫から見下されていると感じています。
 次にその夫。デュオの男性。小説家であり、最近は政界への進出も目論んでいます。
 そして自分は生まれてからの完全な記憶を持っていると自称する謎の女性。彼女の視点はすべて日記で構成されており、小説家と肉体関係にあったことが述べられています。
 最後に刑事。女性の遺体が川に沈められていた事件で小説家を疑っています。またモノでありながら、出世のためにデュオのふりをしています。

 ちなみに訳者あとがきによると、いまだ向こうでも刊行されていないようですが、続編『today』の刊行が予告されているとのこと(本書の原題はyesterdayでした)。案外特殊設定ミステリは2作目以降が通好みかもしれない(2)。そんなことをDミスの管理人がシリーズとしての虚構推理のすごさを語っているのを聞いて最近考えたりしたので、これにも期待してるのですが。

(1)本書について個人的には、読者を驚かせるような志向など本格要素もあるものの、ジャンル的にはスリラーではないかなと思います。
(2)その設定で考えられる限りのネタを詰め込んだシリーズ化など度外視の1冊も捨てがたいのですが。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?