【初学者のための世界史(幹)】4-2.冷たい戦争-冷戦-
前回は、大戦後の世界体制は国連中心に平和を維持したことを解説しました。
今回は、アメリカとアメリカ指導に待ったをかけたソ連との対立である冷戦について解説します。
冷戦
対立構造は、アメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営です。
資本主義陣営は自由を、社会主義陣営は平等を目指しますから根本的な考え方が合わず対立しました。
両者が直接戦争を起こして、血を流すことがなかったことから冷戦と呼ばれています。
資本主義陣営には、イギリスやフランスがいます。
社会主義陣営には、ポーランドやハンガリーがいます。
つまり、ヨーロッパ内でも対立が起こっていたのです。
このような対立状況を、第二次世界大戦でイギリスを引っ張ったチャーチルは「ヨーロッパに鉄のカーテンが降ろされた」と形容しました。
両陣営は、仲間内の団結を固めるために軍事同盟や経済協力体制を仲間内だけで構築していきました。
資本主義陣営がマーシャル=プランという、アメリカ資本による経済復興を進めました。支援を受けるには当然アメリカの仲間入り。というか子分になります。「お金を貸すからいうこと聞けよ」ってことです。
これを受け社会主義陣営は、コミンフォルムを設立しました。
「アメリカの狙い通りにするものか!」として、社会主義側は団結を強めました。
逆に今度は社会主義陣営がコメコン(COMECON)という経済協力体制をつくると、資本主義陣営は軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)で対抗しました。
どっちかの陣営が団結を固めるともう一方の陣営も負けじと団結を固めようとして、アメリカ側とソ連側の対立は深刻なものとなっていったのです。
敗戦国となったドイツは戦勝国によって占領されましたが、ここでも両陣営の対立が見られました。
西ドイツは資本主義側、東側は社会主義側が占領することになったのですが、ベルリンも同じように半分にしたのです。
上の図を見ると明らかですが、西ベルリンは取り残された離島のような形となってしまいました。
社会主義陣営は、西ベルリンを封鎖して兵糧攻めを行い、降伏したところで仲間に引き入れようと画策します。
資本主義陣営は助けに行きたくても、どうしても社会主義陣営の陣地に入らないといけませんから、西ベルリンの救助は難しそうに思えます。
「陸がダメなら空から」ということで、空輸による物資輸送に成功し見事西ベルリンの危機を救いました。
この後も長らくドイツは分裂状態にあり、有名なベルリンの壁が築かれました。
資本主義と社会主義の対立はドイツだけではありませんでした。
そもそも冷戦とは熱い戦争と言われる血を流す戦争ではないのですが、冷戦中にも血が流れ死傷者の出る戦争は起こっています。
次回はその一つである朝鮮戦争について解説します。
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