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【初学者のための世界史(幹)】2-12.教会の権威

前回は、第二次民族大移動のノルマン人の大移動について解説しました。
今回は、教会と皇帝の関係について解説していきます。


様々な民族が入り込み、強大な力を持つ王がいなかったヨーロッパはとても不安定な状態でした。こうした状況において力を持つのは、宗教です。
将来がどうなるか、明日の命の補償すらない中で、「祈るだけで救済されますよ」と簡潔に答えを出すのはとても威力がありますね。
教会はメキメキと力をつけ、次第に世俗化し金と権力にまみれていきました。

修道院(聖職者の修行場)の僧は、「人々を救うという目的から大きく外れていないか?」と教会改革運動を起こしました。

ベネディクト修道院


クリュニー修道院のグレゴリウス7世は、「皇帝が聖職者を任命するから腐敗するんだ!」と主張し、神聖ローマ皇帝のハインリヒ4世と対立しました(叙任権闘争)。
ハインリヒ4世は自分の都合のいいように聖職者を任命したりとまじめなグレゴリウス7世は許せませんでした。
我慢の限界を迎えたグレゴリウス7世は皇帝の破門を宣言しました。破門とは、キリスト教世界からの追放を意味し、つまりはヨーロッパ世界からの追放を意味しました。
グレゴリウス7世を守るものは何もなくなったので、教皇の下に謝りに行きました(カノッサの屈辱)。皇帝が雪の降る三日間裸足で祈って許してもらいました。

カノッサの屈辱


この事件は、王権に対する教皇の優位を決定づけることになりました。

教皇権の絶頂期を迎えたのはインノケンティウス3世の時代でした。

インノケンティウス3世


インノケンティウス3世


彼の時代は、「教皇は太陽、皇帝は月」と言わせるほど皇帝に対して上位に立っていました。

この権威も十字軍の失敗が響き大きく低下しました。

十字軍


十字軍のきっかけは、イスラーム勢力のセルジューク朝がキリスト教国のビザンツ帝国に侵入したことに始まります。

ビザンツ帝国を助けようと第一回十字軍が結成され、セルジューク朝が油断したこともあり聖地イェルサレムを奪還し十字軍の勝利。

第一回十字軍


しかし、またすぐにイェルサレムを奪われ第二回十字軍を結成。これは失敗に終わります。

第三回は、アイユーブ朝の優しいサラディンのイェルサレム占領に対しケ江精されます。
この時のキリスト教側は、

・赤ヒゲ王・・・神聖ローマ帝国のフロードリヒ1世
・尊厳王・・・フランスのフィリップ2世
・獅子心王・・・イギリスのリチャード王

という、いかにも強そうな名前の皇帝を揃えました。これも十字軍が負けました。強いのは名前だけでしたね。

第四回は、教皇の絶頂期であったインノケンティウス3世が提唱しますがこれも失敗します。

第四回十字軍

言い出しっぺの教皇の大戦略である十字軍がことごとく失敗に終わったことと、教皇の権威は低下。反対に、実際に戦った皇帝の権威は上がりました。

この後、フランス王フィリップ4世によってローマから無理やりフランスに連れて行かれたり(教皇のバビロン捕囚)とすっかり弱くなった教皇でした。


次回は、中世のフランスとイギリスについて解説しています。前回も触れましたが、現在のようにイギリスとフランスとしてはっきり分かれていませんでした。いろんな出来事があって今の形に落ち着きました。

最後までご覧いただきありがとうございました!


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