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012.万博の華「錠前開けコンテスト」

そんななか、アメリカ産業界から、イギリスなみの広大な展示スペースの要求がとどいたことで、事務局はおどろかされます。はたして会場を埋める展示品があるのか、博覧会事務局の心配のタネでしたが、いざ、幕を開けてみると、予想に反して、アメリカの人気がしだいに高くなっていったのです。

アメリカ人気の原因は、展示品の新規さにありましたが、もう一つ、同国の人気を高めたのは、会場内で開催されていた錠前開けのコンテストにあったそうです。

当時、各国の技術力を目にみえるようにして競わせるイベントとして、博覧会場で錠前開けのコンテストが行われていました。前掲の『アメリカ職人の仕事史』によるとコンテストはこんな仕組みで行われました。

(1) 各国は、自前の錠前を出品する

(2) 同時に、錠前製作の技術力をもった最高の技術者を派遣する

(3) 各国技術者は、他の国が出品した錠前の錠前開けにチャレンジする

(4)各国の技術者が、出品された錠前開けにチャレンジして、

①最後まで開けられない錠前を作った国が技術力の高い国、

②出品された多くの国の錠前を開けた技術者が、最も技術力が高いエンジニアに選ばれる

というわけです。

競技は会期を通じて行われました。

毎日のように、今日は、どの国の錠前が開けられた、どこの技術者がどの国の錠前を開けた、というニュースが話題になって来場者の人気をあおり、会期が進むにしたがって盛り上がったそうです。

そしてこのコンテストの結果は・・・、①錠前の堅牢さでは、アメリカ製の錠前が最後まで開けられずに残り、また、②開錠の技術力では、難攻不落を誇っていたイギリス製の錠前が最後にアメリカの技術者に開けられてしまったことで、アメリカの技術がひときわ注目される結果に終わったのです。

「博覧会場では、イギリスが生んだ最も評判の高いプラマー錠を、鍵なしで開けた者に200ギニーの賞金がかけられた。これを『イギリスの錠ならどんなものでも2,3分で開けてみせる』と豪語して乗り込んだアメリカ人技術者G・ホップスが、さすがに2,3分というわけにいかなかったが、7月24日から取り掛かって8月23日についに開けてしまった。この大ニュースはただちにロンドン中に広まった。一方、彼が持参したニューヨークのデイ・アンド・ニューウェル社製のホップス錠、および、やはりニューヨークのへリソグ社が展示した耐火金庫の錠にも賞金がかけられたが、これは誰にも開けられないで終わった。ホップス錠が人の手で開けられるのは4年以上後のことである。」(前掲①『アメリカ職人の仕事史』)

これで一気にアメリカ・パビリオンの人気が沸騰し、万国博覧会は多くの観客を集めて大成功に終わったそうです。

ヨーロッパ諸国から後進国と思われていたアメリカ産業界が、こうして第一回万国博覧会で世界に向けて華々しいデビューを飾ったのでした。

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