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076.高度なものづくりを生む環境

報酬を当てにせずに仕事を行う、これを経済学的に未熟というべきか、成熟というべきか、その判断には、いろいろな意見があるでしょう。
かつて日本の政府は、道徳的な意味も含めて国民に「浪費をつつしんでつつましく暮らす」ことを奨励してきましたが、いまでは、「どんどん物を買って景気の向上/GDPの増大に貢献しよう」と呼びかける時代です。「もったいない」ということばも海外から逆輸入される時代になりました。
グローバル化の怒涛のような流れを受けて、アメリカに倣って最近は日本の企業も取締役に巨額の報酬を支払うことが当たり前になりました。それもここ10数年の変化です。優秀な人材を確保するためには世界の流れには逆らえないということでしょうが、他方で社員の給料は20年間も上がらないという状況が続いています。
報酬、経済的な豊かさ、それも限度を超えたレベルでの巨額な報酬だけが、私たちのモチベーションの源泉なのかという疑問は、もはや当たり前すぎて議論が生まれる余地さえないかのようです。
それにしても、上に手厚く、下に薄い報酬になってしまったのは、これまでの日本流の報酬に対する考え方から見ると、らしくない流れのようにみえます。
報酬が目に見える成果だけを対象にするものであるとすれば、部門間を越えた連携からしか生まれない、表に出にくい、評価のされにくい高度なものづくりの技は、生み出されにくくなるのではないかと危惧します。
かつて職人が持っていた、自分の技へのプライドと仕事を届けた客の喜びを対価と感じられるような文化を、グローバルに広めたいような気もしますが、グローバルには、青臭い書生論と速攻で一蹴されてしまいそうです。
 
いずれにせよ、「日本人は勤勉」という説は、後天的に身に着けた性癖であり、決してDNAなどという根深いものではないことがわかりました。
やがて何年かたった後には、日本人が勤勉さと活力を失っている横で、いま新興国と称されている国のどこかに、当たり前のように勤勉に働く社員が増え、さらに、ものづくりや科学技術の中心が、そうした国のひとつに移っているかもしれません。

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