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013.応用に長けた生まれついての職人たち

こんな万博の状態をみて、欧米の産業人やマスコミは驚きました。
開幕前には、イギリス・パビリオンの人気が高く、自国開催もあって観客が殺到するはず、続いてフランス、ドイツなどのパビリオンに観客が集まり、アメリカは目新しいものはあっても質的にはイギリスには及ばないと予想されていました。
ところが、開けてみれば最初こそ低調だったものの、アメリカの人気が尻あがりに高くなっていきます。出品された機械類も、新しく開発された専用機などがたくさん出品されていて、目新しさ、新規性、開発意欲という点で観客の強い関心を集めたのです。
会期が進むにしたがってアメリカ人気は急上昇します。予想していなかった事態に、ヨーロッパ各国の産業人やマスコミはあわてますが、じつは、こうした状況は、一部の専門家の間では予想されたことでもあったのです。
というのは、1776年の独立いらい、アメリカは活気のある新興国としてヨーロッパでも注目の的になっていて、多くの人たちがアメリカ視察に派遣され、そのレポートがマスコミに登場していました。
技術力についても、すでに1800年ころからヨーロッパで知られるようになり、多くの新聞や雑誌がアメリカの産業事情をレポートしていました。冒頭でご紹介した4つは、そのころにヨーロッパ各国で発表された視察報告や書籍から抜粋したものです。
「アメリカではヨーロッパの発明は巧みに実用化される。そして、ヨーロッパの発明はそこでは完成された後、驚嘆されるほどに国の必要に応用される。そこでは人びとは勤勉であるが、科学と産業とを研究しない。そこには優秀な労働者たちはみつかるが、発明者たちはほとんどいない」
 これは、1835年に出版されたフランス人貴族のトクヴィルによるアメリカの民主政治』(下)(②講談社文庫 井伊玄太郎訳)の一節です。技能はあるが、技術はない。課題は研究開発にある、と書かれています。まるで、高度成長期の一時期に日本の産業界が世界から言われたことばそのものではありませんか。
「アメリカ人は生まれついての職人である。マサチューセッツやコネチカットで、機械や道具を一つも考案したことのない働き手は存在しない」
というのは、フランス人で雑誌『グローヴ』の編集長でもあったサン・シモン主義者(1800年ころのフランスでサン・シモン伯爵が提唱した考え方、産業主義=産業に基礎をおいて社会を発展させることで豊かで平和な社会を構築できる=という考え方で、その信奉者も多く生まれ、のちに宗教的な要素も持った活動が展開されていた)の経済学者ミシェル・シュヴァリエが、1834-35年にフランス政府から国内での鉄道敷設の任を与えられてアメリカを視察し、各地を回った後に書いたレポートです。
新興国のアメリカでは産業が発達してすべての人が活気に満ちて働いており、庶民の生活水準がフランスよりずっと高いことに強い感銘を受けたようで、アメリカをサン・シモン主義のユートピアのように感じたシュヴァリエは技能者としてのアメリカ人を高く評価しました。
「職業が喜びを構成し勤労が楽しみをもたらしている点で、この国の住民に勝る人びとはおそらく世界にいない」
「アメリカの職人は自分の仕事を習ったと同じようにはやらない。常に改良をほどこす。仕事を達成するためと価格をさげるための両面で、いつもなにか新しい工夫をこらしている」
この2つは、オーストリアからアメリカに移住したフランシス・J・グルントの「The Americans in Their Moral, Social and Political Relations(『アメリカ人――道徳、社会、政治における諸関係』1837年)のなかの文章で、いずれも前掲①『アメリカ職人の仕事史』序章で紹介されているものです。
アメリカでは、この段階ですでにコストダウンを意識して生産、開発・改良が行われていたことも書かれています。
当時のアメリカは、習い覚えた技を持った多くの移民が、各国から手ぶらでやってきて、よーいドンで、開発競争を繰り広げた国だったわけです。

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