見出し画像

記紀の出来事は実在したと信じてやまない30歳独身の話。

人類学的な話じゃなく日本人のルーツを辿っていくと、そこにはロマンしか転がっていない。日本の歴史のスタートラインは国内に書物がおらず、どうにも日本っぽい国は中国史書に出てくるだけで、当時のことはさっぱりわからないがヒントだけは遺跡として転がっているからだ。
 
みんなが大好きな「三国志」の時代の真っただ中、日本にはすでに「国」的なものがあちこちに発生していて、なにやら大規模に争っていたらしい。というのもまた中国史書に残っている

日本は当時読み書きの習慣がないのか、記録もなく「大乱があったらしい」という漠然とした情報だけで500%が謎だ。倭国大乱とWikipediaで調べても中身は大半が「不明」である。うん、何もわからない

古事記・日本書紀の出来事は実在した説

神は居たのか!?

当時の日本の歴史について詳細な情報がないことは上記の通りである。でも、現在も続く「天皇」という位は、上記の「倭国大乱」の辺りどころか紀元前にはあったことになっているらしい。
いや書物もないのになんでそんなこと言えるんだよ!ということになるが、これについては奈良時代に編纂された日本の歴史書「古事記」「日本書紀」(以下、合わせて記紀)に、日本のはじまりについて描かれている。俗に言う「日本神話」というものである。

古事記・日本書紀には、のっけから男女の神がイチャついてポコポコ島を産んだり神を産んだりとけしからんことばかり書かれていた。この神々を拠点として物語は進み、女王となる者や追放された先で支配者になる者、国を作ってしまう者などがさまざまなエピソードど共に登場する。そして最終的に、「天皇」という存在が誕生し、現代まで血が繋がっているとか。

あくまで「神話」なので……

もちろんこれは信仰されている「神話」であって「歴史書」とは言い難い。というのも、神話よろしく現実離れしたスピリチュアルな出来事が沢山書かれているからで、こうして日本ができました、と言われても納得し辛いからである。あくまでフィクションとして楽しんでる人もいる。
 
しかしこういった話はあながち「すべてが作り話」とも言い切れない。記紀の聖地とされる場所は存在するし、すべてを否定すれば今まで続く天皇家がどこから生まれたのかの説明もできないからだ。

だから私は記紀に書かれた事象を、「ちょいちょい実在したけど大げさに着色されたり、複数の逸話がごっちゃになった話」と考えている。

つまり記紀に書かれていることがそっくりその通りでもなくとも、もっと現実的で近しい出来事は実在したという説を推したいのだ。

勝者によって作られた歴史理論

勝者なのでなんでもおk

歴史は常に争い勝った勝者によって、都合よく事実を捻じ曲げて伝わっている。(という考えもある)だからこの記紀という物語も、勝者(天皇=倭王朝)によって都合よく書き換えられている可能性がある。誰だって都合の悪いことはなかったことにしたいからね。

事実、記紀に登場する「敗者」はずいぶんと酷く描かれている。最初に思い浮かべる敗者……例えば「スサノオ」だ。

記紀の神々でトップクラスに権力を持っていたのは、女神である「天照大御神(以下アマテラス)」だろう。スサノオはこのアマテラスの弟にあたる人物で、仕事もせず亡き母親に会いたいと泣いていたら父に勘当され、姉と契約(多分ヤった)をしたら調子に乗りすぎて粗相をしまくった。その結果、国を追放となったのである。

国を追われ、辿り着いた地でヤマタノオロチという大蛇を倒し、その地で英雄みたいになった……という話である。

記紀でも特に有名なエピソードなのだが、この話を事実と考察することはできないだろうか?

事実(かもしれない)スサノオとアマテラスの話

かろりんが勝手に神話を解釈する

兄弟ということになっているこの二人。もしかすると実際は赤の他人だったとか、別の国の王だったという考え方も可能だ。

が、私の仮説は少しそれとは異なる。

アマテラスがとある国の女王だったのは間違いないだろう。当時は長男の世襲とかではなく、末子相続が基本だったという話もある。男女の垣根もなく、後継ぎとなった末子が女性のアマテラスだったのかもしれない。

そしてスサノオは兄弟ではなく、アマテラスの夫だったという説もある。前述のエピソードではあ色々端折ってるが、スサノオが追放される前にアマテラスと交わした契約が結婚の契約だったのではないか、という考え方。事実この契約によって子どもが沢山産まれており、この子どもたちの父親はスサノオだとして残っていたり、なんか結びつくところは多い。

ではアマテラスの夫たるスサノオはなぜ追放されたのか。スサノオは出雲の国(現在の島根県らへん)に、軍勢を率いて侵攻したんじゃないかな?と思っている。
出雲を支配していたのは人間ではなく大蛇である「ヤマタノオロチ」だが、大蛇のように恐ろしい男だったみたいな解釈で良いだろう。こんな強そうなやつ、スサノオ1人で戦ったのは少々神話的。軍隊で侵略して勝った、の方がしっくりくるからだ。

その後、出雲を征服して王となった際、アマテラスの国に対して敵対する意思を見せた。アマテラス側はそりゃもう裏切られたなんて都合が悪いわけで、伝承にはあいつには野心があったから最初から追放してたということにした、ということだ。

とまぁ、こうあったのかもなーというトンデモ論の一つであるので真に受けないで頂きたいのだが。

スサノオがなぜ反乱を起こしたのか

スサノオが敵になった理由とは?

アマテラスには多くの子孫(神)がいる。スサノオとの子ども以外にも多くの神々がいるわけだが、これは周辺諸国の王から側室みたいな感覚で夫として契りを結んでいて、スサノオはこの夫のうちの1人だったのかもしれない。

前述の反乱があったとして、スサノオの野心や叛意はどこから来ていたのか。ここまでの仮説だけでも原因になりそうな条件は揃っている。
スサノオにはアマテラスとの子以外にも、八十猛などの子孫がいたとされる。酋長だったスサノオが元々の妻と別れ、アマテラスへの人質として出されたという可能性もあるだろう。ドラマチックな話になるが、これも叛意に繋がりそうである。

その後の二人

タケミナカタは長野まで逃げる

先に結論を言うとスサノオの国は、アマテラスの国によって滅んでしまったようで、アマテラスの国も奈良県の新興勢力によって取って代わられた。

スサノオは出雲国を支配し、アマテラスは倭(ヤマト)の国を支配する。

余談だがこの国という概念や皇帝に近い概念は、秦の時代に日本へきた「徐福」によって日本にもたらされたと考えている。
皇帝に近い概念(即ち天皇)が誕生するのは、奈良県らへんに王朝を構えた「ヤマト」だが、神話として残る聖地は九州南部の方が多い。従って、アマテラスの国は九州南部にあったと考える。

神話を辿っていくとアマテラスの国はその後、奈良県のヤマトへ子孫を送り、その子孫が後の天皇家に変化したと思われる。

スサノオはというと、「大国主」という出雲国で現在まで信仰されている、ヒーローのような神が国を発展させる。しかしアマテラスの手勢に敗れ、武神だった息子(タケミナカタ)は現在の長野県諏訪湖まで逃走したらしい。神話でも一番リアルな話だが、多分これは実話っぽいよなぁ。

アマテラス=卑弥呼説とは?

これは色んなところでよく言われることだが、中国史書に登場する「卑弥呼」という女王。これが日本神話における「アマテラス」と同一人物という説がある。(他にも候補はいるけど割愛する)
中国史書に残る「倭国大乱」の時期が、スサノオと卑弥呼が争いを始めた時だったとすれば、まさしく隣の大陸で赤壁の戦いをやってる頃に日本は「関門海峡の戦い」とかをやってたのかもしれない。知らんけど

さて、この時期を前後して日本には「古墳」という文化が出現しはじめる。これらは当時の偉い人の墓ということなのだが……。

これが当時の日本を語る上で欠かせず、当時の日本を知る「ヒント」になるのだ。とにかく話が変わってきてしまうので今回はこれくらいにしておこう。

おわりー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?