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ジャン・コクトー「COCTEAU コクトー詩集」はるぶ出版

訳者は堀口大学だ。それにしても難解な文章・・・読んでみて、「ああこれは読み物じゃないんだ」ってことに気付いた。彼はデッサン画家としても大変な力をもっていた。ピカソからも評価をうけていた程の腕だ。これは絵画なのだ。詩を言語という絵具で描いているのだ。彼は詩を書いてもすぐにその詩に背を向け、反対の方向に歩き出したという。彼の詩にはストーリーがない。つまり皮の部分がなく、実だけが存在している。すべてが比喩なのだ。その芸術性が余計に詩を難解にさせているのだろう。250ページのなかで、意味が読み取れたものは、ごく少数だ。その数少ない詩の中で印象に残ったものをかきだしてこう。

 「序」
 詩は別格の言葉  理解される心配なしに 
 詩人はこれを話すがよい  由来大衆はこれを
 自分たちの言葉扱いにしたがるが・・   (1953)

 「一人一党」
 一人一党 自分だけ 一人の党が僕の党  
 大事な自分をなくしたら  党もへちまもあるものか
 詩神(ミューズ)よ! 僕は知らずにいた
 君らの薄暗い工房で  僕のため 茨のとげよりなお痛い
 月桂冠なぞというものを まさか作っていようとは・・

 「表と裏」
 (中略)
 生きている間  私たちは一所懸命に 地球から太陽への距離を計ったり
 死なずにすますために色々と用意するけれど 所詮はすべて無駄なんです
 要するに私たちは本の頁の片面だけしか読んでいないんです
 他の片面は私たちに隠されているんです 私たちはその先を読み続けることも
 後でどうなるかも知ることはできないんです
 (中略)

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