食育

息子が開成に通っていると、良くも悪くも「幼児教育」どんな感じでやってましたか?と聞かれる。
この手の質問は非常に困る。
なぜなら、特に何もしてないからだ。
お風呂に、ひらがなと足し算引き算のポスターを貼っていた程度だし、息子が幼稚園から公文に通ったのも自宅から30メートルしか離れてないからという理由だけだった。
幼稚園児一人でも歩いて通えて、一時間も預かってもらえてなんなら託児所みたいでありがたかっただけだった。

そんな我が家が、幼児教育?と言えるかわからないが大切にしていたのが食育だった。
とにかく旬の食べ物は食卓に出す。
子供が苦手で食べれなくてもそれでよいのだ。
春だったら、ふきのとうやたらの芽。
冬なら冬瓜、魚なら寒ブリ。
魚を食べる時は、骨とか肝とかなるべく調理して食べるし、焼き肉だったらいちいちすべての部位を説明しながら食べる。
主人が調理師免許を持ってるせいか、それはそれは熱心だった。
5才から子供たちに包丁を握らせて、料理のお手伝いがスタートする。
火事や命の危険がなければ、ある程度の失敗は危ない事も学びだと思ってなんでもさせていた。
今では子供たち三人とも、ある程度作れるし、早帰りでお昼が必要でもみんな勝手に作るからなんの心配もない。
スイーツも作るし、私が考えつかない創作料理も作ってしまう。凄い事だ!

長女が小4の時に私はとある病気になった。
まったく家事が出来ない母親の代わりに、毎日1000円を握りしめてスーパーへ行き、食材を買い、末っ子(当時
、幼稚園児)は玉ねぎの皮を剥いたり卵を割ったり、二番目の息子はだいたい野菜を切る係で、長女が炒めたり味付けしたりして毎日夕食を作ってくれた。
その時ほど、普段から料理の手伝いをさせていて良かったと思った事はない。
料理が出来る事が凄いのではなく、母親が病気になった時にどうすればいいかを考えて行動出来ていた事が素晴らしいのだ。
私は夕食作りを頼んだわけではなく(なんなら宅配などで乗り切ろうと思っていた)子供たちから提案してきてくれた。この生活は数ヶ月続いたが、かけがえのない時間となった。

そうやって食と触れあっていると、食べれなかった物がいつの間にか食べれるようになっている事がある。
ゴーヤやふきのとうや春菊、苦味のある物も食べれるようになってきた。

私は本気で、勉強より食育が大切だと思っている。将来、息子が奥さんばかりに料理させるのも嫌だし、娘が料理をせずにコンビニ弁当ばかりになるのも嫌だ(笑)

勉強も大切だけど、料理のお手伝い(家事もね)はやっぱり大切だよね。
生きる事は、食べる事なのだ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?