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テート美術館展「光」で色々考える

国立新美術館で開催中の行ってきました(もう会期は終了してしまいましたが、、、)
今後大阪にも巡回するそうなので、興味のある方はぜひぜひ

自分は会期終盤に行って、ものすごく混んでた!!
けどとても楽しむことのできた展覧会でした。


展示構成の面白さ

公式HPに
「本展は、英国・テート美術館のコレクションより「光」をテーマに作品を厳選し、18世紀末から現代までの約200年間におよぶアーティストたちの独創的な創作の軌跡に注目する企画です。」
とある通り、「光」という共通のテーマを軸として、18世紀のターナーから19世紀のバウハウス、そして現代のオラファー、タレスの作品を一度に見れるという、時代を飛び越えた展示構成がまずものすごく面白かった。。

油彩画だけでなく、写真やインスタレーションも一度に堪能することできたのは良かったし、「そこに一緒のテーマが隠れているんだよ」というメッセージ性を強く感じました。
展示構成を考えに考え、制作された方々の思いが伝わってくるようで、、
とても良いなと思いました。

ターナー「光と色彩 (ゲーテの理論)ー大洪水の翌朝ー創世記を書くモーセ」

「光」とは「影」であり「色」でもある


アルフレッド・シスレー 『春の小さな草地』

シスレーのこの作品。
シスレーは印象派の画家として括られますが、他の印象派の作家とは違った雰囲気だなというのが第一印象でした。

印象派と言ったら、モネやルノワールに代表されるような鮮やかな色彩や輪郭の曖昧さが特徴で、画面全体に光が溢れているような感じをいつも受けます。

モネ『ポール=ヴィレのセーヌ川』

それに対してシスレーの作品は「影」が強い。
木陰や人の陰であったり、枝の一本一本の陰まではっきりと描かれています。それによって他の印象派の作品にはないようなパキっとした印象を覚えます。

この「影」の強さが、翻って「光」の強さを表しているのではないか。
「光」を描くためには真逆の存在である「影」が必要不可欠なんだと、決して「光」は単独で存在するものではないのだなと感じました

こういう話は色々拡張できて、例えば人間の「長所」を際立たせるためには真逆の存在である「短所」を意識する必要があったり、一見キラキラとした生活をしている人でも、影ではものすごく努力していたりと、、、

アートを見ながらそんなことも考えてしまいました。。。

ジョン・ブレット 『ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡』

続いて、ブレットのこの作品。
まず空から光芒が放たれているのが印象的で、なんだかすごい神々しい、、、

そして、海の色が一色ではなく、光が当たる位置によって細かく、繊細に色分けされているのがとてもいい。

そうだ、「色」っていうのは「光」なんだと、そもそも海が青く見えるのは、赤・青・緑の三原色をすべて持った太陽光の中で、赤と緑が水に吸収されてしまうから青く見えることを思い出しました。

だから「光」の差し込み方が、雲によって変われば、海の色も変化する。
その繊細な「光」の動き方を捉えたこの作品は、この展覧会にふさわしいものだなと、、素晴らしいチョイスだなと感嘆です。

そもそも私たちが視覚で捉えられるものというのはすべて「光」に過ぎないのです。また、視覚がなければアート、特に絵画は行うことができない。

つまり、この展覧会のテーマである「光」というのは絵画にとって、最も根源的なものなのです。だからこそ、時代を通じて数々の作家たちがこの「光」を探求していたし、これはこれからも続いて行くのだろうと思います。

最後に

色々とかきましたが、通時的に作品を俯瞰できたり、新しい作家さんとの出会いもあったり、美術にとどまらないことも考えられたりと、とてもおもしろい展覧会でした。
まだの方はぜひ!!大阪まで飛んでいってください。

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