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ショートショート「中途半端と偽者」


私とアキ先輩の出会いは、スローモーションだった。
「はい。」
と手渡された文芸本。
知り合いの大学の文化祭だった。
あまりにも暇だったので、何気なく、ついて行っただけだったのに…。
気付けば、文芸部で本を購入していたのだ。
そのひとの指の爪は、長くて赤かった。
歪めて笑う唇も、真っ赤だった。
私は、ゆっくり噛み締める様に文芸本を手に取った。
そして、しっかりとカバンにしまった。
それが、私とアキ先輩の出会いだった。
運命は、スローモーションなのだ。
きっと…。

帰り道、私は早々に知り合いと別れ、駅のホームで文芸本に目を通した。
読み終わるまで、何本か電車を見送った。
私が読んだ作品のどれかがアキ先輩のものだった。
私は、それがどの作品なのか、後に知る事になる。
駅のホームは、寒かったのだが、頭に血がのぼっていたので、ちっとも寒くは感じなかった。
私は、急激な熱に浮かされ、ボーっとしていた。
久々の衝撃が嬉しかったし、妙に心地良かった。
私は、大学生達の熱い文学の海を泳いだ気分だった。
このまま、新鮮な言葉に埋もれていたかった。
電車に乗った後も、熱い気持ちは、薄れなかった。
若さの特権は、一途な暴走だ。
私達には、まだ時間の余裕と悩むスペースがある。
猪突猛進も、許されるのだ。
電車内で、大人達は、だいたい携帯を眺めているか、居眠りをしているかだ。
隣に知り合いがいる人は、自分の今後の相談とかが多いのかな…。
心の中は、自分達に与えられた役割の事でいっぱいいっぱいなのだろう。
エネルギーも余っていないし、少なくとも私は、熱に浮かされた大人をあまり見た事がない。
私は、高揚した気持ちを引き摺ったまま、家に帰った。

私は、翌年、無事に大学に合格した。
そして、意気揚々と文芸部に入部したのである。
教室を見渡すと、アキ先輩がいた。
アキ先輩は、私の事を覚えてくれていたみたいで、笑顔で話し掛けてくれた。
それが何よりも嬉しかった。
アキ先輩は、ミニスカートなのに、椅子に座る時、すらりと伸びた長い脚を組んでいた。
そして、何度もくみかえていた。
「アキ先輩、モデルみたいで文芸部っぽくないですね。ちっとも…。」
と私が言うと、
「初対面なのに、面白いね。キミ!」
と綺麗な顔で笑った。
その後すぐに
「良く言われるんだ〜。それ。私って偽者だから…。」
と冗談っぽく言った。
私は、言われた直後、その意味がちっともよく分からなかった。
家に帰って、改めて文芸本を読むと、偽者王という名前の人が書いた作品が目に入った。
アキ先輩だと分かった。
アキ先輩の小説は、太宰治のオマージュだった。

文芸本を出す事になり、私も作品を書いてみた。
青くさいのに、恥ずかしげもなく、上から目線の説教じみた小説。
最後は、うまく、まとまらなくて、中途半端。
それでも、書き上げた事に、私は満足した。
アキ先輩に読んでもらうと
「オリジナルじゃん。凄いね…。」
と褒められた。
アキ先輩の今度の作品は、芥川龍之介のオマージュだった。
アキ先輩は、ミニスカートで椅子に座り、髪をかきあげながら言った。
「私さ、昔から、小説を読むのが好きだったの。違う世界に行けた気がしてさ。で、一通りは、読んだのよね。そしたら、熱狂的な読者になったの。読解とか凄まじかった。自分で言うのもなんだけどさ…。で、ある日、ノートに書いてみたの。自分の作品を。そしたら、悔しいんだけどね。書けないの。自分の小説。悔しいんだけどね。本当に。」
アキ先輩は、窓に映った自分の顔を見ながら言った。
「一行位は、出るだろうさ。普通はね…。でも、私の場合、一文字も出なかった。」
私は、アキ先輩の顔を見つめて言った。
「だから、オマージュを…。」
アキ先輩は、頷いた。
「パクる事しか出来なかった。私みたいなヤツはね…。」
アキ先輩の綺麗な横顔を見つめながら、
「熱狂的に好きだから、そうなったんでしょうね…。」
と私が言うと
「そんな風に言ってくれた人、今までいなかったわ〜。」
と言いながら、アキ先輩は、黒い涙を流した。
アキ先輩のオマージュは、見事だった。
完璧で隙がなかった。
中途半端な私の作品とは違って…。

いつからか、アキ先輩は、指輪をつける様になった。
左手の中指に天然石の様な指輪。
「彼氏からですか?」
私が問うと
「違う、違う。文芸部っぽいでしょ?天然石の指輪って…。」
と説明された。
アキ先輩の発想が面白いなと思った。
ゴールドの台座に、白い石が光る。
私は、案の定、バイトでお金を貯めて、天然石の指輪を買う事にした。
隣町のショッピングモールの天然石を取り扱うお店で3000円位で手に入った。
ゴールドの台座に白い石。
レインボームーンストーン。
私にお似合いの中途半端な値段。
10000円の指輪もあったのだけれど、大学生には手が出せなかった。
それに、高級な物は、私には似合わないとも思った。
私は、その指輪を左手の中指につけた。
良いアイデアが降ってくるのかと期待はしたが、実際には、そんな事はなかった。
アキ先輩は、私の指輪を見るなり、
「文芸部っぽいじゃん!良い指輪だね!」
とはしゃぐ様に言った。

アキ先輩の卒業が近付き、最後の作品を読んだ。
一瞬、脳が破壊されたかと思った。
アキ先輩が書いたのは、私の作品のオマージュだった。
中途半端な作品が、花開き、最高の作品へと昇華されていた。
「アキ先輩、凄いです…。なんていうか、言葉に出来ない…。」
アキ先輩は、ミニスカートで椅子に座り、足を組んで、硝子に写った自身の顔を見ていた。
「偽者、やりきれたかな…。本当は、誰でもそうだろうけど、一回で良いから、本物になりたかったし、なれるとずっと思ってた。でも、それって、そんな簡単な事じゃないんだよね。あんたは、自分を中途半端だと思い込んでいるみたいだけどさ、中途半端でも、本物だよ。これから、頑張りなよ。」
私は、アキ先輩の前に立ち、アキ先輩の目を見つめて、こう言った。
「私は、アキ先輩の文学を好きだという本物の文章に何回も救われました。アキ先輩に会えて良かった…。」
アキ先輩は、黒い涙を流しながら、声を詰まらせながら言った。
「こんなに好きなのに、オリジナルを書けなかった人間がいた事を、あんたは、忘れないでいてね…。」
アキ先輩は、最後まで、自分を貫いた。
何回も悩み苦しみながら、模索しながらも、文学を好きだという気持ちだけで書き続けた。
アキ先輩は、高みのある作品が好きだったから、いざ小説を書こうとしたら、文字が出てこなかったのだろう。
私みたいな気楽な作品を目指さなかっただけだ。
あの人は、虚構が好きだったのではない。
純文学に本気で恋をして、愛して、愛して、儚く散っていった人…。
文章を読んだら分かる。
アキ先輩の熱は、本物だった。
私は、その熱を受け取る為に、巡り会ったのだ。
きっと…。

アキ先輩が卒業して行った後、大学近くの百均に立ち寄ったら、アキ先輩が身に付けていた白い石の指輪が大量に置いてあった。
あの白い石は、本物ではなかった。
偽者王が愛した偽物の指輪。
私はアキ先輩、流石だなと思いながら、指輪を8個買い占めた。
レジで会計をしているアルバイトの若い女性が不思議そうな顔で私を見ていた。
私は、指輪の一つを右手の中指に嵌めた。
アキ先輩との日々が、次々と甦る。
アキ先輩の熱。
私にも宿ると良いのに。
そんな都合のいい展開がない事は、自分の天然石の指輪の件で、ちゃんと分かっている。
私は、私の持っている今の熱で、楽しんで、虚構の世界を創造したい。
どうせ、苦しみは後から、ちゃんとついてくるから。
中途半端な熱を帯びて。















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