見出し画像

ショートショート「うろこ雲」


「まぁた、こんな所に寝転んでるのかよ。」
そう、呼びかけられて、
私は、空から彼に目を移した。
「ジーンズ穿いてるんだから良いでしょ。」
私は、大学内の芝生の中庭に寝転ぶのが好きだった。
ここは、穴場で人があまり通らない。
頻繁に通るのは、90歳を過ぎた大学教授とこの男くらい。
私は、ここに寝転んで、頭の中で色々な構想を練るのが好きだった。
基本は、新作の絵本のこと。
私は、絵を描くのも、文章を書くのも好きだから、絵本は、最高!!
将来、自分の子供にも、自分が作った絵本を読んで聞かせたいと本気で思っている。

「今日の空は、うろこ雲か…。もう、すっかり秋だな。」
彼は、寝転んでいる私の隣に腰をおろした。
「そうなんだよね。ついこの間まで、空があんなに近かったのにさ。急に、空、遠くに行っちゃったみたい。」
私が、溜め息をつくと、彼は、笑いながら言った。
「なんだ。今度の新作は、うろこ雲か??」
と、ちょっと茶化しながら、悪気なく言う。
「違うよ。私の本当の感想だよ。」
口では、そう言いながら、″うろこ雲″という絵本も良いなぁとか、ぼんやりと考える。
こういう何気ない会話で、創作のアイデアが降ってくる瞬間が私は、好きだ。
私が追い詰められた時、何度も彼の呟き、言葉に救われた。
今回、大学のゼミで出された創作の課題も、クリアできそうな感じだ。
気持ちが、ふと軽くなる。

「あー。空と地上が逆になったら良いのに…。そしたらさ、地上が全部海みたいになってさ。自由に泳げて、気持ち良いんやろうなぁ。」
私は、新作″うろこ雲″の絵本の事を考えていたら、ふと、天地が逆の世界を妄想してしまっていた。
そして、ふいに、この呟きが口をついて出てしまっていたのだ。
彼は、私の言葉を聞いて、ブッと吹き出す。
「空と地上が逆やって??そりゃ、地球の始まりの世界やろ??」
地球の始まりの世界??
この男は、なんて素敵な言葉を言うのだろうか…。
「地球の始まりの世界って何??」
私は、興味津々になって、彼に問いかける。
彼の目が丸くなった。
「え!?お前、知らんほ??地球の始まりは陸地がなく、全部、海やったらしいよ。」
そうなの?!
私は、全く知らなかった。
「陸地がなかったの??」
私が目を合わせると、彼は、思いっきり困った顔をした。
「恐らく…多分…な。雨が降り続いて、全部水で覆われてさ…あ…、途中、全部、水は、蒸発したとか言われてるけどさぁ。地球が全部、海やった瞬間は、あったと思うよ??」
なるほど…。
ものは言いようだ。
地球の長い歴史の中で、一瞬でも、世界が、全部水に覆われていた瞬間があったという事だ。
その期間が、凄く短い瞬間だったとしても、存在していた事には、違いない。
まぁ、もちろん、その事実を証言出来る人間は、誰もいないんだけど…。
仮定出来る人間は、いるということだ。
それは、物凄いことだ。
「なるほどね…。今、天地が逆の世界って、地球の始まりの世界やったのか…。」
私は、納得しながら言った。
なんか、今、猛烈に、良い絵本が書けそうな気がしている。
確信に、限りなく近い予感が、私の胸をかすめていた。
「地球の始まりの世界にさ、俺とお前しかおらんやったらさ、どうする…??」
彼は、急に真顔で私を見つめた。
私は、思わず反射的に、考える人のポーズをした。
「私とあなたが、アダムとイヴってこと??そしたら、ろくでもない子孫が増えていってさ。ろくでもない世界になると思うわよ。世界は、破滅に向かうやろうね…。」
彼は、悲しみに満ちた顔をして私を見た。
「そ…そっか…。」
私達は、もう一度、うろこ雲を見上げた。
「あ〜。空が遠いなぁ…。」
うろこ雲の後、雨になる事が多いみたい。
天気の変化には気を付けた方が、良さそうだ。
「あ…急に天気悪くなりそ。」
と私が立ち上がりながら呟くと、彼は、
「泣きたいのは、天気やなくて、俺の方や…。」
と険しい顔をしながら、何やらブツブツ小言?みたいな事を言っていた。
私達が、こうして話している間にも、雨が降りそうになったので、競う様に、急いで走って校舎の中に入って行った。


全く…。
人の気持ちを分かっていないのは、君の方だ。
本気で好きな相手に想いを伝えたいのなら、例え話や冗談の合間に言うなんて、とんでもない。
相手に失礼だ。
何かのついでではなく、真剣に想いを伝えないと、相手に誠意は、伝わらない。
特に、彼女みたいな素敵な女性にはね…。
と居合わせた、90代の大学教授は、雨に濡れながら、心の中で、そう思っていた。
「人の恋路を邪魔する者は…。あぁ…。くわばら、くわばら…。」
大学教授が耳に付けている補聴器の調子は、今日も良さそうだった。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?