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#9 「不登校」の親の私の辛い、を分解してみる

評価の時期。
仕事(小学校勤務)をしていると、どうしても職場の登校できない子どもたちの様子も気になって、職員室の話題に耳を傾ける。
 ・評価、つけられないよな
 ・欠席日数◯日だよ
 ・2学期からは全然来ていないな
「教師」という立場と「不登校の親」という立場。
立場が違えば、思うことも、考えることも、対極なことがいろいろあるわけで、それが、ときどき、辛くなる。


「不登校」
改めて、長男小五と次男小三が、登校しないことで、私自身何が、辛い、大変、しんどい、苦しい、悩む、のかを、もう一度考えてみた。

<将来の不安>
・先が見えないことに対して。
・ここまで、という「ゴール」がないことへの漠然とした不安。
・起こっていないのだから「杞憂」なんだけれど、勝手に心配になる。
(だって、我が子はとてもとても大切な存在だから。)

<学習の遅れ>
・登校していれば、とりあえず授業は耳に入ってくる。理解しているか、していないかは別としても、毎日5、6時間は学習しているつもり、を安心に感じる。
→学校に、知識の学力面をお任せしていたことに気づいた。家庭でフォローと
 いっても、たいしたことはしていないで、自由にのんびりと過ごしていた。
・家庭にいると、教科書の学びはほぼゼロだ。こちらからの声がけでやることは難しく、自分たちで時計を見て取り組む、ことは超奇跡。

<その他>
・登校時間を気にしないから、身支度ができない。
・歯を磨かないことが多い。(差し出すところまですれば、する。)
・昼食を支度する必要がある。支度していても、食べないことがある。
→給食のありがたさ。栄養満点。バランスバッチリ。毎日創意工夫の神メニュー
・関わる人が減ること
・居心地の良いところにしかいないこと(コンフォートゾーンってやつ。)大きなストレスは不必要だけど、一定の負荷になるストレスは必要なのでは?とどうしても感じてしまう…

総じて、不登校になると、子育てに関する、食事・学習・交友関係・栄養・コミュニケーションなど、全ーーーー部を、親自身が考え、計画して、管理して、提案して、実行していく必要が出てくることが、しんどい、どうしたらいいの?、ああ…、という途方に暮れる感じになる。

学校に行かない留守番をしている子どものことを頭の片隅にいれ、火事や地震などのもしかしたら起こるかもしれないことにビクビクしながら、仕事をする。
夕方になって学校から連絡がくれば、あまり変わらない子どもの家庭での様子を伝える。
そういういろいろなことが、余裕がなくなってくると、肩にどどんと重荷になって心を蝕むことが、私は辛いのだ。


大切な我が子だからこそ、悩むこと。
少し視点を上げて、俯瞰して状況を捉えることができれば、解決策というか、過ごしやすくなってくるのかな。

今は、
  ・子どもたちが生きていれば、大丈夫
  ・ご飯を食べて、寝て、笑っているんだから、大丈夫
と、多くを望まずに、ただただ日々を過ごしている。

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