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そういえば「ルールの作り方・考え方」を教わったことが一度もない|CUTBOSS MAGAZINE 2020 年 1 号(4 月 24 日号)

国や公的機関の発表するルールは何故こうも庶民感覚と乖離があるのかと毎度のこと感じる。

だが、よくよく考えたら、企業内のルールも形骸化されていたり意味不明な無駄が多かったり、さらには学校の校則も人権を無視したようなものが存在したり(地毛色を無視して強制的に黒髪に染められるなど)、そういえば正しい「ルールの作り方・考え方」を教わったことが人生で一度もない。

イニシャルによるスーパーの入場規制は一見合理的に感じてしまうのだが、巷に溢れる批判のように、自宅待機やテレワークが可能な人たちばかりではなく、家庭やその他事情もあって、決められた時間にしか外出できない人たちも大勢いるわけで、イニシャルで定められた時間帯に外出できない人たちの可能性を完全に無視して、さも「良いルールが閃いた」とばかりに推し進めようとしている。

これは、私が小学生のときに体験した事件に酷似している。

ルールがもたらした小学校での大事件

小学生のとき、「学校便り」として、「給食を残さず食べましょう」というスローガンが配布された。これは学校側に何の強制力もなく、残したら勿体ないし、いっぱい食べれば大きく強くなれるよ、という、何てことのない家庭でも親から言われる気軽なものだった。

ところが、私のクラスの担任教師だけは、これを重要課題だと勝手に認知し、クラスの朝会で、「給食を残さず食べるには、どうしたらいいと思う?」と生徒たちに投げかけた。

生徒から色々な意見が出たが、最終的に教師が決定したのは、「給食を残したら、罰として、その日の教室の掃除当番になる」というルールだった。

その日の給食で、私も含めた何人もの生徒が、食べ過ぎで嘔吐し、腹痛を訴え、早退する自体になった。皆、元から少食だったり、虚弱で、給食を残している生徒たちだった。どうしても掃除当番をしたくなくて、無理をして食べたのだ。

この大事件の後、勿論、即日、保護者たちは担任教師に激怒、即刻、このルールは廃止になったが、何故、簡単にこの問題に気づけなかったのだろうか。子どもたちの命を預かる教師とも在ろう者が。普段から、給食を食べられない生徒が複数いたというのに。

妙案を思いつたことに陶酔したのだろうか。教師という責任が結論を急かしたのだろうか。子どもたちの身体、命を犠牲にして?

責任が死を生むルールを強制する

この小学校での事件は、まさに今、スーパーの入場規制で、小池百合子が犯そうとしている事件と酷似していると思えてしまう。

イニシャルに割り当てられた時間帯にスーパーへ通えなくなり、割高のネット配達に依存することになるかもしれないし、ネットに加入していない人は買い出しに規制のない遠方へ行くことになるかもしれない、電車を使うことになって。

一人だけの入場制限も同じだ。片親で、小さい子供を家に置いておけない事情は、昨今、少なくないはずだ。一人だけ家に残された子供が、何らかの事故に巻き込まれ、最悪は死亡するかもしれない。

東京都知事という大きな責任が、一刻も早いルールの決定を強制しているのではないだろうか。犠牲は二の次で、「ルールが決まること」が最優先で最重要なのだ。

学校でも社会でも「正しいルールの作り方」を一度も教わったことがない

どこにでもルールがある。校則、社則、法律もそうだ。だが、そのルールの作り方を、教わった経験がない。

ルールが決まるときは、いつだって権力者の一声だ。それはつまり完全なる思いつきで、権力者の価値観の中でのみ安全なもので、そこから洩れる人たちの不都合は無視される。そしてそれは改善されないし、意見もされない。

何故か、「空気を読む」ことを強いられる。一度決められたルールには大人しく従い、それを覆すような行動は「空気を読め」とばかりに自粛させられる。

事件に発展し、問題が起きてから、ルールは見直される。また、違う不都合を無視して。

プログラミング教育はルールを改善するかもしれない

私は日々、仕事でアプリを開発していて、クライアントと仕様の内容で議論することが殆どだ。

仕様とは、つまり、ルールで、不都合のない矛盾のないルールを細部まで突き詰めることになる。結果、当初のルールから大きく異るものに変わることも多い。だが、それは時間を掛けて議論を重ね、クライアントも納得の結果だ。

本来、ルールとはそうあるべきで、アプリ開発で「要求分析」という仕様を紐解くフェーズをわざわざ長時間も割くのは、短時間の思いつきではルールは完全なものであるはずがなく、多人数の知恵を絞って、精査するものだからだ。いくつもの候補案を出し合って。

プログラミング教育で、プログラミング言語を学ばせるだけのカリキュラムは意味が全くなくて、本当に必要なのは、矛盾のない全ての理に適う仕様(ルール)を考えることだ。これはアプリ開発では「要求分析」「設計」というフェーズだ。

アプリ開発は、殆どの時間を、大半を、「要求分析」「設計」に費やす。議論ばかりで、その議論が如何に大事か。プログラミングは、全てが問題なく決まって、最後のフェーズで初めて行う。

ルールは思いつきで、責任に強制されて、早急に決められるべきものではないということを、プログラミング教育から学んで欲しい。小池百合子も。


食費入力のみ家計簿アプリ「食費簿」、自慰管理アプリ「アイナーノ」、どちらも御陰様で好調です。より良いアプリ開発に役立てます。