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新しい料理を開発する

世の中にはたくさんの料理が存在する。

たくさんの料理があるおかげで毎日・毎食楽しむことができる。

しかし私たちはこの恵まれた環境に甘んじてよいのだろうか。

毎日既存の料理を回していくことで満足していてよいのだろうか。

人類は今まで、常に新たな発明をすることで文明を発展させてきた。

それは料理においても同じはずだ。

今日私は、人類に大いなる一歩をもたらそうと思う。



たいそうなことをだらだらと述べたが、ただ新しい料理を生み出したいのだ。

誰も思いつかないような画期的な料理を。

まずは調理法から考えたい。

画期的な料理を生む出すにはまったく新しい調理法でなくてはならない。


焼く、煮る、蒸す、揚げる、漬ける、炙る、燻らす、、、

これ以外になんかあったかな。たぶんもうないか。

普段は焼くことしかないからあまり思いつかないが、とりあえず今挙げたもの以外の新しい調理法を考えよう。


既存の調理法は基本的にすべて何らかの形で加熱している。焼く・蒸す・煮るなどは加熱の方法を変えているに過ぎない。


ただ”揚げる”はやや特異に感じる。”揚げ”も加熱しているに違いないが、油という特殊な物質を用いている。この油という物質を調理に用いようと考えた先人は敬服に値する。もしあなたが初めて油を手にしたとして、そこに食材を入れて加熱しようなどと考えることがあるだろうか。


私が着目したのはこの”油を用いる”という発想である。

もちろん油を用いた調理法など”揚げる”以外無いだろうから、油を使うということではない。油に代わる何かを探すのである。


そこで私は"油に代わる何か"、略してアブニカを探す旅に出た。

この旅は想像より遥かに苦しいものとなった。
まずは日本中の調理方法を現地で調べ、ありとあらゆる郷土料理を食べた。そこから応用できることはないか、地方でしか用いられていない目新しい食材はないかを探した。また、全国各地の山や川、自然を巡りアブニカになり得るものがないか、はたまた自然に生息する生き物達が食べている物で人間がまだ手を付けていないものはないかを探した。

しかし中々アブニカは見つからない。
仕方ないので私は貯金をはたいて世界へと赴くことにした。特に日本とは全く異なるアフリカ、中南米、東南アジアを攻めた。


日本とまるで違う景色、文化、食事に感動しながら私はアブニカを探し続けた。

観光客なら行くはずもないであろう場所もたくさん訪れた。

原住民と生活を共にした期間もあった。
初めは警戒心を剥き出しにされ、石だか木だかよく分からない物体を削って鋭くした武器を頭に突きつけられたこともあった。何とかしてこの場を和ませ、私は安全であるということを伝えなければならないと思った私は無い頭を必死にフル回転させた。とっさに「言語の分からない人達にも伝えられるのは歌だ」と思った。そして私は危険ではないんだという意思表示のために両手を頭の上に挙げた。そのポーズも相まってか、私はなぜだか炭坑節を歌い始めていた。


月がぁ〜出った出ったぁ〜月がぁぁ出たぁ〜あ、よいっよいっ


原住民達は呆然としていた。
私はとんでもない空気を感じながらも引くに引けず炭坑節を歌いながら盆踊りのように頭の上で手をクルクルと回した。


しばらく続けていると原住民達が真似し始めた。原住民達はよく分からない言語の歌を何となく真似して歌っていた。そして両手を挙げて手をクルクルと回している。次第に円ができ始め、世界の果てで盆踊り大会が開催された。この地で盆踊りを行った初めての日本人は私である。盆踊り協会の方々には感謝して欲しい。


そんなこんなで私は原住民に受け入れてもらい共同生活した。言語が全く通じないので彼らはなぜ私がここにいるのか分かっていなかった。ただ私は勝手に台所を漁ったりしてアブニカを探した。


数日経って、原住民達が私を森の奥へと連れ出した。なんだかいつもより仰々しい様子だ。しばらく歩くと一軒の小屋が出てきて、その中にはまさに"仙人"のような風貌をした老人があぐらをかいていた。


仙人と対峙した私は沈黙のまま仙人の目を見つめた。仙人は突然にっこりと微笑むとおもむろに後ろの棚から壺を出してきた。そしてその壺を私の前に置き、蓋を開けて言ったのだ。

ア、ブ、ニ、カ

私は目を見開いた。仙人とは言葉が通じるはずもないし、私は何も話していないし、私の目を見て心の内を読んだのか、それとも奇跡的な偶然なのか、私は何が何だか分からなくなった。だがその壺を手にした瞬間、自然と涙が溢れてきた。ようやく、ようやく手にしたのだ。アブニカ。ここにいたのかい、アブニカ。私は優しく壺を持って上に掲げた。



アブニカは今流行りのふわっふわのパンケーキとトロロの中間くらいの柔らかさで、匂いは不思議なくらい全くしない。

私はアブニカをどのように調理に用いるか色々と試した。ただアブニカは管理が非常に難しく、少し温まると煙を出して消えてしまう。一方冷凍庫に入れると白い部分と透明な部分に分離してしまう。


どうやらアブニカはこのまま常温で食べるのがベストなようだ。


私はアブニカを色々な食べ物と合わせて食べたみた。
肉にかけたり、魚にかけたり、パンに塗ったり、サラダに和えたり、クリームと混ぜてみたり、色々やった。
ありとあらゆる試作を重ねた結果、最高の組み合わせを発見した。


それは"アブニカに米をかける"というものだ。
決して、アブニカ "を" 米にかけるのではない。
米をかけるのである。

これはどういうことかというと、茶碗に入れたアブニカに少量の米を入れるのだ。
すると米がアブニカに包まれフワッフワになった新食感ライスが楽しめる。しかもアブニカが全くの無味であることで、米の甘さが非常に引き立つ。

米にアブニカをかけても同じではないかという声が聞こえてくるが、それではダメなのだ。"米にかける"という食べ方はあらゆる食材で為されてきた。生卵、とろろ、お茶漬け、などなど
目新しさを全面に出すためにはアブニカに"米をかける"という異質性が必要である。


私はこの"米かけアブニカ"を1ヶ月間毎日食べた。
アブニカは美肌効果があるようでみるみるうちに肌がスベスベになっていった。
"米かけアブニカ"を数ヶ月継続すると、徐々に異変が出てきた。肌がだんだんアブニカに近づいてきたのだ。どんどんモチモチになり、よく見るとやや乳白色に透けている。しかもこれが全身の肌に現れたのだ。

だが時すでに遅し。

私は"米かけアブニカ"を辞められなくなっていた。

夏が近づいてきて突然、猛暑日が訪れた。
その日は太陽が照り付け、うだるような暑さだった。
いつも通り私は外に出て歩いていると、足元から煙が出ている。
パッと建物のガラスに映る自分を見ると、漫画の主人公が闘う直前のように全身から煙が出ていた。


この時ふと私はアブニカが加熱に弱いことを思い出した。アブニカは加熱すると煙とともに消えてしまうのだ。


しまった、もう身体がアブニカになっている。

そう思い急いで家に戻ろうと走って玄関まで辿り着くと、その時もう私の身体は無くなっていた。



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