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消費されない表層(インテリア)を模索して

僕は最近はもっぱら資格勉強に時間が取られ本が全く読めてない。まして行くところはほとんどがマクドナルドやチェーン店のカフェだ。それだけで一日が完結してしまうこともざらにある。その中で少し気になったことを書き留めたいと思う。

その時の僕の心情はこうだ。

(マクドナルドってしばらく行かないうちにいつからか内装変わってるなぁ・・・なんかオシャレっぽい感じがするなぁ・・・まぁ、あくまでもっぽいってところだよなぁ、本当のかっこいいデザインはこんな木目調の壁紙じゃなくて本当の木を使ったり金属パネルを使ったりさ、、あれ?なんでこんなにマクドナルドを毛嫌いするのだろうか?みんな本当に材料を気にしてハンバーガーを食べているか?いや誰一人としてそんなことこだわっていないじゃないか、かくいう俺だってプリントされた木目調の店舗で何時間も居座っているじゃないか?これはどういうことだ?)


かれこれ5年前だろうか、研究室にある長坂常さんの本『B面がA面にかわるとき』を読んでからずっと頭に残っている内容がある。(うろ覚えだけれども、以下の内容だったと思う。また増補版は少し内容が違うかもしれません。)

いわゆる大学で学ぶ「ケンチク」のかっこよさと普段いくような「素人DIYのカフェ」の内装のかっこよさ。両者に対して感じる「かっこよさは」何が違うのだろうかという疑問。


とても丁寧な言葉になっていたけれども、おそらくそれは、アカデミックな建築の世界で感じる”デザインに対しての閉塞感”が頭の片隅にはあったのではないかと私は感じた。

”デザインに対する閉塞感"とは、例えば建築家が作る作品の語りが理路整然とされていることが正とされたり、専門性から外れた方法での素人仕事を積極的に語ろうとはしない姿勢だったりする通奏低音(皆が了解はしてないけれども感じ取っているような風潮)が僕は感じている。

僕自身は建築とインテリア、建築とランドスケープ、そういった括り方にも同様な閉塞感を感じたりする。もちろん僕自身が知らないそれぞれの分野の理論的な乖離はあるかもしれないけれど、「インテリア的な考え」とか「ランドスケープ的な考え」と自分で言葉を使うたびに、果たしてそれはどんな考え方なのだろうと僕は後から疑問に思ってしまうのだ。同じようにそれは「リノベーションっぽい」なぁとか、「建築っぽくないなぁ」とかそういった考え方もである。

建築は躯体を作って、その中をインテリアで・・・外構はランドスケープで・・・なんて考えを僕自身もなんだかんだで持っていたと思う。

とにかくマクドナルドのインテリアって僕らの学んできた建築と何が違うんだろうか?


(店舗設計って消費するサイクルが早いでしょ?それに見合った材料じゃさ、性能も低いだろうし、大量生産で消費することを前提としているから、どういう人の活動になって欲しいかとかさ二の次じゃない?と思ったり。それに表層的じゃん。場所性もなければ、デザイン自体不特定多数に対して本質的じゃないよなという意見…近年、経営のV字回復を果たしたマクドナルドにはなんだか脆弱なものの見方である。)


僕はその問い自体に答えが見出せなかった。
というよりもそれが既存のいわゆる建築の言葉では語ることが難しいのである。


結局、僕の中で答えは見出せてはいないけれど、こんな気づきがあった。

話は少し前の話。
僕は『自宅の部屋の内装』を後輩に手伝ってもらいながら、つくったことがある。

これが、それ。押入れを取っ払って本棚にしたり、畳からラーチ合板の板の間にしたりクロスをとってAEP塗装したり色々試してみた。以前の部屋はいわゆる昔の和室にカーペットを敷いただけのあんまりイケてない内装だったから自分でいうのもなんだけど、少しはましになったんじゃないかと思う。

ただ僕の中で気に入ってるんだけどなにかモヤモヤする。

工事の内容以上に語れることが中々まだ見いだせていない。わがままにも自分の中で建築的に語れる何かが欲しかったのである。
(後輩には感謝しきれないけれども)
さらに変なタイミングで実は部屋のある団地は建て替え計画が進んでいる、いずれこの部屋自体はそう遠くないうちに解体されてしまう運命になってしまった。そんな状況の中わずかな私財を投じて行ったDIYはなかなか建築的な着地点が見出せていない。
なんとなくかっこよくはなったし、実は床の断熱だってしている。それでも中々語る言葉が見つかり辛い、**その時は建築と内装とは本質的に異なるから語る必要もないか。と、そんな括り方をしていたかもしれない。 **

続いて個人的に行なっている『草加の窓際』PJもいわゆる内装である。内装といっても自宅の部屋から少しできる範囲は広がって部屋の間取りの単位を変えたりしているけれども、マンション躯体をいじらないという制約の元、進めている以上は一般的には内装の部類だ。

ここで一気に表題に戻るけれど内装って消費されやすい、店舗なんて1年で簡単になくなったりする。だから張り替えやすいクロスや汚れにくいメラミン化粧板などが使用されるのだろう、もちろんそうした素材の有効性は否定しようがない。

僕自身はこのPJで新しい内装の試みができるんじゃないかと密かに期待している。それは『消費されない内装』とまた大それた言い方にしておきたい。

使用している材料はいわゆる汎用的な合板だけれども、そうした合板一枚で見える風景やユーザー自身の行動をも変えてしまうような使い方をしたいと虎視眈々と思っている。(具体的にはまた終わってからnoteに書きたいな笑)

大分長い前置きであったが僕の中で「内装のような表層のデザインと建築」は少しはリンクしてきた発見である。それはまだ実作がない僕にとって少しワクワクしていること、それを早く共有できる日がくるといいな。

ちなみにトップ画は甲州街道の工事の様子。工事用の衝立にはケヤキの絵がもしてある。

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