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Transformation #1~私がアメリカで自信を取り戻した話~

大学4年生のとき、ふとしたことがきっかけで、”私は私が思っているほど、ダメなヤツじゃないんじゃないだろうか?”と思い、Self-imageが変わり、自信を取り戻したことにより、その時気になっていた彼とデートにこぎつけ、寮の食事で”Hi, Bye”しか言わなかったところから、Resident Assistant/寮長を任されることになったお話です。
話が前後するので、ひととおり記事を書いたら、私のTimelineなるものを作ろうかと思っています。

アメリカに行って本当によかったのは、自由になれたことだと思う。

留学するからには、固定観念やらを取っ払って、とりあえずdive inしてみようじゃないか、と思っていた。私は適応力がある方なのだろう。実際Homesickにもほとんどならなかったし、日本(の食事)も恋しくならなかった。そして得たものは、

・今までいた世界は、常識でもなんでもない。中にいて窮屈だったけれど、外に出てみれば、ほかの考え方や、ほかのものをいいと言ってくれる人がいる
・今まで”こうでなきゃいけない”と不思議と思っていたものに、縛られなくてもいいじゃないか

ということだった。そして、アメリカに行ったら、”優しくて、sweetで、面倒見がよくて”と、とても褒められるし、ある朝起きたらモテるようになったんだろうかと思うくらいモテたのも、プラスに働いた。


#1 Party School

CA→NYを経て、アメリカ生活3年目、大学4年生において、PAに編入/Transferした。その前に住んでいた家が、とても快適な寮だったので、これ以上いいところには住めないだろうな、と思っていた(実際にはもっといい家に住むことになった!)。NYC郊外と言えどもトトロどころかハイジのような生活で、隣には牧場つきの老人ホームがあった。外灯もない森の中を通り抜けて、時々夕方牛や羊を眺めに行ったものだった。

ともあれ、Transferを経て、最初の寮は2週間で退散し(大した話ではないのだけれど)、以後3年間住むことになった寮に移った。

そして、私は仰天していた。

というのも、PAのこの大学はいわゆるマンモス校で、middle of nowhereの大学の町、日本でいえば筑波のような?大学しかない町だった。町の名前がState Collegeというのでもうわかるように、田舎でまわりに何もない大学に、18歳で家を出た人たちが集まるとどうなるかと言えば…とにかく、party school!なのである。その証拠に、というか、This American Lifeというアメリカで1,2を争う有名なPodcastに、#1 Party Schoolというepisodeがあって、これはうちの大学の話だ。笑 このCreatorで、のちにSerialですごく有名になるSarah Koenigは、夫がうちの大学のProf.で、この町に住んでremoteでpodcastを作っていた。ちなみにCampusで講演会があって、話を聞きに行ったことがある。

Party Schoolなので、木曜の夜になれば、毎週誰かが、”Are we going out tonight, or tomorrow night?”と言い出す。そして、行こう!と言った人たちがグループで飲みに行く。居酒屋なるfood&drinks両方が豊富なお店はないので、バーに行く。バーと言っても、日本の人が想像するであろう、暗くてカウンターで大人な雰囲気のところではなく、college townなので、がやがやしていて、1-2杯飲み、うるさい中話して、友達の友達が合流したりして、次へ行く。何軒かはしごして夜中を過ぎると、clubに行って踊って帰るか、もう疲れて眠いからとその前に帰るか、そういう流れであった。

不思議なのだけれど、この飲みに行くグループの中でくっつくことはほぼなかった。けれど、バーで知り合って話しが盛り上がった誰かのことは、持ち帰る人もいた。毎週違う人を持ち帰ってくる人もいた。このあたり、私はasexualなので、”知り合ったばかりじゃなく、普段からどういう人か知っているグループ内の相手のほうが良くないか?”と思っていた。

とにかく、そういう流れだったし、昼も夜も、ごはんを食べに行けばいわゆる下ネタ(といっても、相手をだしにしたり、差別的ではなく、自分たちで楽しんでいるかんじのやつ)だったので、正直辟易してしまい、Hi, と言ってテーブルに加わり、話を聞くも、私の話なんか誰も聞きたがらないし、ほかの人が喋りたいのを邪魔しちゃうし、と思いながら、食べ終わったらBye,と言って去る、というのが日常だった。もちろん私と同じようにおとなしい優しい人たちもいて、仲良くなったので、毎日憂鬱だったわけではない。ただ、私とは違う世界の人、というかんじで見ていた。

人を笑わせるような、おもしろいことが言えるんだ

Spring Semesterになり、いわゆる大学は最後の学期になった(厳密には、一つ取り忘れていたものがあることに大学院に入る直前に気づき、幸い同じ大学だったので、大学院に行きながら取ることで解決できたのだけれど)。ともあれ、この最後の学期に、international studentsから意見を聞くのが好きなProf.と、自身もinternationalのPh.D studentクラスをたまたま取ることになった。そういうわけで、私はクラスで自然と意見を聞かれることになった。

「アメリカで一番のカルチャーショックは?」
「キャンパスをパジャマのズボンで歩いている人がいること!」(※事実です)

なんて、普通に答えたつもりだったのだけれど、クラスメイトを笑わせることがあった。

この、笑わせることができる、というのは、今は大したことではないのだが、とても満足感があった。笑うというのは幸せで、楽しんでいるということだ。そんな幸せな瞬間を、私が言ったことで、提供できるなんてーと思った。私の言うことには、それだけのpowerがあるのだ、と思った。

そして、なんというか、クラスでもやりやすくなった。クラスメイトが私を見る目も変わったと思った。

“私は私が思っているほど、ダメなヤツじゃないんじゃないだろうか?”の種が植えられた瞬間であった。

“I know you have interesting things to say.”

時を同じくして、ある日ランチを寮で食べていたときのこと。私の気になる彼と、Brazilianの子がいたのだが、このBrazilianが、”You’re a good listener”と言いながら、ランチを食べ終えて去っていった。そして、ここが神なのだけれど、私の意中の彼は、こう言ったのだった。

“君は普段あまり喋らないけれど、interestingなことを考えているのを知っているよ。僕はそれが聞きたいんだ。”

これは、初耳だった。こんなことを言ってくれた人は、今までいなかったのだ。この素敵な彼に、私の意見が聞きたい、とはっきり言ってもらったことで、”私は私が思っているほど、ダメなヤツじゃないんじゃないだろうか?”は育つことになった。

不幸中の幸い

時を同じくして、私は…詐欺にあった。笑

いや、笑い事ではないのだが、俺々詐欺みたいなよくある手口だったし、金額も大したことなかったし(親のお金だけれど許してくれたし)、そう言い始めればー詳しくは知らないけれど、大家さんと裁判をしたとか、タダ乗りで罰金を支払ったなんて話も聞くので、大したことないんだよーということで、それはそれとする。ちなみに、この後始末につきあってくれた寮のmanagerは、この件がきっかけで留学生支援をしたいと思ったそうで、その後Ph.Dを取って転職をした!ので、お金はもったいないし犯罪だけれど、全体的にpositiveなことが生まれた機会だったと思う。笑

私的に重要だったのは、この詐欺パニックの渦中(friendlyだったけど警察官が部屋に来たりして、気が動転していた)で、当時いいなと思っていたけれど、どうやら彼女がいるらしい、と諦めていた彼に、彼女いるの?と聞くことができたことにある。

時間を少し戻そう。事件が起こる少し前、寮の友達とごはんを食べていて、shyだと彼氏ができづらいよね、という話になった。この友達は最近彼氏ができたばかりで、いちゃいちゃしているところを目撃されて有名だったので、その話を聞いたりなんかもした(はずだ)。その流れで、彼女が言ったことが印象的だった。

“自分はどういう人がタイプなのか、書き出してみるのよ。そして、それに合う人が現れたら、話しかけてみるの。You start talking to him.”

やはり私はAceなので、このタイプとか、好きになる、ということ自体がわからなかったと、今ならわかる。そして、だからこそこのアドバイスが、ふうん、と思うものであった。そして、気づいた。私は漠然とした”boyfriend”がほしいわけではなく、今すでに気になる人がいてー無理そうだと思いつつも諦めきれていないんだと。それに気づくことができて、一歩前進したのだろう。

そして、詐欺のパニックでランチを食べていたら、彼がやってきた。私詐欺に合っちゃってさー、なんて話していて、たまたま彼の彼女の話になり、それの人はgirlfriendなの?と聞いてみた。普段ならそんなにはっきり聞くことなんてできないけれど、とにかくpanicだったのもあって、ノリで聞くことができた。

彼の返答は、こうだった。
「今忙しいし、彼女ではないよ。」

考えてみれば、この時点で黒なのだけれど(否定してないじゃないか!)、私はとにかく、Yesではなかった!ということに奮起していた。可能性があるじゃないか!と思った。実際、彼は毎日本当に忙しそうだった。

“You’re cool.”

時を同じくして…寮で仲の良い女友達が飲みすぎて記憶を無くし、一大ニュースになった。笑

↑で書いたおとなしい優しい女友達と、3人で飲みに行く機会があったときのことで、みんなでMargaritaを何杯も飲んでいた。飲みすぎている、とはっきりわかる状態になってしまい、お店を出た時には、ひとりで歩けない状態だった。そういうわけで、もう1人の友達と共に、担いで寮まで戻った。College townで、campusから信号を渡ればもうdowntownなので、近かった。寮に戻ってから彼女の部屋に寝かせるまでの間に、どうやら靴を落としていたらしく、後日、あの子の靴拾った、という話になった。笑 友達は一切覚えていなかったし、それほど恥じている様子でもなかったが、あのLauraが飲みすぎて記憶喪失とは!とまわりにはかなり衝撃だったらしい。

それがきっかけで、私も、”普段大人しいけどたまに飲んだりするつきあいやすいヤツ、”と思われたのだと思う。ある日、女友達に、これから飲みに行くんだけど一緒に来ない?と声をかけられた。

“私、あんまり喋らないけど、いいの?”
“別に問題ないわよ?”
着替える必要あるかな?なんて言いながら(飲みに行くときは、冬でもミニスカートにヒールだったりするので)、乗ってみることにした。このときはちょうど、短期で研究に来たFrenchがいて、その子を含めたグループだった。そして、なかなか楽しく飲んで踊っていた。

その流れで、男友達に、言われたのだった。
“今日は来てくれてよかったよ。前から一緒に飲みに行きたいと思ってたんだけど、どういうことが好きなのかわからなくてさ。”
“But I’m not cool like you?” と言うと、
“No, You are cool. I’m not.”
とのことだった。そして、みんなで寮に帰り、この夜は平和に終わりを告げた。

翌朝、Breakfastに下に降りてみると、昨日の男友達が、
“You should have come with us last night. Hazeも、French guyもいたし”
と、来ていなかったヤツに話していた。Cool kidsの仲間入りをした気分だった。

思い込みってあるよね。私は本当に、自分なんかとるに足らないやつだと思っていた。家庭環境やこれまでの色々で、私は壁に頭を打ちながら、頭が痛い痛いと言い続けていたのだ。もちろん、酔いが回って言ったことではあるし、英語は誇張することもある。けれど、私がだめなやつだとは、まわりは思っていなかった、というのが事実だった。

こうして、”私は私が思っているほど、ダメなヤツじゃないんじゃないだろうか?”は、さらに拍車をかけることになった。

そして、映画デートへ

Semester終了も迫ったころ、もう彼を誘う時間もない!と思っていた。彼を見つけて、まわりに人がいないときを狙って、誘ってみよう。すごく緊張するけれど、2人で遊びに行かない?って、言ってみよう。
(ちなみに、こういうときは、Do you want to hang out?と言います。使ってみましょう。笑)

そして、そのときが来た。彼は、嫌そうな顔をするでもなく、
“Going to the movie is good?”
と言った。日程もすぐに決まった。

部屋に戻って、私はガッツポーズをし、声にならない声をあげた。好かれるなんて気持ち悪い、とか思わないんだ。2人で時間を過ごしてもいいと思ってもらえるくらい、私には価値があるってことなんだ。。。と思い、すごく嬉しかった。それからデート当日までは、うれしすぎて緊張しすぎて食欲が落ちてしまい、フラフラしていた。笑

実際のデートは、まあまあの映画を見て(私が選んだのだけれど)、怖いシーンでは腕にしがみついたりしつつ(この映画選んだの君じゃないかー笑 なーんて冗談だよー笑 と言われた)、主に彼がしゃべり、私が聞くという、今までの流れだった。また行こう、と言われ、hugをして部屋に戻った。(個人的にはうまくいったと思ったのだが、まあ、次はなかったし、彼は例の彼女と結局結婚している。実際のところ、この一連の流れで私が自信を取り戻し、喋るようになってみると、正直彼とは合わなかった。だからいいのだ。強がりでなく。笑)

ちょうど、finalsが終わるタイミングだった。有頂天で映画を見に行って、女友達に報告したあとは、そのまま夏休みに突入し、一時帰国した。先はどうであれ、ここまでたどり着けた喜びいっぱいに、夏を過ごした。

RAになって

Fall Semesterになり、私は大学院に入った。寮に戻ってみると、↑のhouse managerから、RAになってほしいの、と言われた。願ってもない機会だったし、給料も出るしで、引き受けた。

書いたようにHi/Byeしか言わなかった私だが、寮長として、新しく来た人たちをwelcomeする立場になった。また、RAをやっていると情報が集まると思われて(あながち外れていないのだが)、食事となるとみんなにいろいろ聞かれるようになった。Jokeも飛ばすようになったし、毎日のclassの話などもするようになった。

つまりは、普通にしゃべるようになった。この私の変わりようを見る前に出て行った友達からは、”あんまり喋ってなかったよね”と今でも言われる。当然だ。反対に、このTransformation後に出会った人たちは、私がそんな状態だったなんて信じない。一貫して見ていた人には、”たしかに最初はshyだったよね”と言われた。

だからどうという話でもないのだけれど、私の変わりように驚いてたまげた人は、ひとりもいない。私としては、玉ねぎの皮をむいて(って)、自分の内側が出てきただけだと思っている。

そして、現在

だいぶ長くなってしまったけれど、今思い出して書いてみても、楽しいし、手が熱くなってくる。彼も、寮の友達も、本当にいいことを言ってくれたものだと思う。こういう機会が、私は少なくとも日本ではなかった。もっとこういったことを言ってくれる人がいて、ほめられていたら、家庭環境が悪くても、人生で苦労することは少なかったのではないかと思う。正直、日本の人が自信がないのも、こういう機会がないからではないかと思う。ほめる文化、いいと思うんだけどな~。

ちなみに、この彼だが、私と同じ期間寮に住み続けていた。3年目に新しく入ってきた女友達と、
“彼、ちょっとかっこいいよね~。イギリスの俳優に似てるよ。”
“じつは私、2人で映画見に行ったことあるんだよ!”
“まじで!それ、デートじゃん~”
と話したのが、いい思い出である。^^

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