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いろんな"日本人"

日本人にもいろんな人がいるよね…は、言わずもがなだけど笑、ここではidentityの話。

私は日本嫌いだったし、今でも合わないと思っていて、念願叶って外で暮らしている。自分の国(というか)を好きでも誇りにも思えない自分を責めながら、ほかの(普通の、多くの)日本人に比べて自分はminorityだ…と散々向き合ってきた。
と、ここで書いていて、decision treeで整理するのがわかりやすいと思ったので作ってみたよ。

Canvaで作ったよ

私が思う日本人

身体的な特徴もそうなんだけど、服装とか、nonverbalな部分の振る舞いで、ローカルな人じゃないな、と判断できると思っている。どういうことかというと、たとえば電車の中で動くタイミングとか、モールで勝手に携帯を充電しないとか、ボトムは黒いyoga pantsだけで歩かないとか、そういうこと。
観光客もこれで見分けられる。旅行で身を守るため、目立って浮かないようにするために、私はこういうことを気にする。

んで、身体的な特徴と生まれ育ちも去ることながら、この空気感を共有していて、その場の予定調和に従ってふるまえる人のことを、"普通の日本人"と言うのではないかと思う。
空気感を共有していること。日本人の定義を議論するつもりはなくて(興味もないし)、私の主観として、こういう人のことを言うんだろうなあ、という話。

これに従うと、上の色のとおりなんだけど、①帰国子女②二世/日系/etc③移住・脱出は、空気感が共有できなくなるという点で、"日本人"ということになるというのが、私の意見である。
留学していても戻ってきた人や、海外在住でも日本を引きずっている人(いい面も含めて)は、空気感を共有できるということになる。

というわけで、それぞれ簡単に解説するね。

「普通」の日本人

説明の必要もないのだけど、いわゆる海外との接点があまりない人たち。
で、私は別にこれがnegativeだと言っているわけではないのだけど、
「アメリカにいるのってすごいね」とか、
「ってことは英語がぺらぺらなの?」とか言ってくるのはこの人たちである。英語で生活するってことは、ぺらぺらじゃなくて、普通に喋れないとまずい、という次元に移るってことなんだけど、経験していないのでそれが想像できない(again, これが悪いわけではない)。住んでいる世界が違う、という表現にもなる。

うちの両親がこれで、私がアメリカに行って以来、話題は天気とnewsくらいになり、私が色々教える立場になった。留学していないので、どういうものか想像もできない、と友達に言われたこともあった。

帰国組(留学経験者)

留学友達の大半は、アメリカに行った結果、食事が恋しいとか、あいつらとは働けないとか、色々あって日本がいいという結論になり戻ってきている。嫌いで戻ってきたわけではないので、「Trader Joe's恋しいよねーまた行きたいよねー」なんて話はできても、私のように、嫌だ~戻りたい~と言う人はいない。

この人たちにとって、留学は一経験であり、過去である。英語も使わなければ忘れていくものだし、特に活かしたいと思ってもいなかったりする。

日本人であり続ける人たち(現地在住)

海外生活が長くなれば、Japanese-nessは薄れていくもんだと思うだろうけれど、そうとも限らない。

留学して、そのまま残っている友達は、基本的に現地で相手を見つけて結婚していた。(人数が足りないoccupationの人も、いるにはいるのだが)
そして、日本が恋しがり、生活の一部としてkeepしている印象を受ける。言語能力もあってか、在住communityでつるんでいたりもする。

もちろんそれが悪いわけではないし、国籍に関わらず、ある程度移民には見られる傾向でもある。同じhome出身の人といるのは、面倒なこともあるけど、基本的にいいこととして捉えられているし、そうだと思う。そうして、いろんな国から来た人が、料理や文化を持ち込んで、現地をおもしろい場所にしていっているという恩恵ももたらしている。

ただ、個人的には、keepしている人は「引きずっている」ように見えるし、つまらない。どうして海外にいるのに引きずってるんだよ!と思う。だけどこれって、逆から見ると「引きずらずにやっていけるのがすごい」になるらしい。
DCにいながら毎週日本のカレーを作っている、という人に引いた話は、↓に書いたね。

ちなみに、DCで日本の人とnetworkingをしたとき、日本で働くと、

  • 給料は安いし

  • 拘束時間は長いし

  • その割に、使ってもらえない

と聞いたのだけど、批判的にではなく、しょうがないわね、と笑いながら言っていて、「だから日本が嫌い、アメリカで良かったわ」とは誰も言わなかったのが、とても不思議だった。その後、食事は…とか、きれいな人が多い地方は…とか、そういう話につながっていた。

移住・脱出

これが私が目指しているもの。

もちろん家族や昔からの友達は大事にするけれど、ほかの国の人と結婚していたり、日本人相手のビジネスをしていなかったりと、日本人communityとはあまりつながっていない形で、現地でopenにいろんなものを経験し、いろんな国の人と働いたり友達になったりするということ。別に日本が嫌いじゃなくてもいい。
こうなれるかどうかは、引きずる人との違いで上に書いた通り、それまでの日本での生活を、ある意味切り離して暮らせるか?のような気がする。同時に、この相手にはどんなrulesが通じるかわからないので、戸惑う…ということもある。

日本人になりたい人たち(帰国子女)

帰国子女で、"そうでもしないと日本人として見てもらえないから"と、大学は日本に来て、そのまま就職する人もいる。(帰国子女入試のある某大学が多い印象)
このタイプはコインの表裏で、私とはとんでもなく合わないので、日本は窮屈で…なんて言おうものなら、「それは国じゃなくて今までたまたまいた場所の問題じゃないの?」なんて言われる。↓に書いたね。

「親は日本人だし、自分も日本が好きだし…」と言うのだが、やはり物事ははっきり言うので私は驚くし、結局転職して外に出て行ってしまうことが多い。それでも日本は好きなんだろうけど、"空気感"を共有しているものを民族として定義するならば、この人たちは違う。大学と就職が日本であっても、日本人としては見てもらえないと思う。

二世/日系/etc

日本語で会話はできても、この人たちは日本人とはまったく別の生き物だと思っている。見た目が違って、日本よりも体を鍛えるし、日焼け止めはそれほど使わないし、"what's considered attractive/beautiful"が違う。表情も豊かで魅力的。個人の意見ですよ。

これもどこかで書いたような気がするのだけれど、私が会ったJapanese Americansは、友達世代では残っていないことが多いのだが、親やその前をたどると、日本で聞くと、ん???と思うような、cultsも含めたreligionの人たちだった。それが直接の理由ではないにせよ、何かしらreligioius reasonsで移住しているんだな、と思った。Manifest destiny然り、屯田兵然りだよね。

考えたからこそ

留学していれば、海外にいたことがあれば、誰とでも話が通じると思っていた。が、感じ方も経験も違う上に、日本人に対しては前提としている常識が違うんだな…と思うようになり、気づけば本音で話せる人が減っていった。自分でも自分を肯定できなくなり、長いこと責めていた。

だけど、その過程で、なぜ通じないのだ?どうして私とは違うのだ?と考えたことで、こうやって分析することができるようになったとも言えるんだろうね。

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