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ボストンキャリアフォーラムからDCインターンへ

Bostonで惨敗した翌日、望んでいたインターンが決まりました。
あなたの道はそっちじゃない。他の人には難しいことも、あなたにはできる。そう思っていたことが、示された経験でした。


卒業後のインターン探し

5月に大学院を卒業し、8月までは家の契約があったので、そのままインターンを探すことにした(OPT)。卒業後すぐに働き始める、というもんでもなく、数か月かかるのは普通のアメリカである。

最初はやる気があったものの、いくつも応募しても返事が来ないことが続き、やる気は落ちていった。Career advisorに書類は見てもらっていたし、LinkedInでalumniともつながって電話したり会ったりしていた。やるべきことはやっていたはずだが、結局100件近く応募して、面接まで行ったのが片手で数えるほど。日本の就活なんて目じゃない競争率のjob marketである。
大学のcareer fairに来るような大企業なら少しは楽なのかもしれないが(Johnson&Johnsonとかね)、そもそもvisaが必要な場合はCVを受け取ってもらえないという話だった。私は大型採用をする大企業ではなく、public/NGOを相手にしていたこともあって、行ったことはないんだけどね。

加えて、potential採用ではなく、"この仕事で要求されることができます、なぜなら似たような経験があるから"と説明できないといけないので、work experienceがあることがダントツ有利。よって卒業後に仕事を見つけるのが一番難しいわけで、学生のうちのinternをたくさんやっておくことになる。

こうして苦労していたのは私だけではなく、Americanでも何でも関係なかった。いくつも転職をして、やりたい仕事にようやくたどり着くのが普通で、仕事の種類を変えるのはとても難しい。それがアメリカである。
最近高校の後輩(官僚)がアメリカに留学してinternを探していたけれど、何年も働いたあとでもやはり探すのは大変だったそうで、"苦い顔をしていた理由がわかりました"と言いながら、結局大学のコネがあるところでinternをしていた。

ここまで説明しないと伝わらないだろうけれど、それだけ大変なことだった。

DCへ引っ越し

家の契約が終わったので、9月にインターン・仕事を探していたWashington DCへ引っ越すことにした。仕事が決まっていないのに引っ越すことについて、当時のboyfriendは驚いて怯えていた。彼には信じられないことだったらしい。
引っ越せば、現地のイベントでnetworkingもできるし、残っていても何もいいことはない。親しんだ町や人と離れることにはなるけれど、それはしょうがない。そういうわけで、DCにある大学のサイトで部屋を探し(当時はその大学の学生じゃなくても使えた)、Airbnbに泊まって部屋を見に行って決めた。

引っ越しに伴う変化と重なってほしくなかったので、その前に彼とは別れていた。いいこともあったが、将来はないつきあいだったし、それを除いたとしても、この頃には"irreconcilable differences"と離婚理由に挙がるような、個々人の価値観の違い、性格の違いが見えてきていた。
だから、別れたときはさらっとしていたのだが、新しい家を決めたときには悲しくて泣いた。このときのことは、少し書いたね。

新しい家は、一軒家の半地下で、上に住んでいる家族が大家さんだった。大家さんと言っても、住んでいるうちにhost familyのようになってしまい、仕事を手伝わせてもらったり(バイトとして)、ごはんをおすそ分けしてもらったりした。となりの部屋には一回り上の素敵な女性が住んでいた。
このときの話は別に書くとして、引っ越してからも、近くのlibraryに通い(歩いて通えることが家を選んだ理由の一つだった)、internsへの応募を続けた。イベントにも顔を出し、近くのジムにも通っていた。

キャリアフォーラムに行くか

そうして何も決まらないでいるうちに、11月のボストンキャリアフォーラムに参加するのもありか、と思うようになった。

正直気は進まなかった。日本に戻るつもりはなく(日本以外ならどこにでも行く!)、日本企業も嫌だったし(企業も文化も)、アメリカにいても日本の組織で働いて日本と毎日やりとりをするのなら、いる意味がないじゃないか!と思っていた。当時アメリカに5年間住んでいたが、キャリアフォーラムには一度も行ったことがなかった。

それでも、job searchはとても大変だったし、当時話を聞いていたDCで働いている日本の人たちは日本の企業で働いてからアメリカに来ていたし、アメリカと違って勉強した分野の仕事でなくてもよく、"経験がなくても育ててもらえる"ところもある。Bostonに行けばcommunity college卒でも仕事が決まる、という話も聞いていたので、ありかなと思ったのだった。
ちょうど、友達が行くと言っていたので、一緒にホテルに泊まらせてもらうことにして、当時目指していた分野に関係する仕事に応募した。適性検査で落ちたところもあって、優秀だと思っていた私としては意外だったのだが、いくつかは面接が決まった。
妥協だったが、Bostonに行けば、すぐに仕事が決まると思っていた。ここでなら私の優秀さが伝わるだろう。なんたって私は進学校の生徒会長だったのだから、と。

電話面接

Bostonに行く前に、ひとつ電話面接を受けた。
仕事の話ではなく、留学生活の話などを聞かれ、相手を笑わせることもでき、1時間ほど話した。この面接がなぜか通り(本当に人柄を見てくれるところなのだろう)、Bostonで数時間、面接時間を確保してほしいと言われた。

その後、この組織で働いていた人に話を聞きに行ったところ、私が電話で話した相手とは同期だった。つまり、私がいいところまで選考に進んでいるということだそうだ。
この人は帰国子女で、大学→仕事は日本だったけれど、出向を経て結局アメリカに戻ってきていた。ということは、物言いがはっきりで、私とは真逆の合わないタイプなのである。この人と話していて、就活に疲れた…ということはわかってもらえたものの、私が日本が嫌である感覚は、わかってもらえなかった。
「日本全体が悪いのか、今までにいた場所がそうだったのか、どっちなんだろう?こっちが構えていると、相手も構えちゃうよ?」

私は当時、ある分野を目指していた。それは、私が勉強したことに近く、"DCに行くならこの分野だよ"と言われ、classmatesが目指しており、イベントやsupportもたくさんあるように見えた分野だった。
だからその仕事に応募していた。だけど正直、私はあまり気が進まなかった。他にやりたいことはあったものの、その関係の人とは出会えず、話を聞くことができなかったし、無意識だけど、色々教えたいであろう相手を困らせたくない気持ちもあった。もちろん家庭環境のハンデもあった。

そういうわけで、"アメリカを出てからその分野の現場に行くつもり"と言ったところ、「なんで、まだ行っていないの?」と驚いて聞かれた。私にはそれが驚くこととは思えなかったし、アメリカには卒業後1年残れますからね、と説明をしたのだが、今は一番選べる時期だよ!とか、もったいないよ!とか何とか言われた。

この人と話したことで、私の中で何かがぱーんとはち切れた。
そして気づいた。私は元彼と別れたばかりで、自分の人生やキャリアを考えられる状態にはいないのだと。今が大事な時期なことはわかるのだけれど、そもそも元彼がいない世界や自分の人生が考えられないのだと。

Bostonで面接が進めば、キャリアフォーラム開催中の予定が埋まるはずだった。そんな中で、この電話面接の組織に数時間確保されることは、簡単に言うと邪魔だった。それに、この組織は、頭ではつながるとわかっていても(私が話した人は出向を経てDCにいるわけなので)、やはり気が進まなかった。そしてお断りをした。
ここまで言っていなかったが、この組織は日銀である。面接を通してくれたことはありがたいけれど、今でも私には合わないと思う。

実際のところ

そんな状態でBostonに行った。友達はキャリアフォーラムパックに申し込んでいたので、バス送迎があった。この旅行会社も採用をしているとバスで説明していたのが印象に残っている。

行ってみると、キャリアフォーラム自体が、ボストンでやっているだけで、実際はめちゃくちゃ日本の就活だった。いきなり黒いスーツの集団が現れて、何やねん!なイベントである。そして、来ているのも、私のように完全に(というか)留学しているのではなく、日本の大学生で、交換留学をしていた…という子たちが多かった。アメリカではjob searchの方法を教えてもらっていたわけだが、日本のそれとはまったく違い、就活本や情報もあまり手に入らなかったので、私にはとても不利な状況だった。

そして、留学と言っても中身はさまざまで、実際には家で日本のドラマを見て、日本人とつるんでいる人も多いのだが、そんな中でも私はdebateやらTA/RAやら色々やっていたわけで、そんな私の適応力や、日本の大学生とは違うこと(つまり多様性?)は、求められているし伝わるはずだ!と思っていたが、そんなものは見ていないようだった。

…というわけで、面接は、どれもだめだった。
キャリアフォーラムの前日にコンサル会社のBoston支社に行って、英語面接は通ったものの、ケースが解けなかった。参加前に調べはしたが、本などはアメリカで得ることができなかったので、不利な状況だった。
ほかは、普通に面接が通らなかった。ブースを回って即席面接を受けたり、話を聞いたりもしたが、どれにも正直興味が持てなかった。その場にいたcareer advisorには、"学生ビザはいいけど、働くとなるとけっこう厳しいよ"と言われ、やはり興味のない求人を見せられた。

このときの面接官のひとりとは、後々DCのイベントで再会した。会社でMBA留学をしているような人が、Bostonで面接官をやっているんだな、と思った。そして私は後にコンサルになっている。

そして、一緒に行った友達とも、実は微妙だった。私は違和感を感じてから1年くらい経っていて、好かれていることはわかっていたけれど、やはり合わないと感じることになった。つきあえるのにつきあわないまま寝ている、という惚気を聞かされ、私は事情があってつきあえなかったのに…と思った。自分の失恋状況については、詳しく話せなかった。
事情があって同い年で大学卒業前だったが(私は院卒後)、いくつも内定をもらい、同じく受かった子たちと会社のおごりでLobsterを食べに行っていた。そのとき私はひとりでmallに行った。Bostonは好きなので、それはそれで悪くはなかったのだけど、どうしてこの子よりも優秀な私が理解されないのだろう?と思った。

落ち込んだ中、母に連絡を取ったところ、私が日銀の面接を断ったことについて、選んでいられる場合なの!と怒られ、私は泣くしかなかった。

その後、私が一度返信をしなかったことで、友達とはいとも簡単に連絡が途絶えてしまった。催促もなかった。私の活動は今も見ているようだけれど。

元彼に電話

そうして、落ち込んだ私は、、、Bostonの会場で泣きそうになりながら、元彼に電話をした。

週末に元カノからいきなり電話…で起こされたわけだが、
「日本の普通の大学生よりも、君はいろんな経験をしているから、引っ張りだこなんじゃないのか?」と、彼は至極真っ当な反応をした。
「私もそう思ったのだけれど、とにかく全然うまくいかない」と、私は泣きながら答えた。
面接の準備はきちんとしたのか?とか、そういうことは一切聞かずに、Don't worry, you'll be fine, と繰り返し言ってくれた。今思えば、私は元彼とのつながりを取り戻すために、この出来事が必要だったのかもしれない。

Bostonでうまくいかなかったことは、かなりショックだった。
これまでのjob searchにおいて、私は好き嫌いがはっきりしていた。気が進まないことは、面接まで進んでも、やっぱり嫌だった。
夢のようなことは、目指さないと達成できない。ほかの人には難しくても、私ならできるかもしれない。そう思って頑張ってきた。

だけど、これからは、自分の理想を下げて、もっと広ーーーくいろんな業界を見て、人生まるごといろんな可能性を考えてみよう…
そうして私は、空っぽになってDCに帰った。

インターンが決まる

その翌日…DCでのインターンが決まった。(!!!!!!)

とんでもないタイミングである。
"何時ごろ電話するわね"、というメールが担当者(のちのボス)から来て(確認、というかんじで)、そのとおり電話で面接よりもcasualに話をしたところ、"keywordsをいくつか言えたわね"と言われ、それで決まったのである。これは、私が本当に興味があった分野のinternで、名のあるアメリカのthink tankだった。

以来、私を心配して連絡を取るようになった元彼に報告したところ、"You know what? You do your thing." と彼は言った。
その通り。やはり私は間違っていなかった。
私にはこっちの道なんだ、と思った。

嫌なこと、悲しいと感じていることは、否定してもなくならない。
認めてしまうと動けなくなるように感じるのだけれど、認めるとそれだけで満足することもあるし、認めない限りは、結局のところ、動けないよね。
認めた上で、今自分にできることは何か?と行動していくのがいいと思う。


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