見出し画像

口から生まれてきた人

今朝、考えていて、浮かんだので、書くことにした。
高校でのこと。このあとのことです。


生徒会

高校に入ったら、生徒会に入ろうと決めていた。理由は、親友がやっていて楽しそうであり、私も執行委員会に入りたかったのだが、嫉妬されて入れなかったからである。
高校に入って2日目に生徒会室に行き、入りたいです、と伝えた。その日ほかにも入って来た子たちがいて、一緒に帰ったことを覚えている。

高校はなかなかにstressfulだったが、生徒会室に行けば落ち着くことができた。先輩も同期もみんな優しく、心を許すことができた。音楽好きが多く、それぞれ好きなグループがあって、いつも音楽をかけていた。私はこのときaiko→スガシカオに変わっていた。

生徒会では4つの係に分かれて活動しており、体育大会やら部活やらを管理していた。学校祭は、生徒会とは違う組織なのだが、ほとんど顔ぶれは同じだった。
全校集会のときは、トランシーバーを持って生徒を誘導する係であり、早く抜けてあとで帰ってきても許された。集会中も後ろに座ったり立ったりできて、寝落ちせずに済んでいた。笑

生徒会長

うちの学校では1年生の後半と2年生の前半の期から生徒会長を出し、2年の前半が終わったら引退し、生徒会室に遊びに来ることはあれど、その後関わることはなくなる、というしきたりだった。この"早期引退"には賛否両論あったのだが、そういうわけで、1年目から、誰か会長を出さなければならなくなった。2年生の現会長はすばらしく、そもそもこの期は人数も多かったのだが、私たちからは誰もやりたいという声が上がらなかった。

そんなある日、同期がクラスの友達を連れてきて、この彼が生徒会長になった。半年で満足したらしく、2年目の前半は私が生徒会長になった。

つるむ

この彼は、いわゆる育ちがよかった。絵やらダンスやら楽器やらいろんなものを習っていた過去があったし、格好も、高校生にしては大人びていた。
同時に、暑苦しく男らしいところもあった。とても個性的で、はっきりしているタイプで、突飛な行動をわりとしていたのだが、ああいう飛び出方しかできなかったんだろうな、と今は思う。高校生の世界は窮屈だった。
彼は、めちゃくちゃ、喋った。そして自他ともに認める滑舌が悪かった。
常に物を失くしており、生徒会室の机の上はいつもごちゃごちゃなのだが、私は探し物を見つけるのがうまく(何故?)、"探し物の神"と呼ばれながら、彼が見つけられないものを毎日のように見つけていた。

何がどうなったのかわからないのだが、私も育ちがいいといえばいいし、当時私は"いい子"であり、自分を出すことなく、喋るよりも話を聞くばかりで、なんだか私たちは仲良くなった。お互いJazzが好きでもあった(私のパターン?)。
2年生になるころには、毎日放課後に生徒会室に行ってみんなと時間をつぶし、そのあとは地下鉄で彼と一緒に帰り、乗り換え駅で降りてしばらく話してから帰るのが常になっていた。彼は地下鉄一本で通っていたので、降りる必要はなかったのだけど、私と一緒に降りていた。そうして家に帰るとすでに彼からメールが届いていて、どちらかが眠るまで長いメールのやりとりをし、翌日また生徒会室で会う。そんな、べったりなつきあいを、気づけばしていた。メールは私も同じくらい打っていたが、一緒にいる時間の90%は彼が喋っていた。

彼は私のような男友達がほしかったのだろうと当時から思っていた。だけど、あまりに時間を一緒に過ごしすぎていて、これはもう言っていないだけで、つきあっているも同然なのだろうと思うようになった。

優等生

で、話は変わるのだが、進学校には、困った家庭環境の子が実は多いというのが、私の実感である。特に高3のときに仲が良かったgroupは、私を含めみんな何かしら問題を抱えていた。
家に問題があると、子供は自分のせいだと受け止め、もっといい子にならなきゃ!と努力し、成績優秀になるということ。だから、進学校であるほど、こういう問題のある家の子が多い。とはいえ、努力しても優秀になれなかった場合は不良(という表現が正しいのか)になるわけで、こういうところにも家庭に問題がある子は多い。つまり、どこにでもいるのかもしれない。

高校生というのは…大変である。うちのような進学校ともなると、高校の3年間、そして浪人の何年かは、医学部に入るための勉強のためにあるようなものだった。勉強と部活と多少の行事。それ以外はすべて無駄。プレッシャーである。高校にカウンセラーはいたのだが、会いに行けばまわり全員に知れ渡るようなプライバシーのないところだったし、体育の先生がやっていて、プロでもなんでもなかった。

そういうわけで、生徒会の私たちもそれぞれそれなりに抱えている家庭の問題があったのだが、この中でも特に問題児がいた。そしてあろうことか、この彼女は、私がべったりつるんでいた彼と、いつの間にかつきあっていた。

彼女

彼女もまた、同期の友達ということで、顔を出すようになった子だった。
彼女の家(特に父親)が大変で、それがすべての元凶なのだと思う。先輩(生徒会ではない)に片思いしており、何度も振られてもあきらめないでいた。よく過呼吸になっていたし、自殺志願者でもあり、まわりに寄りかかっていた。
だが少なくとも彼女は、それをオープンにすることができていた。いわゆるメンヘラだが、そのわりに自分を強く持っていてちゃっかりした子なのではないかと私は思っている。当時の幽体離脱だった私より健康的で、はるかにましだ。

つきあってるんだよ

それは、学校祭が2週間後に迫った日のことだった。
彼女に対して、キレている同期がおり、というか、共通の敵がいたおかげで、私たち女子たちは徒党を組んで仲良くなっていた。
そうして彼女のことを話しているうちに、ある子が言った。

「彼女と彼は、つきあっているんだよ。キスしたって」

それを聞いて私が思ったのは…なんで、あんなやつと!? である。
私のほうが可愛い。細い。優しい。魅力的である。メンヘラでもない。
そもそも私たちはあまりに時間を一緒に過ごしすぎている。一体どこにそんな、つきあう時間があるというのか!?

心臓がばくばくし、何かが壊れそうになりながらも、これを人前に出すわけにはいかないと思い、私は高校の建物の外に出た。壁にもたれ、私は号泣した。

落ち着いた私は、泣いていたことがわからないようにしながら生徒会室に戻り、荷物をまとめ、自転車で中学の友達に会いに行った。この友達には、しばらく会っていなかったはずだが、マンションの外に出てきて、花壇に座り、私の頭を抱いてくれた。私は再び泣いた。
「彼女がいるんなら、もうそうやって話したり帰ったりするのは、やめてって言いな」
家に帰ったものの、食欲がなく、あまり食べられなかった。部屋に戻り、彼に電話をかけて、そのとおり伝えた。
「そうか、じゃあ、そうするか」と彼は言った。


この時まで、いわゆる"失恋"でショックを受けるというのはなかったような気がする。小学校のときも相当辛かったが、このようにシャープに、短時間で来るようなものではなかった。

今もそうなのだが、デート前でも、失恋でも、胸いっぱいになっているとき、私は食欲が極端に減って、食べられなくなる。食べないと、眠れない、おなかも痛くなる、と、悪循環でしかないと、こういった出来事から学んだので、今はできるだけ食べるようにしている。

私はこの彼に恋をしていたわけではなかった。"こういう人たちを、魅力的だと思うのだろうか?思うべきなのだろうか?"と思いながら、生徒会の男たちが物を持ち上げているとき、おしりを見ていたことを覚えている。なんでおしりなのかと言えば、後ろから見ることができたからだと思う。笑
彼は自分の顔を自虐していたし、一般的に見ても、特にイケメンとか、魅力的とか、そういうわけでもなかった。変わっているとは思ったし、なぜか仲は良かったが、特に尊敬できるとか、そういうんでもなかった。苦笑
ただ、これだけ一緒に時間を過ごしているからには、情が移っていくものなのだろうな、それが自然な成り行きなんだろうな、と思っただけだ。

ともあれ、学校祭は2週間後に迫っており、私は当時料理の担当をしていて、明日は休めないと思った。
どうしよう。何ならできるだろう…と考えたとき、ある考えが浮かんだ。
そうだ。あの先生に会いに行こう。

そうして私は…翌朝早く起きて、英語の先生のところに行くことにした。

ビスコ先生

話は脱線するのだが、この英語の先生が、また相当な変わり者だった。
2年生になって初めて出会ったが、第一印象から強烈だった。

「大洋先生って呼んで。恋に困ったら、相談に来てください」

そんな自己紹介…というか、最初の英語のクラスを見て、私は、"今はいつになるかわからないけれど、何かあったら、いずれ私はこの人に相談に行くんだろうな"、という予感を持っていた。

言葉というのは、こうして誰かに響くのであるからして、扉を開けるときは…というか、困ったら来てね、とか、そういうことを言うときは、本気で思うことだけを言うようにしましょうね。

そういうわけで、夜はあまり眠れなかったのだが、早く起きて高校に行った。生徒玄関は開いていなかったので、職員玄関から靴を持って入った。
今思うと、そんなに早く学校に来て、この人は一体何をしているんだろう?なのだけど(実は高校のすぐそばに住んでいた)、この人の部屋(視聴覚準備室)からは、音楽が流れていた。何度かノックしようかと手を出したりひっこめたりして、ようやく私は中に入った。
「昨日、ショックなことがありまして」
そうして私は、この先生に事の始終を話した。

「君は、彼が落ち着ける相手なんだね。落ち着ける相手というのは、つきあっている相手ではないこともあるね」
と、この先生は言った。
「それでも、彼女に対して、君が意地悪しなかったら、それはちょっと素敵かなあ」
そうして、ボキ(僕)のバイブルだ、と言いながら、山田詠美の「僕は勉強ができない」を渡された。私はすでに本の虫だったので、この日はこの本を読んだ。
この先生は、英語のテストで満点・最高点を取ると、ビスコをつけて返してくれた。2・3位だと、あめがついてきた。
「君なら、ビスコ取れるよ」
そう言いながら、特別に、ということで、大袋からビスコを一つ出してくれた。


この人は先生としてもかなり優秀で、なかなか解けない難しい問題を出していた。私は中学のときから英語が一番得意だったが、この出来事の後、この先生について行くことを決め、ますます英語にのめりこみ、3年のときには学年最高点を取った。私と同じく学年最高点を取ったのは、中学から一緒だった学年1位で、彼女は東大に行った。
「だけど、彼女は子供で教科書の枠を出ない。君は大人だね。ただ、読書ばかりで想像力が豊かな人は、気を付けないと勘違いをすることがあるからね」
私はピアノも弾くんだけどなあ、と思った。

私ははじめから留学するつもりだったからして、センターすら受けていないのだが、「君が東大を受けないのはもったいない」と言ってくれたことは、今でも覚えている(その日はセンターの申し込み締め切り日だった)。私の友達にも、私をとても評価していると言っていたらしい。

…話を戻そう。
ビスコ先生に会いに行ってすっきりした私は、そのあと自販機で飲み物を買った。すると…なぜかおつりが切れていたらしく(私のエネルギーのなせる業なのだ)、チャリン、チャリン、と、大量の小銭がいつまでも出てきて止まらなかった。止まったときには、あまりにも量が多く、取り出し口が開かなかったので、少しずつ引っ張り出すしかなかった。

そんな小銭の山を持って、私は生徒会室に行き、彼を含めてみんなに見せた。彼は、ふうん、と言いながら、小銭ではなく、私の顔をじっと見ていた。この日の昼も、私は食欲がなく、あまり食べられなかった。

火事

そうして、難なく(?)迎えた学校祭では…火事が起きたり、野球部の先輩がドラフト指名を受けたりした(この人は数年後に解雇された)。

ともあれ、火事である。
私はほかのところにいて、一切見ても覚えてもいないのだが、担当の子が大泣きしながら、別れたばかりの元彼に抱きしめられていたことを覚えている(別れたのに、こういうときは、まだ続くんだなあ…)。火事が出たのが、1年生の後輩のクラスで、苦労者だなあ、と思ったことも覚えている。彼女曰く、これは悪い出来事ではないらしく、むしろ絆が深まったらしいのだけど。

その夜、彼から来たメールは、こうだった。

火事のあと、川を歩きに行った(高校の横には川がある)。
君が、歩いているといいな、と思いながら。
僕、何やってるんだ、もうわけわかんねー

そのあとだったのか、前だったのか思い出せないのだが、私たちは同じく河川敷で話をした。彼の言い分はこうだ。

  • 問題の彼女は、僕ではない男子(彼を連れてきた同期)に告白し、その男子はパニックになって僕に電話をかけてきた。だから、僕が彼女を引き受けた。

  • 問題の彼女は、自殺志願者であるからして、窓によじ登るところも僕は見ている。今別れたり、放っておくわけにはいかない。

  • だけど、君のほうが、僕にとって彼女より上だ。

  • だから、しばらくして、彼女と別れたら…

とのことだった。

ほとぼり

その後、学校祭は終わり、私たちは生徒会を引退し、以前のような頻度でメールをすることも、時間を過ごすこともなくなった。
修学旅行では、パジャマ姿で彼と話したことと、彼がどぎまぎしていたことを覚えている。これは狙ってやった。恋愛とは、そういうことをするものだと思っていたからだ。

時期は思い出せないが、足湯に行ったり(何故?)、友達を交えて登山に行ったりもした。登山では腕を組んだりもした。なんとなく頭を肩に乗せてみると、「僕、最近、もてもてだな」と彼は言った。

が、なんというか、私としては、気分は下がる一方だった。その後、2人が別れたらしい、と友達から聞いたときには、すーん、という感覚であった。それからしばらくして、彼からメールが来た。
「寝台列車に乗っています。一人旅はいいものです」
この時、私はひとりで、るんるんと買い物をしていたのだが、このメールには憤慨した。

ひとり旅って言いながら…私に連絡してんじゃねーかよ!

話は再び変わるのだが、ピアノとフルートを習うのを高1でやめた私は、かねてから習ってみたかった空手に通っていた。手を怪我するから、と楽器をやっているときには止められたものの、今はもう何も言われまい。親父(とおばあちゃん)としては、"空手なんて女の子っぽくないものを"という意見でもあったのだろうけれど、母方のおばあちゃんからは、
「性別なんて、あなたとっくに超えているのに」
と言われていた。空手をやりたいと思ったきっかけは、もちろん、毛利蘭ちゃんである。笑

この日、買い物をしてから空手に行った私は、彼への怒りを込めて、サンドバッグを叩いたり蹴ったりしていた。

  • とんでもないことをしやがって。

  • ずっと話を聞いてばかりじゃ、こっちはつまんないんだよ。

  • だいたい、てめえ、かっこよくないんだよ。

と。苦笑
あるときが来て、コップの水が溢れるまでは、実感できなかったけれど、つまり私は怒っていたらしい。

その後、リミッターが吹っ切れた、というか、盛り上がりの波が下降して停滞したままになってしまった私は、彼と話すのをやめた。一度無視したら、彼はもう話しかけてこなくなった。罪悪感を感じていたのだろうと思う。
一緒に生徒会室にいるのに、無視している、という状況で間に挟まれていたのは、図らずも"彼女が最初に告白した相手"であった。Sorry not sorry.

今は昔

数年後、お互いが大学に通って何年も経ったころに、彼からFacebook requestが来た。高校の知り合いみんなに送ったらしい。このとき私の怒りはすっかり収まっていて、久しぶりだな、元気かな、というpositiveな印象だった。見ていると彼は、相変わらずスキーばかりしているようであった。雪国の人はスキーが得意だ。

なんとなく、本人がいつかこれを見つけて読むような気がするのだが。
そういうわけで、peace out!

なんだか…"私が出会った不思議な男たち"シリーズができそうですよね。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?