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私の中の小さな『日記:2024.5.1』

時間が足りないという割に、時間を上手く使っていない気がする。

今日何をしたか誰かに聞かれたら、上手く説明出来ない。何もしてないから。

そんな日を1日過ごしてしまうと、また私の中にある小さな私、ネガティブが顔を出すので5月の最初くらいは引っ込めて小さな私、ポジティブだけ引っ張ろうと思う。


計画を立てて行動することが苦手だった。細かく言えば、計画を立てることは好きだし、スケジュールが詰まっていると嬉しくなるタイプだった。だがそれを守るかどうかは別で、むしろザクザクと敷き詰められた計画を蹴飛ばして薙ぎ倒していくことしかしてこなかった。

なので計画することをやめた。

計画をきちんと立てて守ることが出来る母が「やることが多かったら片っ端からやれ」と私にいつも言っていた。
優先順位、タスクの軽さ、そんなものはたくさん抱えていれば同じだ。それよりも早めに何かに手をつける方が大事なのだと言われてきた。

これも守ったことが無いけれど、困った時にはたまに私の中にいる小さい母を召喚するようにしている。


5月になった。去年の5月から何か成長したかと言われるとそうでもないが、確実な環境の変化はあったし、たくさんの人と出会い、別れて、LINEを乗っ取られ連絡先が全部消えて友達を数人失ったりした。

私を鼓舞してくれる存在が各媒体・各職業にいる。

この人が頑張ってるんだから頑張ろう、この人が私の歳の時は諦めるなんてきっと口にしていないんだから頑張ろう、この人になりたい、この人のような生き方がしたい。そんな嫉妬に似た羨望が、私の活力になる。今日もまた、そんな日だった。

私はこの人に近付くために何が出来るのだろう。

私は悩み事や何かに直面して困っている時、私の中にある小さな感情や意見や経験や知識が大会議を行なっている。脳内ポイズンベリーみたいだ。映画も観たし漫画も全巻持ってる。

私は1人ではなくて、常に小さい何かが私の中を私の為に動き回っていると感じる。はたらく細胞みたいだ。花粉症の回しか観たことないけど。

だから何か意見を出す上で軸や柱なんてものはなくて、その時の会議で多数派になったものが提出されるだけだ。「さっきから言ってることがバラバラだ」と言われることが何度もある。

仕方ない。そうやって生きていたんだから。

私の中の小さい何かは、常に私の為に動いているし、私が何かを持ってくる度に問題を解いてくれるしディベートを楽しくやってくれる。

でも彼らが唯一出来ないのは、直接足を運んだり、パソコンに向き合ったり、ドラマを観る映画を観る小説を読むという行動だ。行動しなければ考えることもない。任せっきりな私がやらなければいけないのは、行動だ。

小さい何かを働かせるために、私も行動しなければいけない。

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