見出し画像

未来の私は刃物を持った『2024.1.11』

無駄な時間ってなんだろう。
数時間前に湯船に浸かりながら考えた。


私は過去の行ないを後悔し、反省することが苦手であり、もっとも嫌いな行為だ。
父も同じようで、同じ失敗を何度も繰り返して同じように母に怒られている。

だが結局はどうにかなっているし、で全てが終わってしまう。そしてまた焦り、怒られ、数秒後にはケロッとしている。
失敗から対策を練って次に生かす母。向上心があり、諦めない彼女にとっては意味の分からない行動をする家族が2人もいて大変だと思う。

目先の楽しいだけを過ごしてきた私は、そもそも後悔したことがない。いや、あったのかもしれないが忘れている。

自分に出来ることがこれしかないと思って、それに関係していた短大に入学した。
就職より勉強が楽しそうだと編入学した。
早く卒論を書きたくて内定が決まってすぐに就活を終えた。
自分のやりたいことが出来ないから仕事を辞めた。

そして今の私がここにいる。

楽しそうだった方向が意外と真っ当な人間の道だったから許されて来たが、今は社会にいるという感覚ではないし、私が社会人として出会った人が極端に少ない。楽しいなと思っていたら、本当に楽しみしかない場所に来てしまっていた。

今の場所は楽しい。
一日中テレビを見ていたって、小説を書いたって、母と喋ったって、友達と遊びに行ったって、誰にも何も言われない。

銀行にあるお金が、ニートにしては割と高額な量減っていくだけだった。過去の楽しかった自分代と、未来を生きる自分代が今の私を苦しめる。
苦しんでいると思ってないうちは、私はまだ馬鹿でいいと思える。


楽しいと言っても、そこに辿り着くまでに辛いこともあったのかもしれない。でも何も覚えていない。辛かった、悲しかったエピソードなんて1つもない。ネガティブは消し去るように出来ている、都合のいい頭なのだ。

私にとって、今まで無駄な時間は無かった。


その上でまた考えた。
無駄な時間ってなんだろう、と。

今の私の時間は無限だけれど、本当にそうだろうか。今は今生きていれば良いだけだけど、未来の私はそれで困るのかもしれない。そう思ったら、今こうして日記を書いている時間も、未来の自分にとっては無駄な時間なのか。日記を書いて、SNSへ投稿している自分を、酷く後悔する日が来るのだろうか。そう思うと時間は有限なのかもしれないと思えてくる。

時間が有限、というのは「怠惰で包まれた自分」が有限だということだ。

年末だから、大晦日だから、正月だから三が日だからまだ1月だから。
こうして過ごしてまた1ヶ月、気付けば未来を過去にしてしまう。

今年頑張らなければ、未来の私が今の私を恨み、その時代にタイムマシーンがあれば殺しにかかるだろう。私は未来の私に殺されたくない。

よくも怠惰な時間を過ごしたな、あの時にあれをやっていれば済んだはずなのに。
そんな言葉を投げられるくらいなら、今自分が出来ることをしなければいけない。


自分が無駄な時間を過ごす前に、無駄な時間だと早めに気付く必要がある。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,258件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?