電話ボックスのマジック
都内に住んでいた時に、やたらと街角の写真を撮るのにハマっていた時期があった。
東京は街角ごとに顔を変える。自分の住んでいた地域でも、ひとたび路地に入り込めば見知らぬ世界だ。たとえそこは東京という私の居住地であっても、見たことのない景色というのは私の心をワクワクさせてくれる。首都・東京の知らない一面。別世界。そんな安直なワードが思い浮かぶ。
いつも歩いている道を1ブロック外れたら、そこには新しい景色が広がっていた。
その当時、私のマンションは首都高を間近に見下ろす高台に位置していた。
最寄りの駅から、少し勾配がある坂を下って、複雑に絡み合う高速のジャンクションの下を通って高台のふもとにつく。駅近ではなく首都高近。ちなみにあまりメリットはない。車がうるさいぐらいだ。
その日は夜が耽るまで友人と遊んだ後、最寄駅に帰った。なぜか気分が良くて、鼻歌を歌いながら道を歩いていた。坂を下り切って、T字路に差し掛かる。ちょうど高速道路が真上の空を覆い始めたころ、今まで気付いていなかったものにふと気付いた。
奥の方、T字路の接点の部分に電話ボックスが見えたのだ。
少し不思議な位置にある電話ボックスだ。首都高の真下、側道にポツンと置かれている。周りにはバス停の看板だけが彩りを添えている。長くその位置においてあったようで、透明な窓は薄汚れていた。
そこから漏れる光が、等間隔である街灯と同じように暗い道を照らしている。
私はなぜかその風景に惹かれて、ふらりふらりとボックスに近づいていった。奥から漏れ出る薄い光。中に見える緑色の電話機。中には入らず、外側の窓ガラスから中を見つめる。久々にまじまじと銀色に縁取られたテレホンカードの挿入口を見た。
幼い頃、母親から何かあったら電話してと、テレホンカードを渡されていたことを思い出す。小さい頃、よく母親の迎えを待つ時に電話ボックスに寄りかかっていたので、この窓ガラスの質感には愛着があった。
それを見ているうちに「アマチュア街角フォトグラファー」の血が騒ぎ始めてしまった。
今やスマホで簡単に電話ができる時代だが、そんな便利な時代よりも前から幾多の時を駆け抜けてここにありつづけただろう、この電話ボックスに無性に哀愁を感じてしまったのだった。
思わずパシャリ、と写真を撮る。うまい角度を見つけるために、色々と試行錯誤する。下からのアングルで煽ってみたり、はたまた被写体を右側に寄せて、余白を演出してみたり。
夜中に、電話ボックスの目の前で、iphoneを向けて動き続ける女ひとり。
側から見たら奇行だろう。私だったら近寄りたくない。たまに正気になって周りを見回してみるが、さすがにこの時間には人は来ない。私の独壇場だ。
上にある首都高では、ビュンビュンと速度を上げて、車達が帰路を急いでいるのだろう。その景色を頭に浮かべながら、電話ボックスをスマホの画面に収めた。
静寂だけが私とそれとの間を取り持つ。淡い光が私の姿を浮かび上がらせる。
深夜の東京にふさわしい、アンニュイな電話ボックスが私の手元に残った。
結局30分ばかしそこにいたと思う。いくつか気に入った写真が撮れてご満悦になった私は、ルンルンのまま帰路についた。
翌日の朝。改めて写真フォルダを見返すと、フォルダには多種多様な電話ボックスの写真が。しっかり写っているものから、エモさをアピールしたくてわざとぼかした写真まで、よりどりみどりだ。
その日も予定があったので、身支度をして家を出る。高台から道を下って、首都高の真下を通る。道の途中で、ふと改めて昨日みた光景を見ようと近づく。そこには何の変哲もない電話ボックス。
あの日のマジックは、もう溶けていた。
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