罪の重さ
人が感じる罪の意識は、どれぐらいだろうか。
私の心に現れた”罪の重り”は、秤に置いたら、何と等しい?
高校時代、友人から借りたペンを無くしたことがある。
いつ、どのように借りたか、正確に覚えていない。ある日、家に筆箱を忘れてしまった私は、何か書くためにペンが必要で、近くにいた友人に借りた。そして、数日したら返そうと思っていたのに、いつの間にかそのペンは、私の手元から失踪していた。
最初に、ペンを無くしたと気付いた時、冷や汗が止まらなかった。友人に借りたものを、無くすなんて言語道断。私の価値観では、あり得ないことだ。
だから今回の件は、自分にとっては初めてのケースで動揺した。
心がざわざわとして落ち着かない。心に鉛のようなものがごろごろと転がっていて、うまく均衡を保てない。不安定な感情。心がズドンと重くなる。
どこにいったのだろうと、ひたすらに探した。通学カバンの中、学校の教室、部活で利用している音楽室、自分の部屋。どこを探しても、見つからない。月日が経つにつれて罪悪感もより増していく。もう、私がペンを借りたことを友人が忘れてくれれば…、と最悪な願いを神にお願いしそうになった。それだけ、追い込まれていたのだ。
結局1週間後、私は正直に友人に謝罪した。若干涙ぐみながら「無くしちゃった…」というと、友人は「それ別にいらないから大丈夫。」とそっけなく言った。
そして、私の悲壮感を滲ませる顔をまじまじと見てこうも言った。
「なんで、そんなことで泣いてるの?」
彼女の中での価値観では、「借りたペンを無くして半べそをかいてる人」は、相当不思議だったのだろう。それ以降、ことあるごとにその話をされた。数年経ってもこの話をされるので、いい加減飽きてよ、とうんざりしたこともあった。
けれど、私が感じた心の重さと、彼女が想像したそれが釣り合わなさすぎた。だからこそ、彼女はこの話を伝家の宝刀のように、今でも私に突きつけている。
ただ、そんな彼女の”罪の重り”を発見したこともある。
私と彼女は同じ吹奏楽部に所属していて、同じホルンという楽器を演奏していた。彼女は、有名な中学校の出身で、演奏力もピカイチだった。私はその右腕として、彼女の隣に座っていた。
ある演奏会でのこと。
吹奏楽の曲は、同じ楽器でも1st、2ndのように番号が振られていて、それぞれが違う譜面で音楽を奏でる。彼女が1st、私が2ndだった。
その曲は非常に長い演目で、集中力を要するものだった。じっと指揮者を見つめながら、自分が奏でる音に集中するのは、何度演奏会をしても大変だ。
中盤、譜面を目で追っている最中、異変を感じた。
本来であれば、1stホルンが演奏する場面なのに、音が聞こえないのだ。横目で隣を見つめると、音を奏でるはずの彼女はプッツリと集中力が切れてしまったのか、猫背でぼーっと指揮を見つめている。
さすがに「これはマズイ」と思い、覚えている限り彼女が吹くべきパートを代わりに演奏することにした。
私の譜面には何も書かれていないが、何度も隣で練習してきた楽曲だったので、耳で覚えていた。私が楽器を持ち上げて音を奏で始めると、隣から気配がした。彼女が気付いたのだ。ピンと張った背筋が見える。彼女が楽器を持ちあげた瞬間、流れるように彼女にバトンタッチし、私は楽器を下ろした。ここまでの一連の動作は、ほんの数秒のことだった。
演奏が終わって舞台袖に戻ると、彼女から「ごめん!本当にありがとう!」と何度も言われた。
しつこい程言ってくるので、私は内心「数秒のことだし、そこまでのことか?」と思っていたが、ぐっと我慢し、「全然大丈夫だよ」と何度も伝えた。
彼女はこれ以降、ことあるごとに「あの時は、本当にありがとう」と言ってくるようになった。何度も繰り返される感謝に、私は最初は全くピンときてなかったが、次第にわかるようになった。
ああ、これが彼女の心の”罪の重り”なのだと。
私にとっては、演奏会で代わりに数秒吹いたということだけだったが、彼女にとっては「気が緩んで演奏を忘れた」という事実はとても大きなものだったのだろう。
実際に、彼女は演奏家を目指して、毎日レッスンに明け暮れている”演奏家の卵”でもあった。そんな自分が、自分のパートを忘れてしまうなんて、と思ってしまうのも頷ける。
高校3年間一緒にやってきて、彼女が演奏を忘れた瞬間を見たのは、この1回だけだった。
もし私のペンを無くした時と似た感情なのであれば、わかった瞬間に心がゾワゾワとして、ズンっと大きな重りが心に落ちてきたに違いない。
そう気付けてからは「ありがとう」という言葉を真摯に受け止められるようになった。
人はそれぞれ、自分の秤を持っていて、それぞれの価値観で心の重りを決めている。
多分、あなたのものと、私のものはシステムも計り方も違う。
あなたの"罪の重り"を感じる瞬間はなんですか?
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